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ゴーストライター  作者: 佐田読子


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15/15

15【根の国】



根の国を担う、鸞翔鳳集の城──臍府。

日入を先頭に、一行は城へ続く石橋を渡った。

橋の下には、透き通る水が静かに湛えられている。

陽光を受けて煌めく鯉たちが、ゆったりと尾を揺らしていた。

その姿は穏やかで美しいのに、底の方がやたら暗い。

覗き込めば、どこまでも続く深淵が口を開けているようにも見えた。


「綺麗……」


綴がそれを見てぽつりと呟くと、日入が振り返った。


「気を付けてくださいよ。一度落ちると底がなく、どこまでも沈んでゆくと言われていますから」


「は?」


四葩がぎょっとして、慌てて橋の中央へ寄る。

その一方で、綴は徐ろに欄干へ身を寄せた。


「本当に底がないのかな……」

「綴ちゃん、マジ危ないから下がれって」


四葩に肩を引かれても、綴の視線は水面に吸い寄せられたままだった。

鯉の影が揺れるたび、水底らしきものが見えた気がして、次の瞬間には消えてしまう。


「確かに気になるね」


いつの間にか瓢も欄干へ肘を付いていた。相生まで、つられるように橋の下を覗き込む。


「お前ら、さっきの話聞いてた?」


三人が揃って身を乗り出す様子に、四葩と日入は顔を見合わせ、苦笑を交わした。



橋を渡り切ると、高い塀と重厚な門が待ち構えていた。

古びた木材には、無数の目玉を思わせる木目が浮かび上がっている。

その一つが、まばたきをしたように見えて、四葩はぎょっとして退いた。

だが、見間違いではない。今度は別の木目がゆっくりと瞼を閉じ、また開いた。

門全体が、こちらを観察しているようだった。


「門や塀には目目連の妖術がかけられています。中ツ国で言う監視カメラみたいなもんですね」


日入は慣れたものだ。

綴も門を見上げると、木目のひとつと目が合った。


左右へ続く塀はどこまでも高く、簡単には乗り越えられそうにない。

門の上には見張り櫓まで設けられていた。


「結構、厳重に警備してるんですね?」

「まあ、死者は大抵おとなしいですよ。悪い奴は奈落に行ってるんでね」


日入は足元を指差した。

奈落は文字通り、この世界の遥か下方に存在するとされる、いわば地獄だ。


「ただ、妖怪筋には血の気の多い連中もいますから。臍府に恨みを持つ者もいますし、逆に臍府が捕まえたい連中もいます」

「警察署みたいなこともやってんの?」

「裁判所と警察と役所を全部まとめたようなもんですよ。──さあ、入りましょう」


正門をくぐると、正面に巨大な提灯を掲げた平屋が現れた。

白地の提灯には、『律』の一文字だけが墨痕鮮やかに記されている。


「ちょいと、入府許可証を取ってきます」


日入はそう言って、急ぎ足で平屋へ入っていった。

綴たちは人の流れを避けるように端へ寄り、その帰りを待つ。

平屋の前では、死者や妖怪たちが番号札のようなものを手に列を作っていた。

窓口の奥を覗けば、職員らしき者が忙しなく書類を捌いている。


「ここだけ見ると、本当に役所っぽいな……」


相生がぼそりと呟いた。

綴は答えず、平屋の向こうを見上げた。

巨大な城が、空を支えるように聳えている。

歩を進めるたび近付いているはずなのに、不思議と距離が縮まらない。

むしろ遠のいていくようですらあった。

百目鬼の門を越えた時に感じた威圧感が、再び胸の底に沈む。

滑家の人々は、あの天守閣にいるのだろうか。

そう考えた途端、とても辿り着ける気がしなくなる。

現世で言えば、突然「総理の親族です」と名乗っただけ人物を、そのまま国会議事堂の奥へ通すようなものだ。

どう考えても門前払いが関の山である。


「お待たせしました」


案外早く、日入は戻って来た。

綴たちも番号札を持たされて列に並ぶのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

