名もなき魂【後編】
舞台上では引き続き、悪魔役のルルが指を爪繰りながら裁判を進行させていた。
「この方は、あなたにとってどのような存在でしたか」
「ぼくの大切な人。……主人です」
名もなき魂が、じゃれついた声でママと呼んだ人物。それは、この裁判で何度も話に上がった彼の主人だった。
それを明かした直後、彼の取った行動に、場内全員が違和感を覚えた。
召喚された生霊の前で、跪いたのだ。
……いや、跪きとは若干形が違う。腰をかがめ、舞台に両膝と手のひらを付いている。
「おかえりなさい。ママ」
アダルアに正座や土下座といった文化はない。それも相まって、彼の座りざまは誰の目にもいびつに映るものだった。
動揺からか……、悪魔は水の霊を操りながら、次なる質問を繰り出せずにいる。
すると、悪魔の向かい側から思案げな顔をした天使が歩いてきた。
そして、こう言い放った。
「きみはもしかして……犬、なんじゃないのかな?」
観客も、舞台上も、最初は天使の言っている言葉の意味が分からかった。
だが暗闇に猫目。これまでのシナリオを辿れば、緩やかにその疑問は晴れてくる。
「突拍子もなくなにを。あり得ない。ぼくは人間だ!」
「そう思ってたってだけなんじゃないかな。自分も人間だって。飼い犬が自分のことを、飼い主と同じ人間だと錯覚する。あり得ない話じゃない」
魂は激しく反抗を見せるが、天使は諭すように否定した。
もしそうだとしたら、本人にとって見れば、なんというやりきれない話だろうか。
そんなことを平然と言い放つ天使が、魂の目には冷酷にさえ映る。
「あなたはさっき、ぼくの愛する主人を虐待魔に仕立てようとした。それだけでは飽き足らず今度はぼくを犬呼ばわりとは。弁護する気がないのならご退室願います。話にならない」
終始温厚そうに振る舞っていた名もなき魂が、これまでにない赫怒を見せる。
しかし、気炎を吐かれてもなお、天使が動じることはなかった。むしろ思案げだった目は、なにかを見越したような色に変わっていった。
「その忠誠心がなによりの証拠だよ」
「まだ言うかっ!」
話を止めない天使に怒りを逆撫でされた魂が、牙を剥きながらがなった。
「静粛に!」
閻魔大王が手をパンパンと叩きながら、いざこざの場をいさめた。その閻魔大王の目にも、確信めいた色が浮かび上がっている。
「そなたは猟をする際、鹿を追いかけていたと述べていたの」
「はい、それがなにか?」
この場における最高責任者たる閻魔大王からの質問にも、名もなき魂はトゲの立った語気で答える。それはまるで、邪魔者を追い払うような口ぶりだった。
しかし、礼を失する態度に、閻魔大王が表情を乱すことはない。
「人は鹿を捕らえる際、足で追ったりはせん。追いつめた獲物に矢を放つのが人の役割。その追いつめ役を担うのが犬じゃ。この分担は古代から、そのように相場が決まっておる」
閻魔大王は、生前の彼が犬であったと思しき理由を述べた。その立証は、闘技場内の全ての顔に、新たな発見をしたときと同じ驚きを刻ませた。
成人でありながら、主人に愛撫されていたという珍談。
ぽつねんと床で飯を食べていた理由。
それでも、主人は自分を愛してくれていたと豪語する違和感。
観客たちの脳内で、これまでの様々な矛盾点が溶けるように氷解していく。
「ぼくが……犬」
自分が犬であることを証拠立てられた魂は、愕然とした表情で己の手のひらを見ている。
そこに、同じような表情を浮かべる天使が近寄った。
「思い出したかい?」
天使はその丸みを帯びた唇から、相手を思いやる穏やかな声音を発した。
魂はそれを受け、なにかを諭されたように頷いた。それは、全てを諦めたような、生前の自分が犬であったその事実を受け入れたような、そんな柔和な顔だった。
「きみは、どうして死んじゃったのかな?」
天使は頃合いを見ると、最初の質問に戻った。それは、この魂がここに送られるに至った死因についてだった。
現代のアダルアに猟犬文化はない。けれど、デスラーには犬や猫をペットとして飼う者は沢山いる。よって今、会場内の雰囲気はしんみりとしている。
しかし、次に彼が口を開いた直後、観客の顔が哀切から驚愕に変わる。
「崖から飛び降りたんです。自分で……」
魂が記憶を失ってしまうほどの衝撃的な死因。それはなんと、自らの意思で崖から飛び降りたことによるものだった。
それはつまり――、自殺を意味する。
「どうして?」
痛々しそうに全員が押し黙るなか、しかし天使は素知らぬ様子で質問を続けた。
