14【根の国】
粧子への挨拶を終えて、綴ら四人は客間に通された。
襖が閉まるなり、ほとんど同時にどっと息を吐く。
「……っはぁ〜……怖ぇぇ……」
四葩はその場にへたり込み、畳へ大の字に四肢を投げ出した。
張り詰めていた糸が切れて、声が細かく震える。
笑壺粧子は、文字通りの大物だった。
身体も、纏う気配も、想像よりもずっと大きかった。
夫となる常一の友人を前に、粧子は終始、品定めでもするような目でこちらを見ていた。
表面上はにこにこと笑っているのに、少しでも粗相をすれば、そのまま片手で壁に叩きつけられそうな威圧感があった。
「あれが常一の花嫁に……?」
綴が客間に用意された湯呑みを手にして、遠い目をする。
「夫婦になる想像が、まるでつかないな」
「常一本人が一番できてないだろうよ」
相生も苦い顔で茶を啜る。
香り高く旨みのある、いかにも高そうな茶だ。
客間にしばらく沈黙が落ちた。
庭の鹿威しの音だけが、こん、と間延びして響く。
掛け軸ひとつ、茶器ひとつでも、とんでもない値段に見える。
うっかり割ったら臓器で払わされそうだな、と四葩は半ば本気で思った。
「何にしても……凰さんの名前が嘘だってバレなくてよかったね」
綴が声を潜めて言うと、ほかの三人も無言で頷いた。
これは日入の案だった。
瓢の名前をそのまま出せば、滑家との繋がりを疑われる。
あの粧子が、それを聞き逃すとは思えない。
下手をすれば、常一に接触する前に追い返される可能性すらある。
幸い、粧子は常一の友人そのものにはハナから興味がない。
招待状も、日入に宛名を書かせ、そのまま届けさせていたようだ。
だから瓢は、何食わぬ顔で「佐藤凰介」と名乗ったのだ。
「佐藤て。もっとなかったのかよ」
「無難さを極めた結果だ」
四葩に小突かれるも、瓢は涼しい顔で茶を飲んだ。
「……早いうちに、常一と会えるといいんだけど」
綴が障子の向こうを伺いながら、小さく呟いた。
笑壺家の屋敷は広すぎて、まるで城の中に閉じ込められているみたいだ。
常一の居場所を探そうにも、地図が必要になりそうなくらいだ。
「日入さんが話を通してくれるだろう。
それで駄目なら、余興の相談がしたいとでも言って、直談判するしかないな」
その“余興”が花婿奪還作戦だとは、当然ながら粧子は知らない。
そもそも彼ら四人を脅威だとは欠片も認識していない。
せいぜいが式の賑やかし。人間の、有象無象。
そして、それはある意味では正しかった。
力も財も身分もない。ここは根の国で、笑壺家の本拠地だ。
真正面から敵対すれば、踏み潰されて終わりだ。
四葩は膝を抱え、小さく唸る。
「本当にどうにかなんのかよぉ……。あのお嬢様、角生えてたじゃん……」
「力ずくって訳にはいかないだろうね」
瓢は座卓に肘をつき、静かに思案を巡らせる。
打開策を持っているとしたら、自分しかいない事は分かっていた。
「……まずは、滑家に接触したいな」
瓢の一言に、三人の視線が集まった。
「お嬢様に対抗するには、こちらにも強い力が必要だ。 日入さんの口ぶりじゃ、滑家の助けが得られれば光はある」
根の国の政と秩序、その中心を担っているのが滑家らしい。
笑壺家ですら、無視は出来ない存在である。
「分家とはいえ、俺の家も元を辿れば滑家の血縁だ。人間の話でも、聞くだけなら聞いてくれるかもしれない」
「でも、そんなすぐ会える相手なのか?」
相生が眉をひそめる。
「分からない。ただ、もしかしたらって心当たりはある」
瓢は障子の向こうを横切る使用人の影を見やり、声を一段低くした。
「……時間も、あまりない」
式は七日後に執り行われる。
思いつく案は、しらみ潰しに試していかなければならない。
ぐずぐずしている間にも、可能性は少しずつ潰れていく。
「常一を連れて帰る」
瓢はきっぱりと言った。
その決意だけは誰の耳にもはっきり届いた。
三人も頷く。
当然だ。そのために、ここまで来たのだから。
「花婿奪還作戦、えいえいおー……」
綴が蟻の鳴くような声で号令を掛け、拳を差し出した。
相生が重ね、四葩が続き、最後に瓢が拳を添える。
座卓の中央で、四つの拳がひとつになった。