それに、様子がおかしい。

いつもの飄々とした笑みはなく、困惑と警戒が入り混じった顔をしている。何か予想外のことでも言われたのだろうか。


「どうしました?」

綴が尋ねると、日入は鼻の頭をぽりと掻いた。


「いや、それが……」

めずらしく歯切れが悪い。


「受付をしたら、“(おん)”へ行けと言われまして……」

「御?」


相生が聞き返す。


「ええ。私も詳しくは知らないのですが……説明するには、まず臍府の仕組みからですね」


日入はそう言って、一枚の紙を差し出した。臍府の敷地案内図らしい。


「まず、臍府には、『政』『律』『計』『商』『問』『御』の六つの寄合が置かれています」


『政』は国を治める。

『律』は罪を裁き、秩序を守る。

『計』は経済を司る。

『商』は商いの発展を支える。

『問』は学問と研究を統括する。


それぞれが役目を担い、互いに力を合わせることで、根の国の繁栄と安寧は保たれている。


──── そして、『御』


「ただ、この寄合だけは少々特殊でしてね」


『御』は神事を司る部署だ。

表向きに明らかになっているのは、それだけだった。


国主催の祭祀を取り仕切っていることは知られている。

だが、それ以外に何を担っているのかは誰も知らない。


所属する者は誰なのか。どのような権限を持つのか。そもそも、何人いるのか。

その実態は一切公開されていなかった。


臍府の中には確かに『御』の寄合所が存在する。

しかし、そこに置かれているのは受付用の電話が一台だけ。

出入りする者を見た者はなく、所属していたという記録すら残されていない。


創設者たる妖怪たちは、何のためにこの部署を設けたのか。

神事とは何を意味するのか。

その答えを知る者は、今や誰一人として存在しない。

まるで濃霧の向こうへ隠されたかのように、『御』は今日も沈黙を守り続けている。


「なぜ、そんな所へ? 僕らが生者だからですか?」

「いえ、生者云々の前に、記名をしただけで案内されたので……」


瓢の問いに、日入も困ったように首を捻った。

どうやら本人にも、まったく心当たりはないらしい。

綴たちは正規の手続きを経て、根の国へ入っている。

生者であることを理由に呼び出される筋合いはないはずだ。

仮に何らかの不備があったとしても、それを取り締まるのは『律』の役目である。


「受付はいつもの顔触れでしたけど、手違いじゃないかと思うんですがね。ただ、何を聞いても『御へ行け』の一点張りで……」


頭を掻きながらぼやく日入に、綴たちは顔を見合わせた。

日入に騙されている可能性はある。笑壺家が裏で手を回しているのかもしれない。

だが、どうにも腑に落ちなかった。

そんな回りくどい真似をするだろうか。笑壺家なら、屋敷の中だけで自分たちをどうにでもできるはずだ。


「……大丈夫なのか?」

相生が訝しげに尋ねる。

日入は少し考えるように間を置き、それから曖昧に笑った。


「分かりません。ただ、呼ばれた以上は行くしかありません。無視して後で怒られる方が嫌ですしね」


むしろ、怒られる程度で済むならまだ良い。

秘密主義の御が相手では、何をされるのか見当もつかなかった。


「私も御なんて初めてですが……まあ、取って食われることはないでしょう」

「その言い方、不安になるからやめろよォ……」


四葩はさっと瓢の背後へ隠れ、肩を縮こまらせた。

だが、瓢も余裕綽々という顔ではない。


「とにかく、行ってみましょう」


日入はなおも釈然としない様子でそう言うと、先に立って歩き出した。





「御の寄合は、城内にはないんです」


臍府の城は、真下から見上げるとますます壮観だった。天守閣など、雲の上にあるかのように霞んで見えない。


通り過ぎる際にちらりと城内を覗けば、幾筋もの廊下や渡り廊下が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、その間を大勢の者が忙しなく行き交っていた。

