架け橋
明朝。空は久しぶりの好天だった。
初めてこの国に来た日、ナワテはこの国独特の猛暑が嫌いだった。でも今は、それが不思議なくらい心地よく感じる。
魔女の劇団四人は今、ヴァーレの卸売市場にいる。数少ない輸入物資や食料が積まれた貨物馬車が集まる場所だ。
そんな場所に四人が集まった理由は他でもない。ナワテの見送りである。任務を終えた彼は、今日でこの国を去らなければならない。
ちなみに、アカネ大臣もこの場にきている。気を使っているのだろうか。彼女は少し離れた場所から、四人の様子を眺めていた。
「へぇ。こうやってトマトさんがスレタたちのところにやってくるんだぁ」
「そうだぞ。ここで八百屋さんたちが仕入れて、汗水垂らして売りさばいて、そうしてこの町のみんなの食卓に並ぶんだ。だから食べ物を残したり、盗んだりしちゃいけないんだぞ」
ナワテが遠回しに注意を促すと、スレタは「ふいっ!」と、いつもの陽気な返事を返す。
ほんとに分かってるのかな……と、そんなことを考えながら、彼女と出逢ったあの瞬間を昔のことのように思い出し、ナワテは頬を緩めた。
そんなスレタだが、間もなく王の娘となる可能性が高い。決定ではなく可能性が高いと表現したのは、ブルーバーグ殿下の頑固な性格に原因がある。
アダルアの王位継承順位は、誰かによって決められるのではなく、過去の前例を元にして決定されるのだという。これが多大な権力を大金や操作票に支配されないための制度であると聞いたとき、ナワテは深く感心した。
故に本来は、退位直前の王に任命されて新たな王が誕生するという制度ではない。今までがおかしかったのだ。
つまりこの場合、継承順位第一位のブルーバーグ殿下が即位するのが妥当だ。ナワテも、即座に殿下が王になるものだと思っていた。
ところが殿下は、王位継承は賢人たちとの話し合いによって決定すると言って聞かないらしい。それ自体はどうかとは思う反面、あの人らしいなと思うのも本音である。
そんな堅物の父を持つスレタだが、彼女が王の娘になるのはほぼ確実。しかし、彼女はこれからも王宮ではなく、ここヴァーレで暮らすつもりらしい。
やはり蛙の子は蛙。それもスレタらしいなと思い、ナワテはまた頬を緩めた。
「ナワテ、ホンマにこれでさいならかいな。お前さんにはまだ聞きたいことが山ほどあったんやで」
「ぼくもさ、スッチ。君のお陰でぼくの知らない母さんのことを知れた。礼を言うよ」
落ちぶれた魔女の劇団を復活させてくれたことを、スッチは誰よりも恩義に感じていた。
そんなスッチが差し出した手のひらを、ナワテは強く握った。
「オエッ! ほんまありがとうな、ナワテ……オエ……オエッ」
「あ……ああ……」
手を握った瞬間に、スッチの口から嗚咽のような音が頻発した。かなり個性的だが男泣きのようだ。握りしめた手も震えているが、状況的に酒のせいではないと思われる。
顔を上げると、スレタのすぐ横に浮かない顔のルルが立っていた。
「ルル。どうしたんだい?」
「うんこならあっちだよ」
「ち、違います、スレタさま!」
…… こんな絡みも、もうできなくなるのか。
そんな事を思うと、自分もルルと同じ表情になっていることにはたと気付く。
「ナワテ、また会えるかな?」
「今、君と同じことを考えてた」
「……なによ。またカッコつけちゃってさ」
気がつくと、スレタはさり気なく大臣の近くに移動していた。きっと子どもなりに、別れを惜しむ二人を気遣ったのだろう。