「ぼくの住んでいた家は、緑豊かな山の上にありました。この世で最も太陽に近い集落。主人はよく、ぼくにそう言って自慢していました。でも……よく理由は分かりませんが、ある日を皮切りに陽の当らない地域と化してしまったのです。その影響からか、食卓は日に日にひもじい物になっていきました。主人の身体はみるみる内に痩せこけていきました。それは主人だけではなく、近所の住人たちもそうでした。たぶん地域全体で食料が枯渇していたのだと思います。なのに、それなのに、ぼくの主人は……」
「きみには、食うに困らぬだけの食べ物を与えた」
悔しそうに言葉を呑む魂の次の台詞を、天使が優しい口調で継いだ。
「記憶が蘇ったか?」
これまでの様子をみて、閻魔大王が悪魔に確認を取る。
悪魔が召喚させた水の生霊は、いつの間にか姿を消していた。
「この魂は西の孤島から送られてきました。この島では二年前に火山が噴火し、日光が噴煙に隠れてしまいました。以降、現在も作物の収穫が激減し、飢饉に悩まされている地域です」
「間違いなさそうじゃな。話を続けよ」
裏付けを聞き、納得した閻魔大王が証言の続行を促す。
名もなき魂は首肯した直後、怒り肩を震わせた。
「そんな主人にぼくは、ぼくの分のご飯を食べて欲しいと思うようになりました。だから、あえて自分のご飯を残してみたりしました。でもその思いは伝わらなかった。ぼくが食べ物を残すと主人は……ママは、心配そうな顔をしてぼくにこう言うんです。……具合でも悪いのって」
「なるほどね。きみは御主人さまに哀しい顔をさせたくないから、それからも、不本意だけど、出されたご飯は全て食べた。やるせなかったね」
さっきと同じように、足りない言葉を天使が紡ぐ。最後に、慰めるような言葉を添えて。
名もなき魂は物悲しく頷いた。
「今思えば、それがぼくが犬であった証拠ですよね。言葉が伝わらなかったからだ。言葉さえ話せればなぁ……」
彼は心底自分に呆れた様子で、捨てるような言葉を吐いた。
「そなたがここへ来た理由は十分に分かった。これより審判を宣告する」
閻魔大王が告げると、天使と悪魔はそれぞれ所定の位置に戻る。
ついに判決の言い渡しが成されるのだ。
「悪魔よ、意見を述べよ」
閻魔大王に促されると、悪魔はすぐさまキリリとした表情を作り上げた。
「神法の上では、天からの授かりものを破壊する行為は神への冒涜。即ち、他人、本人、に問わず、故意に肉体を滅ぼす愚行を働いた者は、問答無用で天界の裁きを受けるべしとされています。このことから……、この魂には……、地獄行きを求刑せざるを得ないでしょう」
つまり、天界においては、自殺であろうが他殺であろうが、肉体を滅ぼした時点で罪が生まれるというわけだ。あまつさえ、この裁判に刑の重さという概念はない。判決はすべて、天国か地獄かの二択で下される。
相変わらず惚れ惚れする舌鋒ぶりだが、若干奥歯に物が挟まったような物言いにも感ぜられる。事の経緯を聞き、悪魔の心が揺れている証拠だ。
「さよう。自ら命を絶った者に天国行きの判決を下したとなれば、この裁判が悪しき前例となるやもしれぬ」
閻魔大王は重い口調でそう言い放った。それは、彼の地獄行きが確実視されたも同然。
かと思われた。
「どうして、主人を守ったこの子が地獄に行くの?」
公正な裁判に水を差すその発言は、紛れもなく弁護側の天使によるものだった。
それを聞いた悪魔が慌てた様子で咎めに入る。
「当たり前です。自分の命を自分で捨てるなんていけないことに決まっています。せっかく天から授かった命を粗末にしちゃいけないでしょ」
「そっかな? ぼくは粗末にしてるようには思えないけどな。長生きすることと、命を大切にすることはイコールじゃないし」
「異議あり! 天使にあるまじき愚かな発言。撤回するよう申し上げます」
またしても繰り広げられる舌戦。
しかし、今回は内容の程度が違う。今の天使の発言は、これまで説明にあった神法を横紙破りにする行為とも捉えられかねない。
「天使、申してみよ」
だがなんと、閻魔大王はまっとうな悪魔の異議を却下し、邪道を匂わせる天使の意見を求めた。
天使は再度、定位置から離れるように歩き出し、宣告前の魂の近くに寄った。
「ぼくが言いたいのは、神からの授かりもの、つまり『命』を大切にするという言葉の定義です。人間によっては、年老いて病院のベッドで何年も生かされるくらいなら、体が動く内に死んだほうがマシだという考え方もあります」
「異議あり。そんなの極論、いや暴論です」
