【第28話】名前を呼んだ日
翌日、僕は《狂刃》先輩と一緒に、乗り合い馬車に揺られていた。
「どこに行くんですか?」
「のんびりできるとこだ」
「……のんびり、ですか?」
馬車が進むにつれ、王都の煌びやかな景観が段々遠くなり、のどかな光景が広がっていく。
そして到着したのは、自然に囲まれた、大きな牧草地だった。
素朴な木の看板には「リュンフェルト高原」と書かれている。
辺りは一面の緑。
豚や牛などの家畜が、気ままに草を食んでいる。
花が咲き乱れる広い丘の上には、風車が見えた。
綺麗な空気を吸い込む。
……一度も来たことはないのに、なぜだか一瞬、懐かしいような感じがした。
丘の上には観光客の姿が見え、露店も並んでいる。
「俺らも、なんか食うか」
「はい」
《狂刃》先輩がそう言って丘に向かって歩き出し、僕はその後ろをついていく。
「お前、何が食いてぇ」
一緒に外食するときは、いつも聞かれる質問。
「ええと……」
僕は露店を見回す。
すると。
「リュンフェルト高原名物:ドラゴン串焼き」と書かれたのぼりが立てられている店があった。
「……ドラゴン?」
「おい、真に受けるなよ」
何かを悟った様子の《狂刃》先輩が、真面目な声で告げる。
「よくある誇張だ。どうせそこの豚か牛の肉だろ」
《狂刃》先輩の言う通り、よく見るとそれは豚肉の串焼きだった。
でも、やたら厚切りで、大きい。
一つの串に、それが五切れも刺さっている。
「なるほど。大きさがドラゴン並みってことでしょうか」
美味しそうだけれど、食べきれる気はしなかった。
そんな僕を見て、《狂刃》先輩が問いかけてくる。
「食いてぇなら、買うか?」
「でも、食べ切れそうにないので」
「二人で食えばいいだろ」
そう言って、《狂刃》先輩は「ドラゴン串焼き」を一本注文する。
香ばしく焼けた串焼きを受け取ると、僕に向けて差し出してきた。
「ほら、お前、先に食え」
「いいんですか?」
串を受け取り、一口頬張る。
途端、肉汁が口の中に溢れた。厚切りなのに、すごく柔らかい。
「どうだ?」
「おいしいです」
「そうか」
《狂刃》先輩はそれだけ言い、肉を頬張る僕の姿を、満足げに見ている。
結局僕は二枚でお腹いっぱいになり、残りは《狂刃》先輩が全部食べてくれた。
食べ物だけではなく、土産物を扱う露店も、たくさん並んでいる。
「……せっかく来たしな。土産も見てくか」
「はい」
露店には塩漬けにされた肉や花籠など、観光地らしいものが沢山並んでいた。
《狂刃》先輩と並んで歩きながら、それらをひとつひとつ眺める。
すると、牙を剥いた黒いドラゴンの置物が、たくさん並べられている店があった。
隣には、翼を広げている赤いドラゴンの置物もある。
値札の横には、「リュンフェルト高原名物:ドラゴン神像」と書かれていた。
僕がじっと二つを見比べていると、《狂刃》先輩が後ろからそれを覗き込み、呆れたように呟く。
「……またドラゴンかよ。しかも神像ってなんだ」
「なんだか、かっこいいですね」
僕が言うと、《狂刃》先輩はふっと笑う。
「こないだのお守りといい、お前、結構、ガキっぽいとこあるよな」
「そうですか?僕、一応成人してますけど」
「知ってる」
真面目に答えると、《狂刃》先輩は目を細めた。
「いいんじゃねえのか。お前らしくて」
……それは、褒められているんだろうか。
結局、僕は悩んだ末に、牙を剥いた黒いドラゴンの置物を買った。
お昼もお土産の購入も済ませた僕たちは、腹ごなしに、丘の上を散歩することにした。
のどかな景色を眺めながらしばらく歩いていると、ふと《狂刃》先輩が口を開く。
「ちょうどいいから、昼寝してくか」
「昼寝、ですか?」
きょとんとする僕を尻目に、《狂刃》先輩はさっさと柔らかそうな草の上に寝転がる。
「ほら、お前も寝転べ」
促されるまま、僕は《狂刃》先輩の横に、ごろりと寝転がった。
……空が青い。
細い雲が、ゆっくりと流れていく。
「……なんだか、落ち着かないです」
「何がだよ」
「こんなふうに、何もしない時間は、あまりなかったので」
「お前、天然のくせに、真面目だからな」
茶化すように言った後、《狂刃》先輩は、ふと真剣な表情になる。
「……役に立たなくたって、いていいだろ」
ぽつりと、呟く声。
「……?」
「……わかんねえか」
《狂刃》先輩は、少しだけ困ったように、笑った。
温かな日差しを浴びながら寝転んでいると、ふと心地いい風が吹き、髪を揺らした。
気持ちいい。
ギルドに来てから、こんな時間を過ごすのは、初めてかもしれない。
「……眠くなってきたな」
「……《狂刃》先輩もですか?」
静かな時間が、流れる。
思わず、うとうとしかけたところで――
「……なあ」
ふと、隣に寝転ぶ《狂刃》先輩が、口を開いた。
「その、『《狂刃》先輩』っての、やめるか」
「え?」
――『《狂刃》先輩』を、やめる?
言われた意味が、わからなかった。
思わず、瞬きをする。
「……では、何と呼べば」
《狂刃》先輩が、こちらに顔を向けた。
金色の瞳が、近くで僕の目を、じっと見る。
やがて――
「――イグナスだ」
何か、大切なものを渡すような声音で、紡がれた言葉。
「二人の時は、イグナスでいい」
……イグナス。
それが、《狂刃》先輩の、本当の名前。
どうして、僕に教えてくれたんだろう。
……でも、呼んでいいと言ってくれたから。
「わかりました。イグナスさん」
「……」
そう呼ぶと、イグナスさんが息を呑んだ。
僕を見たまま固まった顔が、ゆっくりと、ぎこちない微笑みを作る。
「……ああ」
その声は。
今までで一番、優しかった。
イグナスさんは、ギルドの入り口まで、僕を送ってくれた。
「今日は、ありがとうございました」
別れ際にそう挨拶すると、イグナスさんは僕に向けて、ぐいと袋を押しつける。
「?」
「……やる」
反射的に受け取り、中を見ると――
それは、翼を広げている赤いドラゴンの置物だった。
「迷ってただろ」
「……もらっていいんですか?」
僕が思わずその顔を見上げると、イグナスさんは視線を逸らし、ぶっきらぼうに告げる。
「俺にはよくわかんねえけど、お前こういうの、好きなんだろ」
「ありがとうございます、イグナスさん」
お礼を言うと、イグナスさんは視線を逸らしたまま固まり――小さく、呟いた。
「……また、明日な」
「はい」
黒と赤の、ドラゴンの置物。
僕は、寮に戻ると――その二つを、そっと机の上に並べた。