*
「席順はこれで。御友人方の余興は、そうね、婚礼の儀が終わった食事の席で披露して頂きましょう」
粧子が扇子の先で席次表を示すたび、控えていた女中達が一斉に筆を走らせる。
さらさら、さらさら、と紙を擦る音が絶え間なく部屋に満ちていた。
そこへ運び込まれるのは、婚礼衣装の山だ。
艶やかな打掛。金銀の刺繍が入った帯。
透けるような薄衣に、宝石を散りばめた簪。
流行りのドレスも白から黒まで何十着も用意されていた。
「腕を失礼します」
「あ、はい」
常一は言われるまま両腕を広げた。
女中達が無駄のない動きで肩幅や袖丈を測っていく。
別の者は足袋の寸法を確認し、さらに別の者は髪へ櫛を入れ始めた。
完全に着せ替え人形状態だった。
「こちらの白は少々地味かしら」
「なら銀糸を追加いたしましょうか」
「ええ、そうして」
自分そっちのけで進んでいく会話に、常一は頼りない笑みを浮かべるしかない。
─── ほんまに結婚式、やる気やん。
現実感がないまま、喉だけがからからに乾いていた。
そこで、ふと粧子の発言が気になって口を開く。
「あの、俺の友達もう来てるんですか?」
「ええ、来てますわ」
粧子は席次表から目も離さず答える。
「会いたいんですけど……?」
ぴたり、と部屋の空気が止まった気がした。
女中達が一斉に顔を上げて、常一を凝視した。
粧子はゆっくりと振り向いて、首を傾げた。
「どうして?」
責める声音ではなく、純粋に不思議そうだった。
逆に常一にはそれが分からなくて困惑する。
「いや、せっかく来てくれたし挨拶くらいは……」
「式で顔を合わせますわ。それに、余興もお願いしましたの」
「余興……?」
「ええ、快くお受けしてくださいましたわ」
瓢たちが素直に余興だけして帰るとは思えない。
だが、常一は彼らと直接話せていない。
あの四人がこの結婚をどう考えているのか、本心は分からなかった。
もしかすると、本当に祝いに来ただけなのかもしれない。
けれど、この場で妙な反応を見せれば、粧子に勘付かれる。
常一は曖昧な笑みを浮かべたまま、返す言葉を見失った。
「失礼いたします」
不意に襖が開いた。現れたのは日入だった。
常一を根の国へ攫ってきた実行犯だ。
だが、不思議と嫌悪感は薄い。
他の使用人とも、笑壺家を出入りする商人たちとも違う、どこか掴みどころのない空気をまとっている。
ふと目が合った。
日入は何気ない顔のまま、ゆっくりと一度まばたきをする。
まるで、何かを伝えようとしているようだった。
「お嬢さん、常一さんのご友人方が、常一さんとお会いしたいとおっしゃってまして」
「必要ないわ」
間髪入れず、粧子は切り捨てた。
常一が口を挟む隙すらない。
だが、日入は慣れたものだった。表情ひとつ変えず、さらりと言葉を継ぐ。
「しかし、余興には常一さんにも参加してほしいと。お嬢さんを驚かせるには、必要不可欠なのだそうで」
「ふぅん……」
粧子は扇子を唇に当てたまま考え込む。
女中たちも主人の判断待ちなのだろう。
手は動かしているものの、どことなく室内の空気が静まった。
常一は喉を鳴らした。
ここを逃せば、結婚式まで綴たちと会えないかもしれない。
「中ツ国では、新婦のために新郎が余興をするんは、ようあることなんです!」
思ったより声が裏返った。
しまった、と思うが、もう引き返せない。
「せやから、俺も是非参加したいです! その方が結婚式も盛り上がると思います!」
言い切って、心臓がバクバク跳ねるのを必死に抑え込む。
手のひらにはじっとりと汗が滲んでいる。
綴たちと話さなければならない。
このまま式の日を迎えるわけには、いかなかった。
粧子はじっと常一を見つめた。
黒蝶貝のような瞳が、まっすぐこちらを映している。
嘘を見透かされている気がして、冷たい汗が背を伝った。
だが、その視線は長く続かなかった。
「まあ、そうですの? 中ツ国の文化を取り入れるのはやぶさかではありませんわ」
ふっと粧子の口元が綻び、張り詰めていた空気が緩んだ。
止まりかけていた女中たちの手も動き出し、部屋に再び衣擦れの音が戻る。
