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【第25話】守るほど、壊れていく

《幽影》は闇の中を、音もなく移動していた。


前を駆ける黒装束の人物は、その気配には全く気づかず、迷いなく進む。

その姿が、ある一点で、闇に溶けるかのように、ゆらりと消えた。


通常の人間ならば、人が突然消えたようにしか見えないだろう。

《幽影》の目が、わずかに細められる。


「……認識阻害か」


そこにあるはずなのに、認識できないもの。

《幽影》は小さく息を吸い、呟く。


「……真実を映せ。《幻影透視》」


その瞬間。


《幽影》の端麗な容姿が、ほんの一瞬だけ、ゆらめいた。

艶やかな褐色の髪に、わずかに白いものが混じる。


その眼だけに浮かび上がったのは――古びた屋敷の輪郭だった。

《幽影》は屋敷の外観を確認すると、中に入ることはせず、周囲の様子を伺う。


隠された屋敷のほんの数件先には――大きな孤児院があった。


「……やはり、繋がっていたか」


《幽影》は静かに目を伏せて――


また、影のように、闇へと姿を消した。


※※※


あの襲撃があった日から。

《狂刃》先輩と《毒蛇》先輩は、なぜかずっと僕の近くにいるようになった。


食堂でも、武器庫でも、寮でも、僕を一人にしないように。

部屋にまでは入ってこないけれど、二人とも夜になっても帰らず、ギルドに残っている。


ワイルドウルフさんの調査で、あの日ギルドを襲ったのは、別のギルド所属の暗殺者だとわかったらしい。

でも、肝心の依頼人までは、掴めなかったとも。


ワイルドウルフさんには、「しばらく一人になるな」と言われた。

理由はわからない。


けれど――。


「……あの、お二人とも、お疲れじゃないですか?もう帰ったほうが……」


僕のために、二人の休息時間を奪うわけにはいかない。

たびたび尋ねても、二人は首を振るばかりだった。


「そんな事、言ってる場合じゃねえだろ」


「うん、危ないからね」


「そこまでしていただかなくても。僕は、もうなんともありませんし」


怪我は《教授》先輩の魔術のおかげで、とっくに治っている。


「……本気で言ってんのか」


「……放っておけるわけないでしょ」


……気を利かせたつもりだったのに、なぜか怒らせてしまったようだった。



それが数日続いた頃。


ふいに、《幽影》先輩が《断罪》先輩を伴って任務へ行くという話を聞いた。

何の任務かは言われなかったけれど、出発する前に、二人とも食堂で仕事をしている僕のところへ来てくれた。


「……これを、持っておけ」


《幽影》先輩は短く言って、何やら赤い札のようなものを、僕に手渡す。


「……これは?」


「伝令魔術を込めた符だ。一度しか使えないが」


そこで、《幽影》先輩が魔術師免許を持っているという話を思い出す。


「もしかして、《幽影》先輩が作ってくださったんですか?」


「そうだ。……何かあれば、それを破って呼べ」


《幽影》先輩は、僕の顔をじっと見た。

まるで、その目に焼き付けるかのように。


「何があろうと、駆けつける」


……何があろうと?


僕は思わず、緑の瞳を覗き込む。

その端麗な顔が――少しだけやつれたように見えるのは、気のせいだろうか。


《断罪》先輩はその横で、ずっと、何か言いたげに僕の顔を見ていた。


「また、しばらく任務に行ってくる……気をつけろよ」


そう笑った顔は……何かを必死に飲み込んでいるようでもあった。


そして……その日の夜も、《狂刃》先輩と《毒蛇》先輩は、ギルドに残っていた。



次の日の朝、《教授》先輩が食堂に姿を見せた。

僕は注文を聞く際、小声で話しかける。


「……あの、《教授》先輩。ちょっとご相談したいことが」


「……どうした、改まって」


席に座った《教授》先輩が、妙に真剣な表情で、そう尋ねてくる。


「《狂刃》先輩も《毒蛇》先輩も、夜になっても帰ってくれないんです。お疲れだと思うのに」


それを聞いて、むしろ驚いたように、《教授》先輩は目を見開いた。


「……それは、当然だと思うが」


「当然、ですか?」


《教授》先輩は深く溜息をつき、銀縁眼鏡を押し上げる。


「……君を任務に出さないよう、私も進言した」


「……どうしてですか?」


《教授》先輩は、少しだけ目を伏せた。


「あの襲撃は、君を個人的に狙ったものだと、私は考えている」


「……え?」


意味がわからなかった。

僕を狙って、一体何になるんだろう。


でも、《教授》先輩の表情は曇っている。


「……君は、もう少し、自覚した方がいい」


「……」


ぽつりと言って、《教授》先輩はメニューに視線を落とした。


――「あの襲撃は、君を狙ったもの」


……僕のせいで、ギルドが襲撃を受けた?


《教授》先輩の言葉が、頭の中で反芻された。


――「任務に出さないよう、私も進言した」

――「君は、もう少し、自覚した方がいい」


《狂刃》先輩も《毒蛇》先輩も、自分の時間を割いてまで、僕を守っている。


……そうか。


僕がここにいると、迷惑をかけてしまうんだ。


だったら。


ここに、いない方がいい。


※※※


翌朝。

食堂に、ユリアの意外そうな呟きが落ちた。


「……坊や、今日は遅いね。あの子が遅刻なんて珍しい」


ほどなくして現れた《狂刃》が、何気なく口にする。


「……あいつ、まだ来てねえのか」


ほぼ同時に来た《毒蛇》も、小さく眉をひそめる。


「……珍しいね」


その違和感が胸騒ぎとなるまで、時間はかからなかった。

すぐさま駆け出し、《天然》の部屋の扉を、勢いよく開ける。


――そこには、何もなかった。


「……は?」


《狂刃》が、呆けたように呟く。


窓が、空いていた。

荷物もない。

机の上に、一通の封筒が置かれていた。


そこに書かれていた文字は――「辞表」。


《狂刃》の表情が、凍り付いた。


「……自分で、出て行ったのか?」


それを理解し――感情のやり場がないかのように、壁に拳を叩きつける。


「なんでだよ……!」


「……」


何かを確認するように、クローゼットを開けた《毒蛇》は――息を呑んだ。


綺麗に畳まれた、沢山の服。

そして――小さな箱。


その側には、綺麗な字で書かれた手紙が、添えられていた。


――『高価なものなので、お返しします。ありがとうございました』


たった、一言。


《毒蛇》は、手紙を握り締め――掠れた声で、呟いた。


「……どこに行ったの」


そこへ、騒ぎを聞きつけた《教授》が姿を見せる。


「何の騒ぎだ」


《狂刃》が拳に血を滲ませたまま、答える。


「……あいつが、いなくなった」


「……何?」


机の上の「辞表」と書かれた封筒を見て、《教授》の顔色が、変わる。

すべてを、悟ったかのように。


「……私の責任だ。失言だった」


それを聞いて、《狂刃》が、掴みかかる勢いで詰め寄る。


「――あんた、あいつに何か言ったのか」


「……何言ったの?」


《毒蛇》の青い瞳に、冷たい光が宿る。


《教授》は――ただ、唇を噛み締めた。

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