【第15話】別れと、新たな始まり
翌朝。
身支度を終え、食堂への廊下を歩いていると――
《断罪》先輩が、僕を待っていた。
「……よう」
いつもの挨拶じゃない。
「おはようございます」
「……昨日は、悪かったな。怒鳴っちまって」
「いえ」
沈黙が落ちた。
《断罪》先輩は、僕の瞳を、じっと見つめる。
まるで、何かを探そうとするみたいに。
そうして――ふっと笑った。
「……ほんとに、何にもねえんだな」
「《断罪》先輩?」
ほんの一瞬だけ、目を伏せて。
《断罪》先輩は突然、にかっと笑った。
いつもの、笑顔だった。
「――よし、恋人は、やめだ!!」
「やめ、ですか?」
「おう!!悪ぃな、振り回しちまって」
《断罪》先輩はそう言うと、初めて会った時みたいに、僕の肩をぽん、と叩く。
その手に、一瞬だけ、力がこもった気がした。
「……じゃあな」
「……?」
「無茶、すんなよ」
――その後。
《断罪》先輩が遠くの任務へ向かったと、ワイルドウルフさんに聞いた。
「坊や、大丈夫なのかい?」
いつも通りに厨房に向かうと、ユリアさんが眉をひそめた。
「はい。ご迷惑をおかけしました」
毒の影響も喉の痛みもないから、休む理由もない。
頭を下げると、ユリアさんは少しだけ目を細めた。
「……さっき、あんたの恋人が任務に出てったけど」
「もう、恋人ではないです」
僕の言葉に、ユリアさんの黒い瞳が、わずかに揺れた気がした。
「……そうかい」
厨房で仕込みを終え、配膳の手伝いをしていると、《狂刃》先輩と《毒蛇》先輩がやってきた。
《狂刃》先輩はちらりと周囲を見渡して、ぼそっと呟く。
「……あいつ、来てねえのか」
「任務に行かれたそうです」
僕が答えると、《毒蛇》先輩は首を傾げる。
「任務?昨日の今日で?」
「はい。恋人はやめだと言われました」
僕がそう言った瞬間。
食堂のざわめきが、少しだけ小さくなった気がした。
まわりにいた暗殺者の人たちが、ちらちらとこちらを伺っている。
「……」
《狂刃》先輩が何か言いかけて、言葉を飲み込む。
《毒蛇》先輩は、《狂刃》先輩と僕を見比べるようにしてから――
「……そっか」
どこか納得したような様子で、静かに呟いた。
その日の夕方。
食堂の客がまばらになってきた頃、ユリアさんから「もういいよ」と言われ、僕は賄いをもらって席に着いた。
今日のメニューは牛肉の煮込みと、具だくさんの野菜スープ。それからパン。
こうして毎日温かいご飯が食べられるのは、本当にありがたい。
いつものように一人で食べようとすると――
「終わったか」
ふいに、頭上から低い声がした。
顔を上げると、《狂刃》先輩の金色の瞳が、僕を見下ろしている。
「《狂刃》先輩。どうしたんですか?」
「……飯に決まってるだろ」
そう言って、僕の前の席に座る。
「他にも、席、空いてますけど」
「……」
首を傾げると、《狂刃》先輩は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らした。
「……別にいいだろ」
「はい」
《狂刃》先輩は仏頂面のまま、僕と同じ牛肉の煮込みを注文する。
「先に食ってろ」と言われ、僕が料理を口に運んでいると。
《幽影》先輩が、ギルドに入って来た。
「あ、《幽影》先輩。こんばんは」
「……ああ」
挨拶すると、《幽影》先輩は僕の姿を見て、静かにこちらへやってくる。
その視線が、ふと、食べかけの料理に向いた。
「……ちゃんと、食べているか」
「はい、美味しいです」
「……そうか」
そうして――《幽影》先輩は、僕の頭に、ぽん、と手を置く。
ほんの少しだけ、笑って。
「……」
《狂刃》先輩が、固まる。
