魔女の逸話① ──気高き芸術家──
夕方前だが、あいにくの空模様で窓から陽は差し込んでこない。路上を見渡すと、あらゆる軒から雨が滴り落ちていた。キースが手配した隠れ家の宿はほの暗い。
そんな湿っぽい宿の一室で、スレタとスッチが行っているのはエチュード。こうしながら、今夜の催し物のシナリオを練っていた。もちろん、ベルルックサリーシステムの訓練も兼ねて。
キースが立てた作戦。その真の目的は、ブルーバーグ夫妻の救出である。今夜開かれる公演を引き受けるのは敵の目を引くためのカムフラージュだ。今現在、その目くらまし公演の承諾をするため、ナワテとルルが王宮へ出向いている。
スレタの一番の心配の種は、自分を育ててくれた両親の安否。理不尽な刑により離れ離れにさせられてから、幾晩となくこの恐怖と戦ってきた。
── その家族が今、手が届きそうな場所に居る。
自ら飛び込みたい気持ちだが、相手の目的が自分の身柄である以上リスクが高い。行って拐われればそれこそ相手の思うつぼ。人質に取られ、両親を苦しめるのは目に見えている。
でもじっとはしていられないスレタは、がむしゃらに稽古に取り組んでいた。もう二時間ほどぶっ通しで行っている。しかし、ストーリー案は煮詰まらないままだった。
「やっぱナワテがいないとだめ。ハゲの王子様なんてリアリティに欠けるし」
「口の聞き方に気を付けるんやお嬢さま。その言葉で人は死ぬんやで」
肉体的な疲労よりも頭が回らなくなる方が先だった。二人は一息つくことに。
スッチは椅子に座り、さぞ嬉しそうな顔でウイスキーの瓶に口を付ける。
スレタは窓の縁に頬杖をつき、分厚い雲を眺める。
「雨のいい匂い……」
スレタは雨が嫌いではない。湿気を含んだ空気は自然の香りを充満させる。その匂いが鼻筋に入ると、頭の中が空っぽになる。焦る気持ちを和らげるには丁度いい。
スレタは深呼吸をしたあと、何気なく口を開いた。
「ねぇねぇ、マーガレットってどんな人だったの?」
「頑固もんや。芝居の力でこの世の中を変えようとしとった。本気でな」
「そっか。なんだか、スレタたちみたいだね」
言われてみればと思ったスッチは、大きく目を見張ったあと顔をほころばせた。それは魔女の劇団が、現在もマーガレットの意思を受け継いでいることを意味した。本人が居なくなっても、この地でマーガレットの理念が生き続けていることは、スッチにとって嬉しいことだった。
「そうやな。わしらも頑固もんや」
スッチが共感すると、スレタも嬉しそうに笑った。
一見すると、どこにでもある無邪気な子どもの笑顔。しかし、スッチの目にはそうは映らなかった。スレタには人の心を豊かにする力があると感じた。彼女もまた、ブルーバーグ家の理念を受け継いでいるのだ。
「彼女は今、どこにいるの? あ、もしかして死んじゃったとか?」
「ちゃうちゃう」
腫れ物に触るように訊ねるスレタを安心させるため、スッチはすぐに否定した。
「デリスランドにおるらしい」
「ふぁ、なんで?」
「そうするしか生きる道がなかったんや。アダルア政府に命を狙われとったからな」
スッチが知っているのは、マーガレットがデリスランドに亡命したところまでだった。ナワテの生い立ちを知らない彼は、当然その母親の死についても知らない。
「命を狙われてたって、どうして?」
「あいつが第四の魔法を使えたからや」
それを伝えると、スレタの無邪気な表情が驚きの表情に変わった。
その事実を知るのは限られた人間のみ。マーガレットの友人、それに政府関係者くらいだ。本来なら、あまり他言すべき内容ではないだろう。スッチ自身、これまで誰にも話してこなかった。
でも、相手がスレタならいいだろうと思った。
スッチはなにかを振り払うように、ぐびっ、ぐびっ、……と、ウイスキーを喉に通した。
そして、マーガレットの逸話を話し始めた。
「あれは18年前のことや。いま思い出しても寒気がする。そのくらい恐ろしい魔法やった」
◆◆◆
それは、今から18年前の出来事。
第二次マディオス大戦は休戦状態にあったが、息つく間もなく、アダルア国内には新たな暗雲が垂れ込め始めていた。政府側と反体制側が互いに睨みを効かせていたからだ。
革命の匂いが漂っている王都デスラー。
マーガレット・ベルルックサリーとリリ・マッケナーは馬車を走らせ、アダルア王国の中心に空高くそびえ立つ王宮へと馳せ参じた。
「驚いたわ、リリ。ちゃんと来たのね」
「失礼しちゃうわ、マーガレット。このリリ・マッケナーが、アダルア王を前にしっぽを巻くとでも思って?」
「いいえ。あなたが約束の時間に遅れなかったことに驚いたのよ」
「失礼しちゃうわ!」
ここに来た理由は他でもない、当時のアダルア王──現上王からの達しがあったためである。
その達しは、魔女の劇団のマーガレット、劇団ユニゾンのリリに宛てられた手紙により伝えられた。それによると、王が両劇団との鼎談を望んでいるとのことだった。
我が強い二人のことだ。平生であれば、王のお達しなど軽んじて破り捨ててしまうところだろう。
が、この日は違った。
手紙の最後に、
『──この鼎談が、汝らとの摩擦を解消せしものとなれば、王は掛け合いも厭わないと思ほし召された』
と、したためられていたからだ。