常一は気付かれないよう、そっと息を吐いた。
「一日、三十分だけでしたら許可しますわ」
「ありがとうございます!」
声を弾ませて、深々と頭を下げた。
実際に余興を準備するには短すぎる時間だろう。
それでも常一にとっては価値のあるものだった。
粧子はそんな様子を満足げに眺め、優雅に微笑んだ。
「うふふ。殿方は結婚式など面倒臭がると聞きますけれど、常一様は前向きで嬉しいですわ」
「まあ、せっかくなんで……」
「では日入、時間を作って差し上げて」
「承知しました」
日入は恭しく頭を下げた。
その横顔が、ほんの少しだけ安堵しているように見える。
常一の胸にも、小さな灯がともった。
三十分あれば、瓢たちなら何か考えてくれる。
いや。きっと、もう動いているはずだ。
冷静に考えれば、あの四人が額面通りに招待状を受け取るわけがない。
余興など、ただの口実だ。
───絶対、助けに来てくれたんや。
そう確信した途端、別の思いが胸をよぎった。
根の国は、あまりにも相手が悪い。
綴は賢いし、相生は肝が据わっている。四葩だって瓢だって頼りになる。
けれど、それとこれとは別だ。
下手をすれば、全員まとめて笑壺家に潰される。
助けてほしい一心で呼んでしまったけれど、皆を危険に晒している罪悪感はあった。
膝の上で、知らず拳が握られていた。
「常一様?」
「ひゃい!」
考え事の最中に声を掛けられ、情けない返事が飛び出した。
粧子は、きょとんと目を丸くする。
だが次の瞬間には、堪えきれないというように肩を震わせた。
「うふふっ。緊張してらっしゃるのね?」
「……け、結婚式なんて初めてなんで」
「わたくしもですわ!」
粧子はぱっと顔を輝かせた。
「だから楽しみましょうね、常一様。きっと素敵な式になりますわ」
まるで遠足を待つ子どものような弾んだ声だった。
常一は引きつる頬をどうにか持ち上げる。
「そ、そうですね……」
乾いた笑いが、喉の奥で空回りするみたいに転がった。
*
「……本日の夕刻、常一さんとお会いできますんで」
朝餉を運び込んでいた女中たちが静かに部屋を辞し、入れ替わるように日入が姿を現した。
朝一番の朗報に、四人の顔が一斉に上がる。
「マジで!?」
四葩が勢いよく身を乗り出した拍子に、湯呑がぐらりと傾いた。綴が慌てて手を伸ばし、寸前でそれを支える。
日入は苦笑しながら頷いた。
「ええ。ただし、一日三十分だけです」
そう言って、指を三本立てる。
「面会場所はこの部屋限定。他の場所へ連れ出すこともできません」
四人の表情がわずかに曇った。
「……外へ連れ出すのは禁止、ってことか」
相生が低く呟く。
制約は多い。だが、それでも常一と直接話せる機会は大きかった。
結婚式の詳細。笑壺家の内情。そして、粧子を出し抜くための糸口。
三十分という短い時間でも、得られるものは少なくないはずだ。
「粧子さんは、来ないですよね?」
綴が確認するように尋ねた。
「勿論です。余興の準備、ということにしてますんで。当日を楽しみにしておられますよ」
常一にべったりだという話だっただけに心配していたが、少なくとも監視の目はなさそうだ。それだけで随分と動きやすくなる。
「なら、それまでに滑家へ接触したいな」
瓢が腕を組みながら言うと、相生が渋い顔をした。
「でも、どうやって会うんだ?」
根の国へ来て、まだ二日目だ。
滑家の屋敷がどこにあるのかすら分からない。
仮に辿り着けたとしても、いきなり訪ねて門前払いを食らえば、それだけで笑壺家へ話が回る危険がある。
綴は箸置きを指先で転がしながら、そっと日入を見た。
「やっぱり……難しいですかね?」
日入はすぐには答えなかった。
汁椀から立ち昇る湯気を眺めながら、何かを考え込むように目を細める。
「……まあ、正面から滑家へ行っても、まず相手にはされんでしょうな」
日入は肩を竦めた。
滑家の屋敷まで案内すること自体はできる。
だが、あそこは笑壺家以上に敷居が高く、警備も厳しい。
例え瓢の名を出したところで、素直に取り次いでもらえる保証はなかった。
「昨日、凰介が言ってた“心当たり”って何なの?」