「デリスランドに、マーガレットのお墓はあるの?」
「ある。家のすぐ近くだ。毎朝、仕事に行く前にお祈りできるようにね」
ルルが自分からマーガレットの墓の話を持ち出したのは、きっと彼女なりの謝意が込められているのだろう。ナワテにはそれが分かった。謝り慣れていない人間が謝ろうとする際の、あまりにぎこちない口調そのものだったから。
「ナワテ、わたしね……」
なにやら、恥ずかしげな様子で、ルルが言葉を継ごうとしたそのとき、
「ナワテぇえええええッ!」
「ぶっ──ッ!」
クネクネさせるルルの身体が、ナワテの名を叫ぶ何者かに吹き飛ばされた。
ルルに体当たりした女は、よほど急いで来たのだろう。肩で息をしながら綺羅びやかな金髪ブロンドを揺らしている。やがて哀しげな顔を上げると、ビー玉のような青い瞳がナワテを映し出した。
「マリリン。わざわざ来てくれたのか」
「見れば分かるでしょう。ばかばか。ナワテのばかばかばか……」
子猫のような甘えた声でばかばか言いながら、ナワテの胸を指でちょんちょん突き続けるマリリン。
その様子を、打ち付けた腰を押さえながら激しく睨みつける女が一人。
「あのおんなぁ……」
そんなことなどお構いなく、マリリンは果てしもなくちょんちょんやっている。
これにはさすがのナワテも、頭に手を当てながら「まいったなぁ」と、これしかないベタなリアクションをみせる。その姿に、天才子役の面影は微塵もない。
「わたし、ナワテと出逢えて、本当に幸せです」
「偶然って凄いね。ははは」
「いいえ、ナワテ。これは偶然などではありません。運命なのです」
「運命……そうかもしれないね。ははは」
運命を乱用するなとナワテに念じるルル。
……しかし、マリリンの言う運命とは、ナワテやルルが考えるほど神秘的なものではなかった。
「ナワテと出逢ったあの日の前日、ハットを被った無精髭のおじさまが私の前に現れたのです。そしてこう言ったのです。ナワーテ・アルバティーと名乗る男が来たら、魔女の劇団に誘導するようにと。なんでも神の思し召しだったそうで」
「え!」
「そうしたら本当にナワテが現れて、劇団登録書にサインしてないことにして、それで魔女の劇団が復活して。それでそれで、私とデートする約束までしてくれて。あっ、覚えてますよね、私とのデ……」
驚愕するナワテを無視して、ちょんちょんしながら話を続けるマイペースなマリリン。ナワテはそんな彼女の肩を持ち、「ちょっと待てくれ」と言って止めた。
「あんっ! ナワテ強引! みんなが見てる」
「マリリン。君は今、なんて言った?」
「え? えーと……。あんっ、ナワテ強引! みんなが……」
「違う、その前だよ」
ハレンチな部分をリピートし、今度はルルどころか全員の反感を買ってしまうマリリン。
ナワテはそんなマリリンに押し迫る。彼女の話が本当なら、母が立ち上げた劇団に入団するというめぐり合わせが、運命などではなかったことになる。
そうなるように、裏で糸を引いていた人物がいるんだ。
そしてナワテは、彼女が話す男の特徴に心当たりがあった。
「あるおじさまが、ナワテを魔女に入団させるようにと仰ったのです。なんでも、神の思し召しだと」
「そいつ……その人の特徴を、もう少し詳しく教えてくれ」
「えーと、目深く帽子を被っていたので顔までは。この町では見かけない、西部劇風の服をお召しになられた男性でしたよ」
── 間違いない。キースだ。!
