名もなき魂【中編】
悪魔がリズムの良い歩調を奏でながら名無しの魂の元へ。
押し出されるように、天使が弁護側の位置に戻った。
「では質問させて頂きます。あなたの家族は何人いましたか?」
「二人です。ぼくを含めて」
「なるほど、やはり家族の記憶はかろうじてあるようですね。あなたは先ほど、その者を『主人』と仰りました。そこが引っかかります」
「なにがでしょう?」
「あなたが、家族のことを『親』ではなく『主人』と仰ったことです」
敏腕な悪魔はたった一人、誰も気にしていなかった些細な違和感を見逃さなかった。
「毎晩のように主人からの愛撫があったとも仰りました。ですが、見たところあなたは既に成人です。子どもならまだしも、成人への愛撫など違和感極まりない」
「悪いことですか」
魂が悪魔に向かって鋭い視線を突き立てた。先の尋問がかなり気に触った様子だ。
「い、いえ。あくまで一般論です。お気に触ったのならお詫びします」
静かに凄まれた悪魔は居たたまれず、すぐさま謝罪の言葉を口にする。
天使は離れた場所から「そうだ、マザコンでなにが悪い」などと野次を飛ばしている。
構うことなく、再び平然を顔に貼り付けた悪魔が気を取り直して質問を再開。
「お住まいは、どんな家でしたか?」
食事のシーンを思い出せたのだ。ならば家の間取りも覚えているだろうと、悪魔はそう睨んでいた。
「山林に囲まれた空気の綺麗な場所でした。家は木材でできていて、歩くと床から軋む音がしました」
悪魔の狙い通り、魂は回想するように瞑目した。目を閉じて、身体を動かしながら記憶を蘇らせていく。落ち着きを取り戻した遭難者が、自分の足跡を辿って帰っていくように。
「なるほど。お世辞にも裕福な家庭とは言えませんね。お仕事はされていましたか?」
「はい。近くの山で仕事をしたのを覚えています。鹿などを追いかけていました」
「猟師ですか。おおかた家業か集落のお手伝い……つまり、あなたは山に住む鹿をたくさん殺したということですね」
悪魔はそう言って、天使に向けてニヤリと笑む。そして首を振って閻魔大王を見た。
「閻魔さま。鹿って可愛いですよね」
どうやら悪魔は、鹿の命を奪っていた過去をダシに地獄行きを有利にしようという腹だ。
天使は相手のペースにさせまいと、慌てふためいた様子で挙手する。
「異議あり。鹿は可愛くない」
「異議あり。鹿は目がクリクリしていて可愛いです」
「悪魔の異議を認める。鹿は可愛い」
しかし、天使の異議は異議で跳ね返されてしまった。しまいには、鹿が可愛い可愛くない論争に閻魔大王までもが参加する始末。
客席からは笑い声とともに、「本題はどこへやら」とか「どっちでもいいじゃない」などという声が湧いていた。
役に入り込むのが半分。俯瞰する心が半分。魔女の劇団四人は芝居に没頭しながらも、客席の反応にもしっかり目と耳を配らせていた。当然、良い反応が耳に入れば、ナワテたちは胸のなかで小さなこぶしを作る。
悪魔のターンはなおも続く。
「お仕事以外は、普段どんなことをされていましたか。趣味などはありましたか?」
「家以外の記憶はありません。仕事のとき以外は、敷地内から出られなかったと思います」
聞けば聞くほど不可解になる回答に、悪魔は目を細め首を傾げた。
「家に監禁されていたんだ。閻魔さん、やはり彼は虐待されていたのです」
「違います! ぼくの主人はそんな人ではありません!」
尽く自分の生い立ちをブルーな色で塗りつぶす天使に、名もなき魂はまたも声を荒げる。
しかし天使は知らん顔。それどころか両手で顔を押さえると、わざとらしい泣き声をあげ始めた。どうやらこの天使、この裁判を虐待一本で戦い抜くつもりらしい。
わめき散らかす天使に見兼ねて、今度は悪魔が手を挙げる。
