演技で、人を元気にしたい
翌日。
尖った日脚が窓から差し込み、荒い木目の床を照らしている。
今日は真昼から、スッチの自宅兼魔女の劇団のねじろに参じたナワテたち。
平屋の室内に設置された舞台には、ルル、ナワテが立っている。舞台下、劇場でいう客席にあたる場所には、スレタとスッチが椅子に座って二人を眺めている。
スタディオンの称号をかけた大会は明日に迫っている。大会参加の権利を得たからといって一喜一憂している場合ではない。
よって今日から本格的な稽古に入る。
「三分で覚えろ」
ナワテはルルに、10頁ほどの厚さの台本を雑に手渡した。
ルルは困惑している様子だが、それも無理はない。上演すれば10分にもなるセリフを3分で覚えるなど至難の技だ。さしものルルといえど、そのような注文をされた経験はない。ワガママな客を対応する店員にでもなった気分だ。
「覚えられないのか。なら、ぼくが手本を見せてやろうか?」
「や、やれるわよっ!」
おいそれと、やれるものならやってみなさいなどとは言えなかった。目の前の男なら容易にやってのけるだろう。
昨日までナワテに対し大口を叩いていたルルだったが、今やその立場は逆転している。
もちろん、これはナワテの思惑通りだ。
案の如く、ルルはむさぼるように台本の文字を追い始めた。
しかし、読むにつれて、その艶の良い顔から緩やかに血色が失せていく。
「ナワテ……あんたまさか、明日この作品をやるつもりじゃないわよね?」
言わずもがな、ルルが懸念を示したのは、この台本に描かれているストーリーである。
それは、ナワテがデリスランドを出発する直前に、外務省の役人から渡されたものだった。
「なにか問題でもあるか?」
ナワテは相変わらず平然を装っている。しかし、内心は穏やかではない。
「大ありよ。この話の舞台、ルイーダっていう貧しい国はなにを比喩しているのかしら? 親の脛をかじることしか脳のない、無能なルイーダ王ってのもそうだわ。それだけじゃない。王を倒すしか平安への道はないと考えた騎士と魔法使いが、反旗を翻して革命を起こすっていうこのあらすじはなに?」
脚本の内容は明らかに、アダルア王国とその指導者を悪玉に見立てるものだった。ナワテが選ぶ作品とは思えない、実にセンスのないチョイスである。
しかし、そもそも彼がこの国に来たのはそういう理由なのだ。
「この短時間でよく読めたじゃないか。さすがだ」
「ふざけないでっ!」
的外れの返答に激怒したルルが台本を投げ捨てた。
舞台下に落ちた台本をスッチが拾い上げ目を当てる。スレタも彼の肩の後ろから顔を出してそれを眺めている。
「君も分かってるはずだ。この国は腐ってる。それを正直に言ってなにが悪い」
「そういう問題じゃない。あんたなら脚本の内容が結果を左右することくらい分かるでしょ。国民感情を逆撫でするような話を上演して、デスラーに選ばれるわけがないじゃない」
その言葉がルルの口から発せられることをナワテは分かっていた。
それなのに、我に返ったようにはっとした。
「確かに過激な内容やな。今の時代、こんなん上演したら非国民扱いされるわ。それに脚本としての完成度も杜撰なもんや。どこのどいつが描いたもんかは知らんけどな」
「……」
スッチの酒臭い助言がトドメとなり、ナワテはとうとう口を塞いでしまう。
この脚本はデリスランド政府が指名したある戯曲家に描かせたものだとナワテは聞かされている。おそらく政府関係者と癒着のある人物だろう。つまりは、国の要望とあらば尻尾を振って答えて見せる、芸術家の風上にもおけない人間が描いたシナリオだ。
この脚本をやりたくないのはナワテも同感だ。こんなシナリオでは、バルドまで登り詰めることは出来ない。
それに、自分さえ受け付けない物語を、納得させないまま演者にやらせるわけにはいかない。それは一演劇人としての彼のポリシーに反する。ならば、この脚本は却下せざるを得ない。
しかし、本番は明日。今から新しい脚本を描く時間はない。
…… じゃあ、どうすればいいんだ。
早くも土俵際に追い詰められてしまったナワテは、辛気臭い表情を浮かべることしか出来ないでいた。
そんな時、一番意外な人物から名案が放たれた。
「昨日のお話をやればいいんじゃね?」
「「──⁉」」
その人物とは、スレタだ。
彼女が言った昨日のお話とは、昨日二人がここでやったエチュード劇のこと。
それを理解した瞬間に、ナワテとルルの目がばちっと合った!