頭上には行き先を記した提灯が幾つも浮かんでいる。触れれば目的地まで案内してくれるのだという。


「便利だな……」

瓢は感心したように提灯を見上げた。

綴もつられて歩調を緩める。せっかくなら城内も少しくらい見て回りたかった気持ちはあるが、そうも言えない状況だ。


日入は城の正面入口を外れ、人通りの少ない脇道へ四人を導いた。

賑わいは背後へ遠ざかり、絶えず聞こえていた話し声や足音も次第に薄れていく。


やがて現れたのは、城郭の陰にひっそりと設けられた石階段だった。

苔むした石段が山の斜面へ向かって真っ直ぐ伸び、その先は深い木立に呑まれて途中から見えなくなっている。


「……こんな所に?」


四葩は未だ瓢の背後に隠れたまま、不安げに顔を上へ向けた。

石段の先では木々が鬱蒼と枝を重ね、昼だというのに薄暗い。

風が吹くたび枝葉が擦れ合い、さらさらと葉擦れの音だけが頭上から降ってきた。


「私も上まで行ったことはないんですよ。若い頃に肝試しで途中まで登ったくらいで」


妖怪が肝試しとは──?と内心で首を傾げつつ、四人は日入の後に続いて石段を上った。


一段、一段。

足を運ぶたび、人の気配が遠ざかっていく。


上へ行くほど木々は密になり、昼前だというのに辺りは薄暗い。

枝葉の隙間から差し込む光はわずかで、濃い影が石段の上にまだら模様を落としていた。


風が吹くたび、梢がざわりと揺れる。

やがて最後の石段を越えた五人は、誰からともなく足を止めた。


静かだった。

人の気配も、鳥の声さえも遠く、そこには張り詰めた静謐だけが満ちている。


目の前には、平屋建ての大きな屋敷があった。

玄関には『御』と墨書きされた提灯が一つ下がり、戸は開け放たれていた。

三和土も隅々まで掃き清められ、塵ひとつ見当たらない。


その整然とした光景の中で、ただ一つだけ異質なものがあった。

木製の台の上に鎮座する、真紅の電話機だ。


『御用の方はダイヤルを回して下さい』

電話機の下には、そんな文言を書いた古びた紙も貼られていた。


「誰かいませんか?」と日入が声を掛け、屋敷の中を覗き込む。

返事はない。内部もひっそりと静まり返っていた。人の気配はおろか、物音一つ聞こえない。

それに、どうやら結界が張られているらしい。

上がり框の辺りで、透明な膜のようなものがかすかに揺らめいていた。


「電話をかけるしかなさそうですね」「ええ。しかし、番号が……」


内線表でもないかと辺りを見回し始めたところで、日入が「あ」と声を漏らした。

そういえば、受付で封筒を渡されている。

『御』の前でしか開かないよう術が施された、小さな封筒だ。

日入は手のひらに収まるそれを取り出し、封を切った。

中には名刺ほどの紙が一枚入っており、十桁の数字が手書きで記されている。


「……誰か、かけますか?」

「いや、その、やり方がいまいち分からないので……」


綴たちは気まずそうに顔を見合わせた。

いずれも固定電話や公衆電話すらほとんど使わない世代だ。まして、ダイヤル式の電話など触ったこともない。


「じぇねれーしょんぎゃっぷってやつですか……」


軽いショックを受けながら、日入は受話器を持ち上げた。

手書きの番号を確かめながら、数字を一つずつ回していく。

ジーコ、ジーコ……。

古びたダイヤルの戻る音だけが、静まり返った屋敷に響いた。


やがて呼び出し音が鳴る。一度。二度。

三度目のベルが鳴ったところで、ブツッと音が途切れた。


『どちら様ですか?』


受話器の向こうから聞こえてきたのは、男とも女ともつかない無機質な声だった。


「あの、日入と申します。受付でこちらへ伺うよう言付かりまして……」


すると相手は数秒だけ黙り込み、『畏まりました』とだけ告げて無遠慮に通話を切った。

つー、つー、と乾いた音だけが耳に残る。


「……え?」


日入が戸惑いながら受話器を置いた、その時だった。

誰かが廊下を歩いてきた気配も、戸の開く音もなかった。


「こちらへどうぞ」


いつの間に現れたのか、上がり框に一人の人物が立っていた。