「異議あり。天使の泣きマネが下手です」
「な、なんだよ、その独特な異議申し立ては」
確かに、それは異議と言うより不服の申し立てである。
「天使の泣きマネを禁ずる」
しかし、特殊な異議は認められ、天使は大きく口を開いて唖然とする。ちなみに、手が離れた顔から、涙は一雫も流れていなかった。
スレタの滑稽さに誘われて、また客席から笑い声が聞こえた。
ウソ泣きを禁じられた天使を、悪魔がやにさがった顔で見る。しかし、再度名無しの魂に向き直ると、思いあぐねた様子でため息を吐いた。
現段階ではどちらが優勢とは言い難い。悪魔としては立場上、この魂を地獄に落としたいのだろうが、証言から読み取れる事実があまりにも少なすぎる。
本当にただのマザコンなのか──。
明らかに冷遇されていたはずの主人を庇い続けるのはなぜだ──。
なぜ記憶を喪失してしまったのか──。
…… あまりに謎が多すぎる。
すると、悪魔がなにかを決心したように、閻魔大王に身体を向けた。
「閻魔さま。恐れながらこのままでは堂々巡り。事実を詳らかにするため、証言者を召喚する許可を頂きたいです」
「ふむ。判決に躓いた場合。その者に関係する魂を召喚することは神法で認められている。して、その魂とは?」
現状のままでは平行線になると踏んだ悪魔が、閻魔大王に提案したのは証言者の召喚。つまり、この魂の生前を知る人物――新たな魂をこの場に呼び寄せようというのだ。
いったい、何者の魂を召喚しようというのか。
「この者が、主人と称する者の生霊です」
悪魔が手で名無しの魂を指し示しながらそう言い放つ。
驚いた拍子、魂の顔が跳ねるように悪魔を向いた。
「生霊ゆえ、証言を求めることは出来ませんが、記憶を蘇らせる材料にはなる」
「認める」
本人の手が及ばない領域で、身内の召喚が承認された名もなき魂。その顔に書いてあるのは、容認、拒否、ではない。やましい思いが芽吹くような歪みが生じていた。
──その頃、闘技場の入り口付近では──
キースと彼の肩を支えるアカネ大臣が、観客たちで色めく客席に現れた。二人の顔はどこか清々しく、ついさっき戦い終えた人間とは思えない柔和な表情を描いていた。
「あの子たち、あの騒動を上手くいさめたみたいですね」
「ああ。すげーよ」
湧き立つ客席を眺めながら、キースは小さな声で、此度の魔女の活躍に賛辞を送った。
「言っておきますが、このあと、わたしはあなたを拘束しなければなりません。国家機密の事案なので刑罰になるかは分かりませんが、少なくとも、辞表は提出してもらうことになるでしょう」
「ああ……」
国家の秘密作戦を利用し、己の野望に走ったキース。やはり彼は、このあと拘束されることになるようだ。
潜入前、ナワテがアカネ大臣から聞かされた、アダルアが策略する演劇プロパガンダ計画。潜入後にキースにより知らされた、デスラー闘技場にてデリスランド側にノーを突き付けるための式典を開催すること。これらは本来、他国が知るはずもないアダルア政府の機密事項だ。
振り返れば、潜入したナワテはこれらの謀略を全て先回りし、阻止することに見事成功している。その要因は、キースという優秀な潜入スパイがいたからに違いない。
今回の裏切りは、そんな彼の輝かしい功績や硬い信用、その全てに泥を塗るものだった。
しかし、キースはそんなことよりも、目の前の演劇が気になるようだ。戦いを終えたその目は穏やかに、闘技場の中心部分を眺めていた。
そんな彼の横で、アカネ大臣が目にジトっとした狐疑を浮かべている。
「ところで、なぜわざわざあの子たちを王宮の最下層に連れて行ったのですか? 本気で勾玉を壊す気なら、あなた一人で潜入したほうが確実だったでしょう」