四葩が尋ねると、瓢は「ああ」と小さく頷き、窮屈そうにしていた足を崩した。
「実は、『二国分流記』に気になる記述があるんだ」
「記述?」
「瓢家の人間が死んだ場合、その魂は滑家へ帰属する、と書かれている」
四葩が首を傾げる。
「帰属……?」
「簡単に言えば、瓢家の死者は根の国へ来た時、滑家の一員として迎えられるってことだよ」
滑家と瓢家は、争って袂を分かったわけではない。
遠い昔に枝分かれしただけの、同じ血を引く一族。
『二国分流記』には、その身に流れるぬらりひょんの血は等しく尊いものだと記されていた。
だからこそ、死後は本家である滑家の庇護下に入る。
──少なくとも、書物の上ではそうなっている。
「それで、祖父が二年前に亡くなっているんだが」
「えっ!? 凰介のじいちゃん死んでんの!?」
四葩が思わず声を上げた。
小学生の頃を最後に会ってはいない。それでも初耳だった。
「ああ。一輪は祖父に良い思い出がないだろう? だから、わざわざ言わなかった」
「いや、苦手ではあったけど、それは言えよ……」
四葩は額を押さえながら深いため息を吐く。
その隣で、綴がはっと顔を上げた。
「じゃあ……揺蕩さん、今は滑家にいるかもしれないってこと?」
揺蕩。それが瓢の祖父の名だった。
灯亡書房の前店主である硯の知人でもあり、綴も何度か顔を合わせたことがある。
実のところ、綴は揺蕩の死も知っていた。
硯の代理として、その密葬に参列したからだ。
瓢は四葩へ「すまん」と小さく詫びてから、静かに頷く。
「可能性はある。少なくとも、滑家へ話を通す糸口にはなるかもしれない」
だが。どうやって、その滑家へ辿り着くのか。
再び話が振り出しへ戻りかけた時だった。
それまで黙って話を聞いていた日入が、不意に口を開く。
「……臍府に行ってみますか?」
「……さいふ?」
財布とはイントネーションが違う。
聞き慣れない言葉に、四人は揃って首を傾げた。
「役所みたいな場所です。そこなら、瓢さんのおじいさんが根の国にいるか照会してもらえます。運が良ければ、取り次いでもらえるかもしれません」
「……なるほど。接触のキッカケにはなりそうですね」
「ええ。ただし、変なことはせんでくださいよ」
日入は念を押すように言った。
「臍府は根の国の中枢です。あそこで騒ぎを起こしたら、結婚式どころの話じゃなくなります」
四人は顔を見合わせた。
無茶はするな。誰ともなく、そんな意思を確かめ合う。
だが、夕刻には常一と会える予定だ。
それまでに少しでも状況を動かしておきたい。
「善は急げだな。さっさと支度しよう」
瓢の一声で席が動く。
豪奢な朝餉をゆっくり味わう暇もない。
四人は慌ただしく飯をかき込み、臍府へ向かう支度を始めた。
*
日入が「ご友人方を外へお連れしてもよろしいですか」と粧子に伺いを立てると、当の本人は手をひらひらと振った。
「勝手になさい」
いかにも興味なさげな返事だった。
その隣では、常一が日入を見ていた。縋るような目。
何かを訴えたいのは明らかだったが、ここで応じるわけにはいかない。
下手に動けば、かえって常一の立場を悪くする。
日入は気付かないふりを貫いたまま一礼し、早々に離れを辞した。
客間へ戻ると、綴たちはすでに支度を終えていた。
襖を開けた瞬間、四葩が待ち構えていたように身を乗り出す。
「おい、早く行こうぜ! えーっと、臍府だっけ?」
声量こそ抑えているが、落ち着きのなさは隠せていない。
「お静かに」
日入は唇の前に人差し指を立てた。
「臍府へ行くことは、できれば秘密裏にお願いしますよ。本来、客人には用のない場所です。企みがありますと宣伝して歩くようなものですからね」
日入に釘を刺され、四葩は素直に口を閉じた。
何事もない顔で、五人は客間を後にする。
傍目には、根の国見物へ向かう観光客そのものだった。
笑壺邸の敷地を出ると、日入は先を歩きながら前方を指差した。
「入って来る時に、城みたいなんが見えたでしょう?」
その先には、黒い屋根瓦の巨大な楼閣が霞の向こうにそびえていた。
百目鬼の門を越えた時、牛車の御簾越しに見上げたあの城だ。