声色からすれば女性なのだろう。しかし、確信は持てない。

相手は狩衣をまとい、顔の下半分を白い布で覆っていた。

露出した目元にも感情らしいものは見えない。

そこにあるのは、光を映すだけのビー玉のような瞳だけだ。


まるで電話を切るのを合図に現れるよう仕組まれた、絡繰人形みたいだった。


「お履き物は、こちらへお願いします」


その人物に案内され、一行は屋敷へ上がった。

四葩は最後まで靴を脱ぐのを渋っていたが、

「いいから、早くしろ」

相生に急かされ、ぶつぶつ文句を垂れながら、しぶしぶ靴を脱いだ。



屋敷の中は、ひと言で言えば殺風景だった。

襖も障子もすべて閉め切られており、床にも壁にも装飾の類は一切ない。

モデルルームのように真新しく、人の住む家らしさが感じられなかった。

誰かが用意しただけの借り物のような空気がある。


さらに異様だったのは、廊下の硝子戸越しに見えた蔵だ。

扉も窓もない白壁の蔵が、庭の奥に三棟並んでいた。

蔵である以上、出入り口があるはずなのに、それらしいものはどこにも見当たらなかった。


誰が何を聞いても案内人は終始無言のまま、足音ひとつ立てずに楚々と前を歩いた。

やがて廊下の途中で立ち止まり、そこでようやく口を開いた。


「日入様は、こちらの部屋でお待ち下さい」


そう言って案内人が襖を開けると、中には四畳ほどの質素な和室があった。畳と座布団、それ以外には何もない。

しかも促されたのは、日入だけである。


「なぜ、彼だけなんです?」


瓢が一歩前へ出て、問い掛けた。

だが、案内人はぴくりとも表情を変えない。


「日入様は、こちらの部屋でお待ち下さい」


ただ同じ言葉を繰り返すだけだった。


「彼も一緒に行動したいのですが?」

「日入様は、こちらの部屋でお待ち下さい」


問いに答えているのではなく、決められた文言を決められた場所で告げるだけ。

まるでゲームのNPCを相手にしている気分だった。

四葩が「こえぇ……」と小声で呟く。


「仕方ありません。ここは従いましょう」


日入は苦笑を浮かべると、やむを得ず部屋へ入った。

すかさず、案内人が襖をピタリと閉じる。

日入の姿が襖の向こうへ消えると、四人の胸の内に僅かな心細さが広がった。

頼みの綱を、一本断たれたような気分だった。


「こちらです」


だが、案内人は何事もなかったかのように踵を返し、残された四人をさらに屋敷の奥へと導いた。

相変わらず言葉はなく、笑壺家のように使用人たちが廊下を行き交うこともない。


静まり返った屋敷を進み、やがて案内人は一枚の襖の前で立ち止まった。


「こちらの部屋にお入りください」


それだけ告げると、一礼し、案内人は来た道を戻っていった。


「えっ、終わり?」


四葩が思わず声を上げる。

しかし案内人は振り返ることもなく、そのまま廊下の奥へ消えていった。

前置きも説明もないのなら、せめて中まで案内してほしい。

そんな不満を抱いたところで、目の前の襖は閉ざされたまま、「入れ」とだけ告げているようだった。


「…………開けよう」


先陣を切って、瓢が襖に手を掛けた。

全員が自然と身構える。

御。その正体も目的も不明な組織に、わざわざ呼び出された以上、ただ事ではないはずだ。

四葩は唾を飲み込み、綴は無意識に胸元の万年筆へ手をやった。相生も固く拳を握る。

瓢は一度だけ皆の顔を見回し、意を決して襖を引いた。


「たったらら~ら~!」


乾いた破裂音が部屋中に響いた。

色とりどりの紙吹雪が盛大に舞い上がり、四人の顔面へ容赦なく降り注ぐ。


「…………は?」


部屋の壁には、折り紙で作られた輪飾りが賑やかに吊るされていた。

畳の上には風船がいくつも転がり、隅には『いらっしゃい』と書かれた手作りの横断幕まである。

四人はしばらく無言で室内を見回した。

秘密組織の寄合所に来たはずが、どう見ても、小学生の誕生日会場である。


「…………何してるんです?」


いち早く我に返った瓢が、唖然としながら目の前の老人に問い掛けた。