天使は、『命を大切にする』という言葉が持つ意味は様々あると言い出した。
対して、暴論と評した悪魔の主張は、命に対する考え方の絶対的普遍性だ。
これに対し、天使は冷めたような顔で悪魔を見た。
「そう? ぼくから言わせれば、自ら死を選んだ人間はすべて地獄行きっていう君の見解のほうが極論だし、暴論だけど」
「悪魔の異議を却下する」
「なっ」
これに関しては、どこでこの議論が起ころうと賛否が巻き起こるテーマであろう。
故に閻魔大王は、『暴論』という簡素な言葉で片付けた悪魔の異議を却下した。
「で、ではあなたは、人間は死にたいときに好きに死ねばいいというおつもりですか?」
「だから、そういう質問が極論って言ってるんだよ。ぼくはケースバイケースって言ってるだけさ。これだからインテリは頭が硬い」
「ぬぬ……」
具体例を出して、なんとか意見を撤回させようとする悪魔。
それに対して、天使は独特の持論で言い負かし、肩をすくめて見せた。
「ワンちゃん。きみはどう思うんだい?」
天使は顔を振ると、穏やかな視線で魂を見た。言葉はあやふやだが、死んだことを後悔しているのかい、ということだろう。少なくともこの魂は、そう受け取った。
「ママが生きてくれてさえいてくれれば、ぼくはそれで満足です。罰当たりなことをしてしまったかもしれないけれど……」
「そうだよね。食べ物がなければ人は生きていけないよ。ぼくはそれを奪い合う人間が肯定されて、君のような忠誠心の強いワンちゃんが否定されるのを見ていられない」
もしかしたら、この天使の目的は弁護をすることにはなく、最後までこの健気な魂の味方でありたいと思い、土壇場で声を上げたのかもしれない。
その想いが報われるように、魂はどこか吹っ切れたような表情で天使を眺めていた。
すると──
「夜風よ、つばさになれ……」
天使が小さく囁くと、ふわっと、辺りに柔らかな風が舞った。
客席から、「おおおっ!」という驚きの歓声が上がる。観客たちの丸くなった視線の先は、天使の足元を指していた。
靴の底が地面を離れている。
なんと、羽の生えなかった天使が、宙を舞っていたのだ。
「天使さん、あなた……?」
名もなき魂の足りない言葉。しかし、天使はまた続きを察するように、優しい穏やかな顔で頷いた。
「本物の天使になれたみたいだ。きっとぼくに、命の尊さを本当の意味で気付かせてくれたからだよ。きみがね」
落ち着きを払った、姿、口調、仕草。
今になって物語の冒頭を振り返れば、天使が少し大人になったように見える。スレタという女の子が、女優としての急成長を果たしたように。
「名もなき魂よ。最後に言いたいことはあるか?」
閻魔大王が訊くと、魂は「じゃあ、ひとつだけ」と言った。
その最後の言葉は、判決を大きく左右させるのは間違いない。
しかし……なぜだろうか。魂は悪魔の顔を見た。
「ありがとう、悪魔さん。最後にママに会わせてくれて。判決がどうなろうと悔いはない。あなたのおかげだ」
「え……!」
なんと魂は、貴重な最後の一言を悪魔への謝意に使ってしまった。
この行動には、才媛な悪魔も目を見張る。そのあと、彼の素直な言葉を咀嚼すると、照れるように顔を背けた。
「判決を下す!」
明瞭に放たれた閻魔大王の張り声が、軽くなった空気をまた重く変えた。
それを受け、天使が空から降り立つ。そして覚悟を決めたように閻魔大王を見やった。
無もなき魂と悪魔も、凛とした表情に切り替えて姿勢を正す。
「天使の主張は一理あるが、やはり自ら命を絶つ愚行を賛美することはできぬ。そんなことを肯定すれば、あの世の秩序は乱れてしまう」
やはり、判決は覆らないようだ。天使の論理に一理あらば、神法にもまた一理。阻却された以上、もはや反論の声は出ないと思われた。
しかし、
「納得できません!」
突如、異論を唱える声が響く。
発したのは天使ではない。なんと、天使とは主張も立ち位置も真逆にいたはずの悪魔からだった。
「だっておかしいわ。この犬が自分勝手に死んだんならまだしも、環境やタイミングがそうさせてしまったんだから。そんなの、いくらなんでも可哀そうよ……」
悪魔はそう言うと、悔しそうなこぶしを強く握りしめた。
「悪魔……」
「悪魔さん……」
無念そうに立ち尽くす悪魔に、魂と天使から感激の眼差しが寄せられる。
「か、かかか、勘違いしないで下さい。別にあなたたちに唆されたわけじゃないんだから!」
シリアスな場面に組み込まれた、ちょっとした温かいワンシーン。