「あれが臍府なんです」
「へぇ……」
綴たちは思わず足を止めた。
遠目にも圧倒される大きさだった。城というより、一つの街がそのまま積み上がっているようにも見える。
その反応に満足したのか、日入はわずかに口元を緩める。
「せっかくですし、けらけら通りを抜けて行きましょうか。結婚式でも使う予定ですから」
根の国の街並みは、綴たちにとって不思議な光景だった。
通りに並ぶのは、時代劇から抜け出してきたような建物ばかりだ。
木造の店構え。軒先で揺れる提灯。石畳の道を、人力車が軋みながら走り抜けていく。
──かと思えば。
その隣には、見慣れたコンビニが何事もない顔で建っていた。
硝子張りの自動扉に、派手な幟。期間限定甘味を宣伝する色鮮やかなポスター。
古い町並みと現代の風景が溶け合って、まるで最初からそういう世界だったかのように共存している。
「……なんか、頭バグるな」
四葩がぽつりと呟いた。
道行く者たちの格好にも統一感がない。
和装の老婆が歩いている横を、パーカー姿の若者が缶ジュース片手に通り過ぎる。
スーツ姿の男もいれば、ゴシック調のドレスを纏った女もいる。
それに、この国では生者と死者の区別がまるでつかなかった。
ここでは死者も普通に生きているようだった。
綴が興味深く通行人を眺めていると、日入がその視線に気付いて歩調を緩めた。
「今どきの死者は洋服ですよ。着物の着方なんか知らない人も多いでしょう」
「死んでも服の趣味って変わらないんですね」
「そらまあ。急に人格が変わる訳じゃないですからねぇ」
日入は、缶コーヒーを片手に談笑している老人たちを顎で示した。
「死んだ途端に仙人みたいになる訳でもありませんし」
綴も、その老人たちを見た。
笑っている姿は、近所の公園で将棋を指していそうな老人と何も変わらなかった。
◇
「いらっしゃい! いらっしゃい!」
けらけら通りは、その名の通り騒がしかった。
笑い声。客引きの声。屋台の鉄板が鳴る音。雑多な熱気が通り全体を満たしている。
けれど綴には、その賑わいにどこか歪なものを感じていた。
文明そのものが、足踏みしているような感覚だ。
電灯はある。冷蔵庫もある。
店先にはテレビが置かれ、レジには電子決済の端末まで見える。
だが、誰もスマホを弄っていない。
電器屋には、パソコンらしきものも見当たらない。
中ツ国なら誰もが手放せなくなっている物が、この国では不自然なほど存在感を失っていた。
「……根の国って、わざと文化レベルを下げてるんですか?」
綴が率直に尋ねると、日入は「ああ、ねえ」と曖昧に笑った。
「まあ、そういう側面はありますよ」
彼は歩きながら、通りの先を眺める。
「中ツ国は科学がどんどん発展してるでしょう? でも、根の国へ持ち込めるものには色々制限があるんです」
「なんで? 便利なもんは便利でいいじゃん?」
四葩が不思議そうに眉を寄せ、懐からスマホを取り出しかける。
だが、その手を日入はやんわり制した。
「妖怪筋が嫌がるんですよ。妖術の価値が下がるから」
それは、根の国にとって重要な問題だった。
中ツ国で妖怪たちが居場所を失っていった理由の一つでもある。
「例えば、飛行術を百年磨いた天狗より、飛行機一機の方がたくさん人を運べる。そうなると、天狗も面白くないでしょう?」
「うーん、確かに」
努力して身につけた技が、機械ひとつに取って代わられる。
しかも、それで仕事まで失うとなれば尚更だ。
「便利なもんは大体、妖術の商売敵なんですよ。
だから此方では、あんまり科学が進み過ぎるのを歓迎しないんです」
綴は改めて通りを見回した。
やはり、この国は発展していないのではない。
発展し過ぎないよう、誰かが手綱を握っているのだ。
「それに……私は中ツ国へ行く度、ちょっと怖くなるんですよ。未来っていうのは、こんなにも無機質なのかって」
日入の言葉に、四人は返事に詰まった。
眩しすぎる広告。休みなく動く機械。
誰とも喋らず、画面ばかり見つめて歩く人々。
便利で、速くて、洗練されている。
けれど時々、その流れから置き去りにされているような孤独を感じる時もあった。