言われてみれば確かにそうだ。キースはナワテの雷を使い勾玉をショートさせようと目論んでいたようだが、考えてみれば、そんなものに頼らなくても拳銃で破壊すれば済む話だ。結果的にナワテたちのせいで、キースの野望は失敗に終わった。
つまりアカネ大臣の質問は、なぜ自分で自分の首を絞めるに等しい行為に走ったのかということだ。
「アダルアの血を受け継ぐ若者たちに、この国の未来を託したんじゃないんですか? あなたの悪行を止めないでやってくれと、そうわたしに言った、ブルーバーグ殿下と同じように」
大臣の鋭い問にキースは答えず、バツの悪い表情を隠すように帽子を深くした。
「今でも俺は、あの勾玉のことを良くは思っちゃいない。それは事実だよ」
キースは言葉の最後に「ふん」と鼻を鳴らした。
照れを隠すようなその仕草に、なんらかの確信を得た大臣が薄く微笑む。
そんな二人が会場の中央に目をやると、舞台上でルル演じる悪魔が両指を動かしている最中だった。
魔女の劇団の得意技、魔法による演出だ。
『水霊よ、この者の関係者をここへ──』
囁くように唱えると、舞台の空中に丸い風船のような水が出現した。
あれはなんだろうかという目で、客席一同が不思議そうに見ている。
更に悪魔の指がジャズピアニストのような激しさを出すと、丸い液体がだんだんと人の形を形成した。
「「「「おおおおおおおおおおぉ!」」」」
誰もが予想だにしなかった魔法の演出により、客席からドッと歓声と拍手が湧いた。
魔法に関していえば、ルルはエリートでもなければ雑詠術者でもない。ほぼ水の魔法しか扱えない下級の魔法使いだ。だが裏を返せば、この魔法は水に特化したルルだからなし得る技ともいえる。もちろん、彼女の遊び心があってこその話だが。
『この魂をご存知ですか?』
水が人型を崩さぬよう、指を高速で走らせながら器用に質問する悪魔役のルル。
ナワテ演じる名無しの魂は、ゆっくりと顔を上げ、その人の形を成した水の塊を見た。
その瞬間、
彼は何者かに停止ボタンを押されたように身体と呼吸を止めた。
『ママぁ……』
観客たちもまた、名無しの魂と同じように息を止め、同じ分だけ目を見開いた。
感情移入とは正にこのこと。いまや観客たちの心の波は、元天才子役、マリエ・ナワテの意図するままに動かされている。
闘技場から先ほどまでのコメディー色は完璧に消え去っていた。客席はまるで、本物の裁判所の傍聴席のように、厳粛な雰囲気が漂っている。
アカネ大臣も、次はなにが起こるのかと息を呑む。その顔はすっかり観劇に没頭していた。
そんな彼女を尻目に、キースは思いを馳せるような顔で舞台上を眺めている。
「そっくりだ。マーガレットに」
「え……ああ。あのルルって女の子ですよね。芝居心が豊かですよね。どんな役でも熟してしまいそうなのが、素人のわたしにも伝わりますもの」
大臣がマーガレットの演技を見たことはない。亡命後のマーガレットは、俳優業から完全に退いていたからだ。しかし、舞台上でのルルの自然な身のこなし。七色に変わる表情の豊かさ。粒が立ったような鋭い滑舌。見たものすべてを魅了する彼女の演技は、素人の大臣の目から見ても、マーガレットに匹敵するであろう好演であった。
だから今、キースが心のなかで符合させているのは、ルルとマーガレットなのだと思った。
しかし──
「いや、そっちじゃない」
「え……?」
大臣は話が噛み合わないキースの目線の先を追った。確かに、彼のキラキラとした眼差しは、ルルには向いていなかった。
それを見て腑に落ちた。
「ああ。息子さんのほうでしたか。あなたの」
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