客席のところどころから、鼻をすするような、寂しい音が聞こえた。
その間、閻魔大王は眉間を揉みながら黙考していた。
最高責任者が醸し出す厳粛な雰囲気に再び場内が静まり返る。
しばらくのあと、唸り声を止めて「よし!」と言った。
「今一度、犬としてやり直すチャンスをやる。それならどうじゃ?」
「「「え?」」」
判決を下されるわけではなく提案されるという不思議な事態に、天使と悪魔、魂が顔を見合わせた。それぞれの顔には、キョトンとした表情が浮かんでいる。
「同じ姿形とはいかぬが、同じ主人に仕えるようこちらで手配する」
その驚きの判決内容を聞くと、魂の頭には真っ先にある人物が思い浮かんだ。
「また、ママに会える」
「そうだ。しかしこれはお前にとって、地獄行きよりも険しい試練じゃぞ。なにせ、同じ過ちを繰り返してしまう可能性は大いにあり得るのだからな」
確かに、これは減刑ではなく、地獄行きよりも重い判決が下されたともとれる。悪しき前例とならぬため、神法の解釈をフルに拡大させた閻魔大王の妙案だった。
「いわばこれは実験だ。また同じ結末を見るならば、天界も改めねばならぬ。天使の言うように、折悪しき境遇に左右されぬ裁きは極論やもしれぬ。此度の如き類ない事案も、時と場合により判決の重さを変えることは必要なことやもしれぬ」
「時代によって、アップデートしていくということですね」
明るさを取り戻した悪魔の声に、閻魔大王は「そうじゃ」と言った。
そして、考えを改めた閻魔大王によって、天国・地獄の二択ではない、此度のケースに適した重刑が下された。
「では天使よ。この魂を送って参れ」
「御意っ!」
天使は閻魔大王から命を賜ると、魂に向かって手をかざした。
「みなさん、お世話になりました」
「お元気で」
「頑張るのじゃ」
閻魔大王、天使と悪魔、そして犬の魂。
見合わせた顔は、それぞれが清々しかった。
「霊風よ、希望ある未来へ──!」
天使は自らの唱えに、未来への願いを込めた。
すると、
ブワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア────ッッッ! と、
闘技場内に嵐の日のような暴風が吹き荒れた。
荒ぶる風は舞台上を中心にして激しく逆巻き、あらゆる塵埃を撒き散らす。
観客は目も開けていられず、手や腕で顔を覆い、自分たちの視界を無にした。
……やがて風が収まり、観客たちが目を開けると、闘技場は完全暗転していた。天使の暴風によって松明の火が消されていたからだ。
星影と月明かりを頼りに舞台を見ると、そこに映し出されたシルエットは、スッチ演じる閻魔大王、ルル演じる悪魔、スレタ演じる天使の三人のみ。
ナワテ演じる魂の姿は、綺麗さっぱりなくなっていた。
本当に消えたわけではない。実際には、観客に紛れ込んでいるだけなのだ。
それは、あの魂が新しい命に宿った比喩。
そして、この物語の終演を意味していた。
かつての魔女の劇団は、戦乱の世に抗い、平和を願う作品を上演し続けていた。おそらく、それがマーガレットの理念でもあっただろう。
しかし今回、ナワテたちが選択したのはそれとは一線を隠す物語。
そこに戦争の匂いや思想的な話題は一切なく、見終わった人たちの心をほっこりさせるような、言ってしまえばありきたりな物語であった。
でも、もしかしたら、それで良かったのかもしれない。
先ほどまで互いの理念が激しくぶつかり合っていたこの場所で、再び国論を二分する物語を見せることに大儀はない。
それが、新生・魔女の劇団が導き出した答えだった。
すると、闘技場内に、パチパチ……という、小さな打音が鳴った。
最初は小規模な打音だったが、瞬く間に高原の葉鳴りのように広がり、割れんばかりの拍手喝采となった。
そのあと、「魔女! 魔女! 魔女!」というシュプレヒコールが響き渡った。
薄暗い月明かりのなか目をそばだてると、客席一同が隣の者と肩を組み合い、その体を左右に揺らしていた。
──忘れることなかれ。
ついさっきまで、このデスラー闘技場は凄まじい戦闘が繰り広げられていた場所なのだ。
「魔法を使ったお芝居、か……。ほんと、あの勾玉を壊さなくて良かったですねぇ」
「……うるせー」
アカネ大臣とキースとのあいだで、そんな会話が一往復した。
ここまでお時間を頂いた方々、誠にありがとうございます! 感謝感激です!
もしよろしければ、評価【☆☆☆☆☆】を押してくださいませm(__)m
今後の励みに致します!(^^)!