「まあ、長生きするほど変化を嫌うってのもあります。今の生活で、特別困ってるわけでもありませんから」
日入は苦衷を抱えたような笑みを見せた。
そう言われれば、その通りだった。
一方で、四葩は気まずそうに鼻の頭を掻いた。
動画配信を生業にしている身としては、なかなか耳が痛い。
再生回数。登録者数。トレンド。
次々と流れていく数字を追いかける生活は、まさに日入の言う「未来」の側にあるものだ。
だからといって、それを取り上げられたら何が残るのかと問われると困る。
「ここで、死者って何して過ごしてるわけ?」
素朴な疑問だった。
四葩には、スマホのない生活というものが上手く想像できない。
暇さえあれば動画を見て、SNSを開いて、気付けばまた別の動画を見ている。
そんな時間が丸ごと消えたら、何をして一日を潰せばいいのだろう。
「日中は、ほとんどが働いてますよ。衣食住は保証されてるんで、小遣い稼ぎ程度の者が多いですけどね」
日入は、すぐ先の団子屋を指差した。
店先には求人募集の貼り紙が出ている。
『死者歓迎! 未経験OK!』と、ポップな字体が賑やかに踊っていた。
「転生までは、どのくらいの期間が?」
「人それぞれですよ。一年やそこらで行く者もいれば、百年以上居座る者もいるとか。評価基準は知りませんがね」
日入はあっさりと答えた。
死者の転生は、妖怪にとって身近でありながら、自分には関係のない出来事なのだろう。
笑壺家でも、死者は珍しくない。
使用人として働いていた者がいつの間にか姿を消し、気付けば別の死者がその穴を埋めている。
日入にとっては、その程度の話だった。
「ただ、時期が近づくと“転生課”からハガキが届くらしいです。次の生へ行くか、それとも魂を畳むか、選べって」
「……魂を畳む?」
瓢がぴくりと眉を動かした。
「消滅ですよ。輪廻に戻らず、そのまま終わる。たまにいるそうです。“もう充分生きました”って人が」
綴は思わず黙り込んだ。
そんな重大なことを、ハガキ一枚で決めるのか。
けれど日入の口ぶりからすると、此方では珍しくもない話なのだろう。
役所が通知書を送るように、転生課は転生の案内を送る。
ただそれだけのことなのだ。
「何か、情報量多いな……」
相生は頭をがしがしと掻いた。
次から次へと説明されても、現実の話として飲み込むには時間がかかる。
正直なところ相生は、良い人は天国で幸せ!悪い人は地獄でお仕置!くらい、単純な話の方がありがたかった。
「まあ、あなた方も死ねば世話になりますから。その時に担当者から説明を受けてくださいよ」
日入は、さらりと身も蓋もないことを言った。
ちょうどその時だった。
通りの脇を、大きなカートがごろごろと近付いてくる。
中には幼い子どもたちが七、八人載せられていた。
「わー!」
「せんせー、あれ見てー!」
身を乗り出す子どもたちを、エプロン姿の女性たちが慣れた様子で宥める。
「こら、乗り出さなーい! 落ちますよー!」
賑やかな声を残しながら、カートは石畳の道を揺れていった。
「あれは、こども園のお散歩ですよ」
「こども園?」
綴が聞き返す。
日入は微笑ましそうに、通り過ぎる子どもたちを見送った。
「ええ。十八歳までの死者は、基本的にこども園で預かるんです。まあ、優先的に転生されますんで、いる期間は短いらしいですがね」
綴は再びカートへ視線を向けた。
子どもたちは無邪気に笑い、通行人へ手を振っている。
転生の優先は救済なのか、それとも単なる運営上の都合なのか。綴には分からない。
無邪気に手を振る子どもたちは、どこにでもいる園児と変わらなかった。
ただ、その全員が一度死んでいるのだと思うと、胸の奥が僅かに軋んだ。
けらけら通りの大店が軒を連ねる一角を抜けると、人通りは目に見えてまばらになった。
威勢のいい呼び込みの声も、軒先を彩る派手な看板もない。
代わりに並ぶのは、古びた履物屋や乾物屋といった小さな店ばかりだ。
やがて通りは途切れた。
行き止まりかと思ったその場所に、ぽつんと一基の鳥居が立っている。
鮮やかな青色の鳥居だった。
しかし、その先に神社らしい建物は見当たらない。