老人は腹の底から豪快に笑うと、瓢の肩をがしっと掴み、ぐわんぐわんと揺さぶる。


「歓迎じゃないの、歓迎! 二年ぶりの再会だよ!」

「いや、意味が分かりません」


なされるがまま、瓢は白い目を向けた。

しかし老人は意に介した様子もなく、廊下に立ち尽くす綴たちへ目を留めると、さらに顔を輝かせた。


「一途も来てるじゃないの。久しぶりだね」


そう言うや否や大股で歩み寄り、綴の腕を掴んで部屋の中へ引き込む。

足元では薄緑色の風船が、ぽよん、と跳ねた。


「お、お久しぶりです……?」「うん、元気そうで何よりだわ」


戸惑う綴と強引に握手を交わした老人は、今度は相生へ目を向けた。


「お。お前さんが流転か? ううん、良い体してるね」


初対面だというのに遠慮なく胸板をばしばし叩かれ、相生はスッと身を引く。その拍子に壁を飾る輪飾りへ頭をぶつけ、今度はそれを邪魔そうに手で払いのけた。


「おじい様も、全く、お変わりないようで」


その様子を眺めながら、瓢が半ば当てつけのように言った。

老人は飄々とした笑みを浮かべたまま、悪びれもせずピースサインを返す。

そう、この老人こそ───瓢の祖父、揺蕩であった。


「なんと! 一輪か! 大きくなったもんだ!」


揺蕩は襖の陰に隠れていた四葩を見つけるなり、熊のような勢いで飛びかかった。


「うわっ!?」


逃げる暇もなく頭を掴まれ、ぐしゃぐしゃぐしゃと容赦なく撫で回される。


「やめて! 痛い! 髪ぐちゃぐちゃ!」


四葩が必死に暴れるが、揺蕩は愉快そうに笑うばかりだ。


「はっはっは。相変わらずガキだね、お前は」

「ガキじゃねぇよ!」


ようやく解放された四葩は、乱れた髪を押さえながら部屋の隅へ逃げ込んだ。そして飾り付けの風船をかき集め、せっせとバリケードを築き始める。


「やっぱりクソジジイじゃん!」


風船の向こうから目を吊り上げる四葩に、瓢はやれやれと顳顬へ手を当てた。

四葩がここまで揺蕩を毛嫌いするのには、ちゃんと理由がある。


───真夏の太陽が降り注ぐ、暑い日曜日の午後。


小学五年生だった四葩は、瓢家を訪れていた。

幼なじみの凰介と遊ぶためだ。

瓢家の邸は広い。庭には木陰が多く、家の中へ入れば外の暑さが嘘のように涼しかった。

四葩はその空気が好きで、用がなくても遊びに来たくなるほどだった。

訪ねれば、いつも凰介の母がおやつを出してくれる。

けれど、その日は婦人会だか何だかの集まりで留守にしていた。

代わりに現れたのが、凰介の祖父、揺蕩だった。


「僕もまぜてよ、ぼっちゃん方」


そう言って凰介の部屋へ入ってきた揺蕩は、片手に菓子袋を提げていた。

普段は別邸で暮らしており、四葩少年は挨拶を交わしたことが二、三度ある程度だった。

けれど、その気取らない人柄のおかげで、緊張はすぐに解けた。


三人でテレビゲームを始めた。

意外にも揺蕩はゲームが上手く、しかも容赦がない。

子ども相手だろうと手を抜かず、勝てば本気で喜ぶ。

そのせいで四葩少年も凰介も意地になり、気付けば何戦も続けていた。

けれど、子どもは移り気だ。

やがてゲームにも飽きがきて、今度は体を動かす遊びをしたくなった。


「隠れ鬼でもしないかい?」


言い出したのは、揺蕩だった。

鬼も揺蕩が引き受けてくれるというので、二十数える間に、四葩少年は台所近くの納戸へ潜り込んだ。

納戸には古い玩具や使わなくなった家具、錆びた缶詰が雑多に押し込まれている。

大人から見ればただの物置だろうが、四葩少年にとっては少し秘密基地のような場所だった。

凰介と二人で籠って遊んだこともある。


いつ見つかるだろうと胸を躍らせながら息を潜めていると、納戸の奥でカタンと何かが落ちる音がした。

四葩少年は振り返った。

しかし、そこには何もない。ただ棚や段ボールが並んでいるだけだった。

気のせいかと思いかけて、ふと違和感を覚える。

暗い。

納戸は元から薄暗い場所ではあるが、こんなにも奥が見えないことはなかった。いつもなら棚の一番奥まで見渡せるはずなのに、途中から先だけが、墨を流したように真っ黒に塗り潰されている。