つまり、場合によってはマーガレットらの要求を飲むということである。
反体制を象徴するこの二つの劇団が、当時のアダルア政府にどれほど恐れられていたかが窺い知れる。
魔女の劇団の代表はスッチル・カールであったため、彼もこれに同席。
三人が通された場所は、空高くそびえ立つ王宮の二階、玉座の間。
壁掛け松明がほのかに灯る赤い絨毯の上に、ドリスコルと、ムスッとした女二人が立っている。壇上には王が登壇した。
関係者全員が跪く中、彼女たちが頭を垂れることはなかった。ちなみに、スッチは誰よりも深く頭を下げへりくだっていた。
ドリスコルは、休戦を迎えてもなお国内が不安定な状態であることを枕詞に、二つの劇団に対し、ある交換条件を提案した。政府側の要求は主に二劇団の演目に関するもの。つまり、この二劇団が普段上演している物語──ストーリーの内容に関するものであった。
・対象を見誤ることなかれ。批判の矛先は、隣国に照準を合わすべし。
・自国の政府批判は直ちに改めるべし。
・耳障りの良い美辞麗句のみ並べ立て、上辺だけの平和を謳う演目は改めるべし。
「以上、三箇条を了承すれば、汝らを文科庁顧問に任命してもよいものと考える」
最後に、交換する条件をドリスコルが口頭で補足した。
文化庁とは文字通り、自国の文化の継承や発展を担うための国家機関である。アダルアにおいては、建築文化、魔法文化、そして芝居文化、この三つに重きを置いている。
加えて、当時の文科庁は、他国との文化的な国際交流を理念の中に含んでいた。これはマーガレットとルルの理念にも沿う条件だ。二人が得意とする芝居で、他国と調和を共有できるチャンスが舞い込んだのだ。
詰まるところ、王が提示した三つの要件を飲みさえすれば、国の大切な役割をマーガレットとルルに一任してもよいというのが交換条件の内容であった。
一見、悪くない話に聞こえるが、マーガレットとルルは極めて冷静だった。
「言われなくとも、外国であれ自国であれ、批判すべきところは批判します」
「わたしたちは誰の指図も受けない。芸術を志す者が自由に表現できる世界こそ、自分たちの目指す世界です」
と、まくし立ててこれを拒否。
それを皮切りに、おだやかな表情を浮かべていた王の顔色が急変する。
「我が民は心身ともに不安になっておる。汝らの行いは、その弱りきった民の感情を逆撫でするとわれは予見する」
「逆撫でとは心外です。演技の素人に採点される筋合いなど、このわたしにはありません」
マーガレットは啖呵を切ると、鋭い目で王を睨みつけた。誇り高き芸術家のプライドに身分の差など関係ない。
「こら、口答えをするでない!」
度重なる無礼に耐え兼ねたドリスコルが、マーガレットを叱責する。
しかし、マーガレットの反抗的な視線の先にドリスコルは映らない。玉座に座る王、その一点だけを睨み立てている。
まるで、『貴様など眼中にない──』と、ドリスコルは無言でそう伝えられた気分だった。
周りを取り囲む衛兵たちも、度重なるマーガレットの横暴にヒヤヒヤしっぱなしだ。
「魔女よ、まぁ聞くがよい。長き戦いにやっと区切りがついたのだ。さりながら、これは息抜きではない。我が国は次なる戦いに備えなければならない」
「次なる戦い……バカバカしい」
王が漏らした妄りな方策は、心の底からマーガレットを落胆させた。多岐にわたる苛烈な戦闘のなか、国家の陥落を免れたのは、命を懸けて戦ったアダルアの民がいたからだ。その英雄たちに、また命のやりとりをさせようと企むのか……!
「スッチ、リリ、帰るわよ」
もはや分かり合えないと悟った彼女は、にべもなくきびすを返した。
テンポよく靴音を鳴らすマーガレット。足早に玉座の間を去ろうとしている。
「おい小娘、どこへ行く。田舎者の分際で王に背を向けるとは、なんたる無礼千万」
ドリスコルの叱責は、最後までマーガレットの耳には残らない。
しかし、まもなくマーガレットは脚を止める。
部屋の入り口付近。十数名の衛兵に進路を塞がれたのだ。
人垣を組んだ衛兵たちは、手のひらを彼女に向け威嚇を開始。この動きは兵士が敵を拘束する際のマニュアルだ。全員で構えれば、相手が降伏せざるを得ないことを彼らは知っている。
だが、マーガレットは怯まない!
「道を開けなさい。さもなくば痛い目にあうわよ」
機嫌を損ねたマーガレットは、通せんぼする衛兵たちに向かって視線を突き立てた。本当に突き刺さりそうな鋭い目つきだ。
多勢に無勢。その論理からすれば、不利なのはマーガレットのはず。だが不気味なオーラを放つ彼女の前に、衛兵たちは成す術なくたじろいだ。
しかし、
「マーガレットっ!」
突如、後方からリリの叫び声が飛び込んできた。
マーガレットが振り向いた頃には時すでに遅し。後方に立つリリとスッチの周りを、透明なにかが回るように飛んでいた。
「あら、風のやいば?」
「さよう。次に貴様が礼を失するとき、この無色透明な斬撃が仲間の皮膚に刺さる」
なんということだ。マーガレットが前方に気を取られているその隙をついて、ドリスコルが彼女の仲間二人を人質に取ってしまった。
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