ここにキースの姿はない。今はデリスランドによって拘束されているらしい。言うまでもなく、トルマリエの勾玉を破壊しようとしたあの謀略が原因だ。よって、今ここで本人に問いただすことができない。
だが思えば、キースはデリスランド関係者だ。ナワテがこのヴァーレに来ることもあらかじめ知っていたはず。入国前日に、ナワテを魔女の劇団へと導くように、マリリンに工作を仕掛けていたとしても不思議ではない。
しかし、この問題はそれだけでは終わらない。
神の思し召し……。ナワテはその言葉に確かな聞き覚えがあった。
「スレタ、もしかして、君もそうなのか?」
それは、スレタと出逢ったときのことだ。あのとき、彼女は振り払うナワテを無視してしつこく後をつけてきた。その上、ナワテの部屋に住むことになった。その際に彼女が理由にしたのが、『神の思し召し』だった。
ナワテはキースと出逢ったときのことも思い出した。確かあのとき……キースの素顔がチラリと見えた際、スレタが驚いた様子で目を見張っていた。
ナワテの質問にスレタは否定することなく、そそくさと大臣の陰に身を隠した。
間違いない。スレタはキースに誘導されてナワテに近づいたのだ。
「なんで、言わなかったんだぁ!」
怒りながらスレタに問うと、彼女はわざとらしく口笛を吹いた。音は全く出ていない。風使いが聞いて呆れる。
間違いない。これは運命なんかじゃない。
信仰心が強い、アダルアの国民性を利用した工作だ。
「もう、運命なんて……信じない」
「なに、さっそく振られたの? ふん。そうやって軽々しく運命なんて言葉を口にするから罰が当たったのよ」
先のマリリンとのやり取りに腹を立てていたルルが大きく鼻を鳴らす。
「ルル、君もそうなのか? 神の思し召しとやらを聞いて、ぼくに近寄ったのか?」
「は……あんたが時たまそうやって宗教の勧誘するのってなんなの?」
神の思し召しという言葉を聞いても一切口笛を吹かないルル。それを見て、彼女との出会いだけは運命であると確信した。判断材料が合っているのかは分からないが、それが唯一の心の救いだった。
「信じられるのは、君だけだよ。ルル……」
「な、なによ。意味わかんないし。……けど、分かればいいのよ、分かれば」
期せずして、ルルは機嫌を取り戻したのだった。
挫けそうだったナワテの心も、首の皮一枚繋がった。
「そういえば、ルル。さっきぼくになにかを言おうとしなかったか?」
「あ、ああ……」
それはルルが吹き飛ばされる直前の話だ。彼女はナワテになにかを伝えようとしていた。
ナワテが訊くと、ルルはさっきの動きを再現するように、また身体をクネクネと踊らせた。
「いつか、デリスランドに、行ってみたいなって。その、ナワテが育った国はどんな国なのかなって、あっちの世界はどんな暮らしなのかなって……知りたいなって。そう思っただけ」
ナワテは目を見張った。デリスランドを心底嫌っていた、あの頃のルルからは想像もできない言葉だったから。
ルルはナワテに「この国のために命を賭せるなら本望だ」と言われた。あのとき、なぜかは分からないけど胸がジーンとなった。自分の国を想ってくれることが、こんなに嬉しいことなんだと初めて知った。だから、彼ほどの言葉ではないけれど、不器用な言葉だけれど、それでも、なにかであのときの恩返しがしたかった。
ルルが恐る恐るナワテの顔を見ると、彼は顔を微笑ませてこっちを見ていた。
「ああ。そのときは歓迎するよ。自分の国は自慢できる国だと、ぼくはそう思ってるから」
ナワテはそう言ったあと、得意げにアカネ大臣の顔を見た。
大臣はそんなナワテと目を合わせながら、ふっと鼻で笑う。そして、神妙な面持ちで語りだした。
「わたしはその未来は近いと見ているわ。もう間もなく二国間の国交は結ばれることになるでしょう。まぁ、あの堅物が大人しく王になればの話ですけどね。マリエ・ナワテがこのお嬢さんとデリスランドでデートする未来もそう遠くはないでしょう」
「ちょ、デートだなんて、大臣さん。そんなわたしはべつに……」
一部始終を眺めていた大臣がルルをからかいにかかる。しかし、すぐにキリッとした真面目な顔を作った。
「あなたたちは、大戦後初めて友好関係を築いた両国の若者です。一言で国交回復といっても、両国の世論は一枚岩ではありません。きっと一筋縄には行かないでしょう。そのとき二国間の架け橋になるのは、あなたたち魔女の劇団です。それを自負し、胸に刻みなさい」
明るい未来と重い使命感を感じさせる、そんな言葉を聞かされた魔女の劇団四名とマリリンは、肩に重みを感じると同時に心を鷲掴みにされた気持ちになった。