その暗闇の向こうで、ずず……と何かを引きずるような音がした。

背筋が粟立つ。

目を凝らした先で、闇がゆっくりと蠢いた。


─────女が、いる。


だらりと垂れ下がる髪。

人の形をしているはずなのに、その動きは明らかに不自然だった。


四葩少年は震える息を呑んだ。逃げなければならない。

そう理解しているのに、体が動かない。

心臓ばかりが激しく脈打ち、手足は氷のように冷え切っていた。


女はなおも近付いてくる。

ゆら、ゆらと揺蕩うように腕を揺らしながら。


ようやく我に返った四葩少年は、強張った手で戸にしがみつき、半ば這うように納戸を飛び出した。


明るい廊下へ転がり出ると、慌てて戸を閉める。

しかし、腰が抜けてしまい、その場から動けなかった。


すると── 閉めたはずの戸が、ぎぃ……と軋みを立てながら、ゆっくりと開き始めた。

隙間からまず覗いたのは、白髪混じりの長い髪だった。

続いて現れた蒼白い手には、鈍く光るカッターが握られている。

その姿を見た瞬間、四葩少年は、生まれて初めて聞くような甲高い悲鳴を上げた。


「ほい、タッチ」


間の抜けた声と共に、揺蕩の手がぽんと四葩少年の頭を叩いた。

途端、目の前にいた女の姿が、煙が散るように掻き消える。

長く垂れた髪も、青白い皮膚も、鈍く光るカッターも。

まるで最初から存在しなかったかのように消え失せ、代わりに一枚の紙切れがひらひらと廊下へ落ちた。


四葩少年は呆然と、その紙切れと揺蕩の顔を交互に見比べた。

理解が追いつかない。

数秒遅れて、全身から力が抜けた。

安心したのか、それとも恐怖が限界を超えたのか、自分でも分からない。

とにかく、涙と鼻水が一気に溢れ出した。

「う、うわあああああん!!」

盛大に泣き出したところへ、悲鳴を聞きつけた凰介が廊下を駆けて来た。


「どうした!?」


そして現場を見るなり、凰介は「嗚呼……」と全てを察した顔になった。

床には人型の紙切れ。その傍らには悪びれもせず立つ祖父。そして、泣きじゃくる四葩。

状況証拠は十分だった。


「おじい様、やりすぎです」


呆れたように凰介が言うと、揺蕩は心底分からないという顔で首を傾げた。


「せっかく隠れ鬼するなら、刺激的な方がおもしろいでしょ?」


そう言って紙切れを拾い上げると、懐に仕舞う。

それは揺蕩の式神だった。

どうやら最初から納戸に潜ませていたらしい。


「おもしろくない!」


四葩少年は涙目のまま喚いた。


「怖すぎる! 死ぬかと思った!」

「大丈夫。そんな簡単には死なないよ」

「死ぬ!」

「まったく、ノミの心臓だなァ。ほら、生きてるでしょ」


この一件以来、四葩は瓢家へ寄り付かなくなった。

凰介と遊ぶのをやめたわけではないが、もっぱら外か四葩の家になったのは言うまでもない。

当の揺蕩本人は、凰介の母からしこたま叱られたものの、今でも「あれは楽しかったなあ」と本気で思っていた。


「全然家に来ないから、つまらなかったよ」

「誰のせいだと思ってんだよ!」

「そのくせ、心霊系配信者なんてやってるんでしょ?」

「げっ。なんで知ってんの?」

「死ぬ前に凰介から聞いたの。暇つぶしにいくつか見たよ」


揺蕩がにんまりと口の端を吊り上げた。

四葩はぎょっと目を見開き、風船のバリケードを放り出して瓢を睨む。


「言ったのかよ!?」

「いや、別に隠すようなことでもないかと……」


飛んできた風船をポンと弾き返しながら、瓢は気まずそうに目を逸らした。


「雑魚霊ばっかり相手にして。あんなもの、肝試しにもならないでしょ」

「そんなヤバいの必要ねぇんだよ、エンタメに。視聴者だってホンモノなんか求めてねぇし」


四葩が「見えた!」だの「今なんかいた!」だのと大騒ぎし、その様子を視聴者が面白がるくらいで丁度いいのである。

瓢家が依頼を受けるような怨霊を配信に乗せれば、画面越しでも障りが出かねない。


「ちょっとした事で縮み上がっちゃうのに、どうして心霊なんて関わるの?」


揺蕩の素朴な疑問に、ぐ、と四葩は言葉に詰まった。


「それは……」


口を開きかけて閉じる。

しばらく唸るように唇を尖らせていたが、やがて観念したように目線を下に落とした。


「……普通の会社員が、圧倒的に向いてなかったんだよ」


四葩だって就活はした。

特別やりたい仕事があったわけではないが、いつまでも親のスネをかじっているわけにもいかない。

家から近いとか、給料がそこそこだとか、休みが多いとか。

正直、志望理由なんてその程度だった。

それでも企業理念だの将来性だのを調べて、それらしい言葉を並べ、面接を受けた。

結果、地元の中小企業に就職はできた。

だが、二年で辞めた。

安い給料でこき使われ、目標を立てろだの、業務改善を提案しろだのと言われる。

達成できなければ評価は下がり、昇給もない。

同僚たちは「そんなもんだ」と受け流していた。

だが、四葩には無理だった。

会社のために頑張れと言われるたび、自分ばかりが都合よく搾り取られている気がした。

納得できなかった。

不満を飲み込んで折り合いをつける。

それが会社員というものなのだとしたら、四葩には到底なれそうもなかった。


「でも資格も何もねぇし、動画配信なら素人でもワンチャンあるかと思って始めたんだよ」


駆け出しの頃は、質より数だと割り切って毎日ガムシャラに投稿した。

流行っているものには片っ端から飛びついた。

歌ってみた。踊ってみた。大食い。チャレンジ企画。

思いつく限り何でもやったが、所詮は二番煎じだ。

特別な才能があるわけでもなく、再生回数は悲惨なものだった。


