乱国
怪しげな匂いを察した黒服の男が、スレタからトランシーバーを離し、自分の口に近づけた。
「こちら1班、こっちの要件は片付いた。やけに慌ただしい口調だが、なにがあった?」
『暴動だ。デスラー闘技場で暴動が起こっている!』
「な、なんだって!」
トランシーバーから放たれた突拍子もない言葉に、最下層にいる全員の身体が凍りついた。
デスラー闘技場で今、なにが起きているのか――。
『王を拘束後、ブルーバーグ派に反抗する者が現れた。最初はアダルア兵士数名による小さなものだった。だが市民の中からも同調する者が現れ、いまや大事変と化している』
なんと、騒動を起こしたはずのブルーバーグ軍が、相手にさらなる騒動を起こされ手を焼いているという、皮肉極まりない事態が王宮の外で巻き起こっていた。
キースが地上での作戦を一人で主導していたのかは分からない。だがこれだけ大掛かりな工作だ。表向きには言わないだろうが、デリスランド側も影で一枚噛んでいたことは間違いないだろう。
結果、事変という想定外のことが起こってしまった。デリスランド政府が、アダルアの国民性を甘く見ていたということだ。
「両殿下は無事なの?」
その鋭い質問は、後ろで一部始終を聞いていた大臣によるものだ。
すると、トランシーバーを持った黒服の男がはっとした表情を浮かべた。そのあと、すぐにマイクに向かって「両殿下は無事か」と言った。
『すでに両殿下は避難された。現在、鎮圧を図らんとしてリリ・マッケナー氏が軍を率いて応戦中である。そちらにも至急応援を頼みたい!』
当然、トランシーバーからの報告はルルとスレタの耳にも入っている。
案の定、彼女たちの顔には焦燥の影が浮かんでいた。
「お前ら、それでもプロか? 外が大変なことになってるに、なんで寝耳に水なんだよ」
「仕方がないでしょう。速やかに潜入するため、トランシーバーの音量を消してたんですよ。それに、少しは身の丈に合った言動をして下さい。あなたが勝手な行動をとらなければ、こんなことにはなってないんですから」
「う……」
これ以上ない大臣の正論に、黒服の男たちも深く頷いている。
一度は憤慨したキースだったが、彼らを見た途端、興ざめしたように口を結んだ。
どうやら、ダークメアはこの王宮に潜入する際、トランシーバーの音量を下げていたようだ。だから、今の今まで地上で巻き起こる不測の事態に気付けなかった。
ダークメアは直ちに整列し、いまかいまかと大臣のGOサインを待っている。
だが、肝心のアカネ大臣は口を開こうとしない。紅いマニキュアの塗られた細い指を唇に当てながら、なにやら考え込む素振りを見せている。
「マリエ・ナワテ。ここに来なさい」
思案を終えると、大臣はナワテの名を呼んだ。
ナワテは立ち上がり、不承不承が滲み出た表情と足取りで大臣の前に立つ。
「まずは此度の聖戦完遂、お見事だったわ。君の類まれなる活躍は、本国で逐一報告を受けていた。一週経たずして王都にたどり着いた手腕は、その最たるものでしょう。その上、勾玉まで守ってくれた。すでに勝手知ったる事実でしょうけど、この石が秘めし力は我が国においても極めて重要性の高い……」
「益体もない前置きは結構。今は有事です。さっさと要件を話して下さい」
ナワテは切れ味のいい言葉で、大臣のねぎらいの言葉をバッサリと断ち切った。
その嫌味を聞いた大臣は、いつかの対談を思い出し、紅を塗った唇を緩ませる。
「取りつく島もない、か……フフ。いいでしょう。君の力量を見込んで、もう一つ重要なお仕事をお願いしたいの」
どうやら大臣から、また新たな任務を与えられるようだ。
ナワテはなおも、にべもない表情で大臣を見ている。
「……はい、という気分じゃなさそうね。君が気になるのは、もしやこの勾玉の件かしら?」
大臣は、礼に失するナワテの言動を見て、彼の心を読んでみせた。
それを受け、ナワテが口を開く。
「大臣はご存知ですか? 先の大戦が、我が国のエネルギー利権を得るために行われた戦争だと」
ナワテが剣幕を浮かべながら言ったそれは、戦いの直前、キースから聞かされた、マディオス大陸の裏歴史。
その心のしこりは、上王と相まみえる最中も頭を去らなかった。ナワテにとっては、そのくらいショックを受けた事実だったのだ。
キースの話から推するに、今回アカネ大臣が訪問した目的は、永久発電するトルマリエの勾玉を共同利用するための密約だろう。そう考えれば、潜入させたナワテに訪問のことを知らせなかった理由と繋がる。
「分からないけど、そう予想しても不思議ではないわね」
大臣が知らないのも無理はない。先の大戦が勃発したのは、彼女が未成年だった頃の話だ。
しかし、大臣はナワテの仮説を否定まではしなかった。それも涼しげな顔で。多くの命が失われた先の大戦が、自国が欲に駆られたせいで引き起こされた戦争かもしれないというのに。
「やはりな。あなたも、戦争を起こすつもりか?」
ついにナワテが核心部分に触れる。彼が終始不機嫌だった理由はそれだった。
静まり返る地下20階。
大臣はナワテの質問から、一拍置いて口を開いた。
「この広い世界には、個人の自由や尊厳、生活までも脅かされている人々が沢山いる。それがデリスランドの民なら、手段をいとわず救い出すのがわたしの仕事です。わたしはデリスランドの外務大臣なのですから。でも、これだけは言っておきます。今はその時じゃない」
つまり、彼女がナワテの仮説を否定しなかったのは、あくまで広い意味であり、今現在はそれに当たらないという意味合いだった。
しかし、それでもなお信用ならない理由がナワテにはある。
「あなたはさっき、この光輝を発する勾玉が無事であることに安堵していた。それは、今でなくともいずれこの勾玉を利用する計画がデリスランド政府にあるからではありませんか? 我が国の卑劣な体質が、たった20年で変わるとは思えない……」
自国を否定するナワテの語気に憎しみは感じられない。その一言一句は、苦しみ悶えるように発せられていた。キースから先の大戦の経緯を聞かされたナワテは、全くといっていいほど自分の国を信用できなくなっていたのだ。
「いい加減になさいっ!」
「──」
哀しみに暮れるナワテに、活を入れるような大臣の激が飛んだ。
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