その目は、何かとんでもないものでも見たかのように、見開かれていた。
《狂刃》先輩だけじゃなかった。その場にいたほとんどの人が、何が起こったかわからないような顔で、《幽影》先輩の顔を凝視している。
「……おい、《幽影》」
カウンターにいたワイルドウルフさんが、なぜか震える声で《幽影》先輩に話しかけた。
「お前、まさか……まさか、だよな?」
《幽影》先輩は僕の頭から手を離し、ワイルドウルフさんに向き直る。
「……何の話だ」
「……お前、『頭ぽん』とか、する奴じゃねえだろ……まさか、お前まで」
その先を言えないかのように、ワイルドウルフさんの言葉が途切れる。
《幽影》先輩は、呆れたように小さく息をついた。
「やましい目的などない。私をいくつだと思っている」
そう言いながらワイルドウルフさんを見返す顔は、圧倒的に端正で、若々しい。
たまりかねたように、ワイルドウルフさんが叫んだ。
「お前、鏡で自分の顔見てこい!!絵面は完全にアウトだぞ!!」
周りの人たちが無言で頷く中。
《狂刃》先輩は、そんな《幽影》先輩の顔を、じっと見ていた。
「……あんた」
何か言いたげに口を開くけれど、言葉にはしない。
《幽影》先輩も《狂刃》先輩を一瞥するだけで、何も言わなかった。
「……私は戻る。君も、まだ本調子ではないだろう。早く帰って休め」
「はい、ありがとうございます」
周りの視線なんてまるで気にならないかのように、《幽影》先輩はそう言うと、踵を返した。
食堂のざわめきが戻る。
《狂刃》先輩は特に会話するでもなく、黙々と料理を口に運んでいる。
僕は、ふと思い立って、問いかけた。
「あの、《狂刃》先輩」
「なんだよ」
「僕、おかしいですかね?」
「……」
《狂刃》先輩の手が、止まる。
すぐに返事はなかった。
言葉を探すように、視線を逸らす。
「……別に」
やがて出てきたのは、その一言だけだった。
「でも、以前《狂刃》先輩も言いました――『お前、おかしいぞ』って」
「……っ」
《狂刃》先輩が、気まずそうに食器を置く。
「……覚えてたのかよ」
《狂刃》先輩との任務で、傷を負ったあの日。
――「そのうち死ぬことと、すぐ死ぬことは、違いますよね?」
僕がそう言った後。
――「……お前、おかしいぞ」
《狂刃》先輩は、確かにそう言った。
そして、怒って出て行ってしまった。
……《断罪》先輩も、僕をおかしいと言って、怒っていた。
「よくわからないんですけど、僕に悪いところがあるなら、直したいです」
「……」
《狂刃》先輩は、何も言わない。
答えに困っているようだった。
――やがて、ぽつりと呟く。
「……あれは、忘れろ」
「忘れる?」
《狂刃》先輩は、ようやく、僕の顔を見た。
「……お前は、そのままでいい」
「……でも」
僕が続けようとすると、《狂刃》先輩は、もう一度言った。
「……お前は、そのままでいい」
その言葉は――どこか、言い聞かせているようでもあった。
《狂刃》先輩と別れて、寮の自室に戻る。
そういえば、汚してしまった服を洗わないと……
血で汚れた黒装束は、着替えた時に、棚の上に置きっぱなしになっていた。
ポケットを探ると、ふと、何かがぽとりと落ちる。
「……あ」
――《断罪》先輩が買ってくれた、ファントムのお守り。
また、あの時の《断罪》先輩の苦しそうな顔が蘇る。
そして、今朝の「恋人はやめだ!!」という、あの言葉。
……「恋人」として、何か失敗してしまったんだろうか。
考えても、答えは出なかった。
ふと、《毒蛇》先輩の言葉が、頭に浮かぶ。
――「僕は、そういうの専門だから」
《狂刃》先輩は、「そのままでいい」と言ったけど。
《毒蛇》先輩なら、「正しい恋人」を教えてくれるかもしれない。
……そう、思った。