「そん時に、ふと思い付いたのが心霊系だったんだよ。需要があるのは知ってたし……凰介がいればネタにも困らないし。何より安全だし……」


言い訳するように語る四葩に、揺蕩は「あれまァ」と呆れたように息を吐いた。


「情けない動機だこと」

「オバケが苦手になったのは誰のせいだよ、このトラウマ製造機!」

「褒め言葉として受け取っておこうね」

「褒めてねぇんだよ!」


ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる四葩の抗議を、揺蕩はのらりくらりとかわす。

綴と相生は完全に蚊帳の外で、二人して壁の装飾をいじっていた。

その様子を見ていた瓢は、とうとう堪え切れず額を押さえた。

「一輪、ちょっと落ち着いて」

ぱしっと強めに肩を叩かれ、四葩は不満げに唇を尖らせる。

「おじい様も、からかうのはその辺にして。ちゃんと説明して下さい」

孫の容赦ない視線を浴びて、揺蕩は「むう」と困ったように唸った。



四人に座布団を投げて寄越した揺蕩は、座卓を挟んで「よっこらしょ」と腰を下ろした。

すると、まるで頃合いを見計らっていたかのように、廊下の向こうからころころと小さな影が部屋へ集まってくる。

綴たちが目を凝らすと、それは小さな鬼だった。

どれも拳ほどの大きさしかなく、丸々とした体にちょこんと角が生えている。十匹近くが列を作り、よたよたと器や盆を運んでいた。

中には、冷茶の入ったグラスを二匹がかりで抱えている者もいる。

「家鳴だ。ここの小間使いみたいなもんだな」

揺蕩は平然とした顔で、小鬼たちから盆を受け取る。

家鳴たちは茶や菓子を配り終えると、揃ってぺこりと頭を下げた。

そして数匹で力を合わせて襖を閉めると、わらわらと好き勝手な方向へ散っていく。

相生は案外こういう小さな生き物が好きな質なので、

(何匹か譲ってくれねぇかな……)などと考えていた。


「さて」


この部屋に通されてから、すでに十五分ほどが経っていた。


すっかり本題から逸れてしまっていたが、綴たちの目的だった揺蕩には会えたのだ。

誰からどう切り出そうかと躊躇しているうちに、揺蕩が先に口を開いた。


「まず初めに断っておくが、御については何も語れない」


その言葉に、綴たちは無言で頷いた。

もとより、そこに期待していたわけではない。

得体の知れない組織ゆえ気にはなるが、その正体をどうしても知りたいわけでもなかった。

いま優先すべきは、御の秘密を暴くことではない。


「まあ、凰介は死ねば知ることになる。瓢ではなく、滑の姓を名乗ることになるからね」


揺蕩はこともなげに言って、饅頭の袋をばりりと破った。

『二国分流記』に記されていた内容──瓢の者は死後、滑家へ属する。

どうやら、あれは事実らしい。

そして同時に、御という組織が滑家の支配下にあることも、揺蕩は遠回しに示していた。


「ここにお前たちが来ることは分かってたよ」


揺蕩は饅頭を頬張りながら、四人の顔を順に眺めた。


「僕の占いは百発百中でしょ。特に、こっちではよく当たるんだ」


にやりと笑う。


占いに関しては、瓢家に揺蕩の右に出る者はいない。

それは本人の大言壮語ではなく、一族の誰もが認める事実だった。

未来を見通す千里眼とまで評され、その予見は幾度となく現実となってきた。

生前から異様なほど冴えていたその力は、死してなお衰えるどころか、ますます鋭さを増しているらしい。


「さて──問題は、笑壺家の花婿の件だろう?」


揺蕩は眼鏡を指先で押し下げ、瓢をじっと見据えた。

生前と何一つ変わらぬ、人の腹の底まで見透かすような目だった。

瓢もまた目を逸らさず、「ええ」と頷く。


「こちらでも少し話題になっていた。無論、生者から婿を取ること自体は禁止されてないよ。前例がないわけでもない」


また饅頭をひとかじりし、揺蕩はそこで一度言葉を切った。


今でこそめっきり聞かなくなったが、昔は妖と人間が夫婦となることも決して珍しくなかった。

根の国に目を向ければ、死者と婚姻を結ぶ妖も存在する。


「だが、今回の件は些か事情が違う。笑壺のお嬢さんが中ツ国へ渡ったのは、確認されている限り一度きり。その短い滞在で生者と恋仲になり、双方合意のうえで婚約し、そのまま死後の国へ連れて来た──などという話は、さすがに出来すぎている」


揺蕩は冷茶で唇を湿らせると、大袈裟なため息を吐いた。


「要するに、電撃婚にも程があるってことさ。恋物語ですら、もう少し過程を描くでしょ。十人中十人、まず誘拐を疑うだろうね」


実際、その疑いはもっともだった。

生者との婚姻では、妖が中ツ国へ移り住み、伴侶が天寿を全うした後、ともに根の国へ渡るのが一般的である。


愛する相手に「結婚したいから死んでくれ」などと告げる者は、まずいない。


「本人の同意を得ているのならまだしも、そうでない場合は厄介よ。中ツ国との関係を友好に保つうえで、生者を攫ったという前例は好ましくない。

ただでさえ両国の往来は慎重に管理されているんだ。……まあ、その辺りの話は今はいいさ。面倒くさい」


揺蕩は露骨に話を打ち切るように手をひらひら振った。


おそらく、笑壺家の商い以外にも、滑家──ひいては臍府そのものが、中ツ国と何らかの関わりを持っているのだろう。


中ツ国の人間が根の国で自由に振る舞えないように、根の国の妖もまた、中ツ国では勝手を許されない。


両国の間には、綴たちの知らない約定や均衡が、幾重にも張り巡らされているらしかった。


「笑壺家は、生者のひとりやふたり攫ったところで問題にはならないと考えているんでしょうね。実際、お前たちと知り合いでなければ、花婿本人の意思があったのかどうかなんて、いくらでも誤魔化せるものね」