言い終えると、大臣は背を向けて、またナワテたちから距離を取った。そろそろ最後の挨拶をするように催促されたのだとナワテは察した。
みんなとも、そろそろお別れの時間だ。
母の生まれ育った場所。そこでの生活は長いようで短かった。かえりみても、苦しい思い出ばかりだが、来てよかったと心から思う。
「ナワテ、だっこ!」
スレタが短い両手を目一杯に広げておねだりする。そんな彼女を見るだけで、ナワテは目頭が熱くなるのを感じた。
慣れない手で、スレタの両脇を抱え持ち上げた。持ち上げた瞬間、予想以上に重くてよろけそうになったが、スレタに非力だと思われないようにと、虚勢で己の足指に力を入れた。もちろんスレタへの配慮もある。
完全に持ち上げ、温くて優しい身体に触れると、真横にある彼女の顔が見れなくなった。
恥ずかしいからではない。今にも心が乱れそうだからだ。
乱れる感情を呼吸で安定させ、なんとか平然を装った。これはベルルックサリーシステムに綴られてあった感情のコントロール技術だ。一生懸命に書いた指南書が、将来授かる息子にこのような場面で活用されるとは、マーガレットも思わなかっただろう。
「ナワテ、ありがとう。これは、スレタの感謝の気持ちです」
「スレタ。感謝するのはぼくのほうだ。母さんが作った劇だ……ん…………!」
しかし、細い呼吸で繋ぎ止めていたナワテの感情はここで完全に乱れる。
それは、ナワテの頬に柔らかいものが触れた瞬間だった。
大きく見張った目を横目にすると、スレタの顔が見えないくらいの至近距離にあった。
無言の時間が過ぎ、ゆっくりと互いの顔が距離を取る。ナワテは自分の頬が若干湿って、火照っているのを感じた。
「紅くなってるよ。ナワテ」
「お互い様だろ」
ナワテはお得意のキザな態度で、はにかむ自分を押し隠した。
次期王の娘。年下の女の子……。
色々な立場上、そのやり取りを静観することしかできないルルとマリリン。完全に持っていかれた感が否めない二人は、その後しばらく、脱力しながら感情のない笑い声を市場内に響かせていた。
胸の音がバレないよう、ナワテはスレタを床に下ろし、そそくさと馬車に乗り込んだ。
藁が敷き詰められた場所に腰を下ろしほっと息をつくと、さっそく懐かしい匂いがした。
幌を手で掻き分けて、最後にもう一度みんなの顔を見ようとしたが……、
「ナワテ、気をつけて帰ってね」
「身体に気をつけるんやで」
「デートの約束、お忘れなきよう」
「ナワテ……」
みんなの声を聞くと、急に息が苦しくなって手が止まった。
だから、
「みんなも、ご達者でっ!」
キザな男に似合わない、張り上げた声だけで、最後の言葉を言い放った。
……ややあって、肌感覚で馬車が走り出したのが分かった。
凸凹な道をガタガタいわしながら馬車が進む。この揺れは二回目だからもう慣れた。
激しい振動の最中も、遠くからみんなの声が聞こえた。ずっと聞こえた。
きっと、この幌付きの馬車が、地平線の彼方から消えるまで叫ぶつもりだ。
やっぱり、最後にもう一度、みんなの顔が見たい。
そう思って、幌に手を伸ばしたけれど……、出来なかった。
最終的に、幌を手に掛けられないまま、みんなの声は聞こえなくなった──。
ナワテは胸で暴れる気持ちを紛らわすように、今回のアダルアでの出来事を思い返す。
果たして、此度の任務は成功と呼べるのだろうか。
当初、彼に与えられたミッション『すずろぐ革命。演劇計画』は、芝居を使ってアダルア内で革命を起こさせるよう仕向ける、要は自滅させるという趣旨の作戦だった。
結果的に革命めいた事変が起こるには起こったが、あれはキースの工作の賜物であり、ナワテたちの芝居が影響したわけではない。
それに、自滅を促すどころか、むしろ国内の求心力を高める結果となってしまったのではないだろうか。それは、アダルアの民から見れば好転の兆しだ。デリスランドがナワテに託した『すずろぐ革命。演劇計画』の観点からいえば、本作戦は必ずしも成功とは呼べないだろう。
しかし、これだけは言える。
母の想いを、受け継ぐことは出来た。
母の肉体は滅びても、母の想いまで滅びてはいない。その想いはこれからもアダルアで生き続けることだろう。その一役を担えたことを、ナワテは誇らしく思っている。
この想いが、天国のマリエ・ヒョウカに届くように、ナワテは口を開いた。
「やっと、親孝行できたよ。母さん」
任務は成功したかどうかは、思い返しても分からない。
でも実際に口に出すと、確かな達成感があった。
そして、胸がジーンとなった。
母の生まれた場所と、自分の距離が、だんだんと遠く離れていく。
ほんのちょっとだけ、あのときの寂しさに似ていた。