鳥居の向こうに広がっているのは雑木林だけだ。
人ひとりがやっと通れるほどの獣道めいた小径が、木々の奥へと続いている。
「……何もなくね?」
四葩が率直な感想を漏らした。
綴も鳥居の奥を覗き込み、首を傾げる。
「神社でもあるのかと思った」
「皆さんは、そう思いますよね」
日入は鳥居へ歩み寄ると、青い柱をぺちぺちと叩いた。
「これは、中ツ国に繋がる門です」
「え?これが?」
四人は揃って鳥居を見上げた。
妖しい光を放っているわけでもない。空間が歪んでいる様子もない。ただの鳥居にしか見えない。
「ええ。現世へ繋がる門は根の国の各所にあります。ただ、死者や妖怪が勝手に出入りすると色々問題が起きますんでね。普段は閉じてます」
「じゃあ、どうやって通るんです?」
「通行手形を持つ者が、事前に日時を予約するんですよ。その時間になると門が開きます」
「なるほど。電車か飛行機みたいだな……」
瓢が頷くと、日入は「そんなもんです」と軽く笑った。
中ツ国にも、根の国へ繋がる鳥居はいくつか存在するらしい。
もっとも、その先はすべて同じ場所──太鼓橋と百目鬼の門へと繋がっている。
「でも、根の国側は違うんです」
そう言って、日入は鳥居を指差した。
「こっちの鳥居は接続先を変えられます。東にも行けるし、西にも行ける。予約した場所に合わせて繋ぎ替えてるんですよ」
「どこでもドアみたい……」
四葩がぼそりと呟く。
日入もその元ネタは知っているらしく、可笑しそうにくつくつと笑った。
「管理しているのは臍府ですから、どこへでも自由に行ける訳じゃありませんけどね。不法入国、不法出国、密輸──それから死者の無断帰省なんかもありますし」
「死者の無断帰省って何だよ」
相生が眉をひそめる。幽霊絡みの話となれば聞き流せない。
「お盆を待ちきれなかった人たちですよ」
日入は何やら指を折って数えた。
「生に未練のある死者は案外多いんです。たとえば冬に死ねば、次に現世へ帰れるのは夏の盆。半年以上も待たされる訳ですからね」
その間、現世で何が起きても知る術はない。
残された家族は元気にしているだろうか。
恋人は泣き止んだだろうか。
飼い犬は、自分を忘れてしまっていないだろうか。
そんな思いに駆られ、禁を破って門を潜ろうとする死者は少なくないのだ。
「で、こっそり門を抜けようとすると?」
「未遂なら厳重注意で済みます。ですが、実際に現世へ戻ってしまった場合は厄介です」
日入の声が、わずかに低くなった。
「勝手に出た死者は、帰り道を見失うことが多いんですよ。根の国へ戻れなくなって、そのまま浮遊霊や地縛霊になる。そうして長い年月を漂ううちに、自我も少しずつ擦り切れていきます」
四葩は思わず肩を震わせた。
事故物件。心霊スポット。廃病院やトンネル。
配信のために訪れ、綴たちに祓ってもらった数々の霊の姿が脳裏を過る。
あの中にも、お盆を待ちきれなかった者がいたのだろうか。
家族に会いたかっただけ。恋人の様子を見たかっただけ。
その思いの末路がそれかと思うと、少し残酷な気がした。
「だから、盆の帰省制度を使うべきなんです」
日入は諭すように言った。
「葉月の間は、希望する死者に現世への帰省許可が下ります」
死者たちは霊体となって故郷へ帰る。
家族や友人の傍らに立ち、その暮らしを見守る者。
墓前に供えられた花や線香を眺める者。
生前どうしても行けなかった場所へ足を運ぶ者。
それぞれが束の間の里帰りを終えると、再び根の国へ戻ってくるのだという。
「観光までしてんのか」
「らしいですよ。せっかくの里帰りですからね。地元を散歩だけして帰るのも味気ないでしょう」
日入はそう言って、人差し指を一本立てた。
「ただし、注意事項もあります」
「注意事項?」
「まず、霊媒師に見つかると祓われて強制送還される場合があります」
調子に乗って派手な真似をしなければ、大抵は見逃される。だが、それも運次第だ。
どちらかといえば霊媒師側の人間である四人は、なんとなく気まずくなって目を逸らした。
「それから、盆の最終日までに必ず門を潜ること。期限を過ぎると帰る手段を失い、浮遊霊になります」