揺蕩は苛立たしげに鼻を鳴らした。


中ツ国では毎年、膨大な数の行方不明者が出る。

その中に妖による誘拐が数件紛れ込んでいたとしても、表沙汰になる可能性は極めて低い。

誰かが中ツ国側で声を上げない限り、事件は闇に埋もれ、常一は笑壺家の花婿として、そのまま生涯を終えることになっただろう。


「それで、花婿はどんな子なの?」

「青埜常一といって、一輪が雇った編集者です」


瓢が答えると、揺蕩は「ふむ」と顎を撫でた。


そこへ、また襖が開き、家鳴たちが追加の菓子を運んで来た。

しかし、座卓の上の菓子があまり減っていないのを見るや、綴たちの手へあれもこれもと菓子を押し付けた。

まるで孫が遊びに来た時の好々爺である。


「して、お前らはどうするつもりだ?」


揺蕩は今度は最中の袋を開けた。瓢も倣って酒饅頭をひとつ手に取る。


「結婚式をぶっ壊して、常一を現世に連れて帰る」


ころころと床を転げる家鳴を摘まみ上げて起こしてやりながら、四葩が即答した。


「それなら、花婿は身体ごとこっちへ来ているんだろうね?」

「ええ、そのはずです」

「なら問題はない。器がないと話にならないからね」


そのやりとりを聞いて、そういうことか、と綴は胸の内で呟いた。

笑壺のお嬢様が「殺して」と口にした理由も、これで腑に落ちた。


常一は肉体ごと死後の国へ来ている。

だからこそ、現世へ帰ることができる。


逆に言えば、命を奪われてしまえば、その器となる身体を失うことになる。

魂だけになってしまえば、もはや帰る術はない。


日入が粧子の命令を拒んでくれなければ、常一はその時点で現世へ戻る道を絶たれていたはずだ。

こればかりは、日入に感謝するしかなかった。(誘拐の実行犯が彼なのは、ひとまず置いておく)


「お前たちは花婿を連れ帰りたい。こちらは笑壺家に灸を据えたい」


揺蕩は、空の袋をせっせと片付ける家鳴の頭をうりうりと撫でた。


「お互い利害は一致している。どうだ、協力し合おうじゃないか?」


それは、瓢たちにとって願ってもない提案だった。そのために臍府まで駄目元で足を運んだのだと綴が告げると、揺蕩は「それは僥倖」と手を打った。


もちろん、口には出さないが、滑家にとっても都合のいい話だった。

今回の件を不問にすれば、笑壺家──とりわけ粧子はますます増長する。

これまで四大名家の一角として、滑家も笑壺家には少なからず便宜を図ってきた。多少の横暴には目を瞑り、不透明な申請にも黙認を重ねてきた。

だが、その果てにあるのが、生者を死後の国へ連れ去るという暴挙ならば、もはや看過はできない。

一度見逃せば、笑壺家は「ここまでは許される」と学習するだろう。そして粧子が次期当主となれば、その手はさらに中ツ国へ伸びていく可能性がある。


問題は花婿ひとりの処遇ではない。笑壺家が粧子の我儘ひとつで、境界線そのものを押し広げようとしていることこそが、滑家にとっての頭痛の種だった。


だからこそ、この辺りで一度思い知らせる必要がある。

根の国の秩序と安寧。先祖代々守り続けてきたその均衡を、滑家は決して踏み越えさせない。

その一線を越えれば、たとえ四大名家の一角であろうと容赦はしないのだ、と。


「何か……トントン拍子すぎる気がする……」


床に転がる風船を指先でぽんぽんと弾きながら、四葩はぼそりと漏らした。

ここまでは驚くほど順調だった。

だが、肝心なのはこれからだ。全てが思い通りに進む保証など、どこにもない。


「案ずるな、一輪」


対する揺蕩は、余裕たっぷりに目を細め、すっかり氷の溶けた茶をひと啜りする。


「きっと、面白いことになる」

「アンタの『面白い』は信用ならねぇんだよ……」


四葩は風船を抱え込み、相生が開けた酒饅頭をひったくるように奪うと、ふてくされた顔のまま一口で頬張った。





揺蕩とは部屋の前で別れ、四人は再び待機していた案内人に玄関まで導かれた。

行きと同じ、全くの無言だった。


きちんと並べて置かれた靴を履き、屋敷の外へ出ると、日入が待っていた。


「大丈夫でしたか?」


ほとんど同時にそう尋ね合い、互いに「大丈夫だ」と頷く。


「あの部屋で何をされてたんですか?」


綴が尋ねると、日入は「いやぁ」と苦笑しながら頭をかいた。


「箝口の術をかけられて、あとは茶を啜ってましたよ。茶菓子をわんさか出していただいて、腹いっぱいです」

「箝口の術?」

「今日、私がここへ来たことは、臍府を出たら誰にも話せないってことです。御の屋敷のことも、案内人のことも、あなた方の目的もね」


滑家としては、日入のことをまったく信用していないようだった。

綴たちも揺蕩から詳細を語ることを禁じられていたため、「まあ、こちらも似たようなものです」と曖昧に濁す。

ただ一つ。瓢「今後、この件については御の協力が得られます」とだけ瓢から伝えた。

日入には何かと世話になっているだけに、申し訳なさもあった。

しかし、彼が笑壺家に雇われる身である以上、今後どこまで粧子の意に背けるのかも分からない。


日入もそのあたりは心得ているのだろう。

あえて問い詰めることはせず、「御に来たのは正解だったんですね」とだけ言った。


「さて、それじゃあ屋敷に戻って、常一さんを待ちましょう」


日入に促され、四人は御の屋敷をあとにする。


階段を下りる前に、瓢は何とはなしに振り返った。

ゆらりと揺らめく結界の向こうで、揺蕩が楽し気に手を振った───そんな気がした。





2026.7.12

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