最終日には、朝から各署で送り火が焚かれ、帰還を促す放送も流されるという。
それでも戻らなかった者は自己責任だ。
根の国の役人たちは、それほど親切ではない。
現世に幽霊が増えても、彼らは別に困らないからである。
「だから帰省する死者も、大半が一日二日で戻ってきます。もちろん、中には帰らない者もいますがね」
綴たちは「へえ」と相槌を打った。
もし自分が死んだらどうするだろう。そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
「式の途中で、ここまで来るんですよね?」
話が脇道へ逸れかけたところで、瓢が軌道を戻した。
青い鳥居を見上げながら確認すると、日入は頷く。
「ええ。花嫁行列で通りをまっすぐ進んで、その足で臍府へ婚姻届を提出する予定です」
笑壺家次期当主ある粧子の婚礼は、けらけら通り総出の一大行事になるらしい。
親族だけで静かに盃を交わすような式ではない。
粧子自身の希望もあって、通り一帯を巻き込んだ盛大な催しになるという。
もっとも、商人たちも歓迎していた。
限定商品を売り出す者。
見物客向けの屋台を準備する者。
通りのあちこちで、早くも婚礼特需の話が飛び交っているらしい。
当日は根の国中から客が押しかけ、けらけら通りは身動きも取れないほど賑わうだろう。
四葩は鳥居と雑木林を見比べた。
「……だったらさ」と、何か閃いたように顔を上げる。
「この門が使えたら、かなり有利じゃね?」
確かにその通りだった。
式の最中に常一を連れ出し、この門を抜けてしまえば、一気に中ツ国へ逃げ帰れる。
屋敷からは離れているし、見物客で通りはごった返しで警備の目も散るはずだ。
花嫁である粧子も、豪奢な衣装に身を包んだままでは自由に動けまい。
最短距離で目的を果たせる案だった。
だが、日入はすかさず首を横に振った。
「門を開く許可を取るのが中々難しいんですよ」
「そんなに?」
「通行手形を持つ商人ですら、その都度申請が必要ですからね。うちは笑壺家の名前がある分、まだ通りやすい方です」
日入は「やれやれ」とでも言いたげに顎を撫でた。
「そもそも臍府からすれば、『何故、結婚式の最中に現世へ行く必要があるんですか?』という話になりますし」
綴たちは揃って黙り込んだ。正論だった。
花婿とその友人たちが、婚礼の最中に揃って現世へ向かう。
事情を知らない役人から見れば、意味不明どころか不審な行為である。
仮に正直に事情を説明したとしても、その確認は当然、花嫁側へ向かうだろう。── つまり粧子だ。
その時点で計画がどうなるかなど、考えるまでもなかった。
「それに、通行料の問題もあります」
日入の言葉に、四人は揃って「ああ……」と頭を抱えた。
清遠も言っていたが、中ツ国の人間が根の国を出入りするには、相当な通行料がかかる。
幸い、綴たちの帰還手続きはすでに笑壺家が済ませていた。帰りの通行料も支払い済みだ。
だが、それはあくまで四人分。
常一は本来、粧子の婿として根の国に永住する身だ。
中ツ国へ戻るための手続きなど、最初から存在していない。
「そんな大金、持って来てねぇよ……」
四葩は額を押さえた。
普段は電子決済ばかりで、財布の中身すら怪しい人間である。
当然、根の国の通貨など持っているはずもない。
かといって換金しようにも、中ツ国へ現金を取りに戻る時間は残されていなかった。
青い鳥居の向こうで、ざわりと風が雑木林を揺らした。
目の前に帰り道がある。それなのに、手を伸ばしても届かない。
そんなもどかしさが、その場に漂った。
しばらく沈黙が続いたあと、瓢が小さく息を吐く。
「……とにかく、臍府へ行くしかない」
門が使えないと決まったわけではない。
良心的な対応は期待できないが、まずは臍府で話を聞くべきだ。
「ええ。通りを抜けたら、もうすぐですよ」
日入はそう言って踵を返した。
四人は青い鳥居をもう一度だけ見上げて、それからその背中を追う。
振り返れば、鳥居は変わらずそこに立っていた。
けれど、その向こう側はひどく遠く感じられた。
2026.6.14