昨日の即興芝居で出来上がったストーリーは、結ばれるはずもない二人が出来るはずのない新婚旅行の妄想にふける話だった。ナワテとルルもそれを覚えている。
「昨日のあの二人は、誰かを憎んだり、傷つけようとしてなかった。スレタには、お互いの国が平和に、仲良くなりますようにって、そう祈ってるようにさえ見えた。素敵なお話だったよ」
丸めた脚本を望遠鏡のようにして、二人を覗き込むスレタがそう言った。
これを受け、ナワテはようやく気が付いた。
貧困にあえぐ民の怒りの矛先をデリスランドに向けるため、演劇工作を仕掛けるというアダルア政府の謀略。その情報をデリスランドのインテリジェンス機関が掴んだことでナワテがこの地に送られることとなった。
その工作にカウンターを打ち込むのがナワテの任務だが、冷静に考えて、怒りの矛先を敵国へ差し向けると言う意味で言えば、つい先ほどまで彼がやろうとしていたことも同じことだ。
今しがた、この国は腐っていると揶揄したが、これでは自分もさして変わらないではないか。憎きアダルア政府と、全く同じ謀略を行うことになってしまうのだから。
しかし、怒りの矛先を向け合うラリーゲームではなく、怒りを鎮めようとするスレタの提案は、ナワテの悩み、そして二国間の問題解決という意味においても芯を食っている。
思えばそれは、ナワテとルル、二人の両母が目標としていたことでもあった。
「……もっと早く気付くべきだった」
ナワテの心の声が、思わず体外へと押し出された。
それを耳にしてルルは安堵した。スレタとスッチも、彼女と同じような顔をしている。
「そうと決まったら、早速始めるか。……ルル、ストーリーのあらましは覚えてるか?」
「う〜ん。たしか、皇太子妃と騎士の不倫の話だったような」
「それはそれでどうなんだ?」
「そうね。手堅くお姫様ということにしましょうか」
本番一日前にして、シナリオを一から作ることになったナワテたち。
しかし、この天才二人に台本などいらないのかもしれない。設定だけ決めて板の上に立たせれば、上位20組に残る実力は十分にあるだろう。
スッチは事もなげを装っているが、内心では震えるほどワクワクしていた。
魔女の劇団が明日、復活の狼煙を上げる。それもマーガレットの友人であり、宿敵であったリリ・マッケナーの娘と手を組むのだ。これほど憎い演出がどこにあるというのか。
しかし、事態は急変する。
「スレタ、お姫様やるっ!」
スレタが突然、主人公役の立候補に名乗りを上げたのだ。
「あー、そうだな。スレタは元々お嬢さま育ちだしな」
「ええ。スレタさまにピッタリの役ですわ」
「でしょでしょ!」
ナワテとルルが違和感に気づくのは、こんな会話を五秒ほど交わした後である。
「「えっ⁉」」
「おそっ!」
確かに、スレタはこの中で最もお姫様に近い人物だろう。だが演技に関しては全くの素人である。
立候補を冗談だと捉えたナワテとルルは、ヘラヘラと乾いた笑い声を上げている。
しかし、スレタは本気だった。
「スレタね、昨日の二人のお芝居を見て元気が出たの。だからスレタも演技して、色んな人を元気にしたいの」
スレタが演技に興味を持つことは、決して否定されることではない。しかし明日は絶対に負けられない大会、いや戦いだ。将来的な可能性はともかく、こんな大切な大会に急遽登板させることはできない。
スレタの愛らしい願いを慮るルルは、断りの言葉を見つけられずにいた。
頼る目をしてナワテを窺うと、しかし彼は神妙な面持ちを浮かべていた。
「スレタ」
「なに、ナワテ?」
やっとナワテが口を開いた。彼がスレタを傷つけない言葉を選ぶようにと、ルルは祈る。
しかし、次のナワテの言葉は、それとは全く違う意味でルルを裏切るものだった。
「やれ」
「ふいっ!」
ナワテが言ったそれは、スレタが今大会に女優として出場することを意味する。
しかも本番は明日だ。
「そりゃいくらなんでも無茶苦茶やで。勝ち負けどうこうやない。素人をいきなり板の上に放り投げるやなんて、大勢の人間の前で恥かかせるようなもんや。こんな小ちゃちゃな子どもの心に傷でもついたらどないすんねん」
スッチはこう見えて魔女の劇団の旗揚げメンバーだ。ベテランにあたる彼は、人前でなにかを演じる厳しさを人一倍心得ている。そんな彼が幼いスレタを心配して止めに入った。
しかし、そんな過保護心をナワテは鼻で笑った。
「スッチ。彼女はそんなことで傷つく玉じゃないさ」
理不尽な批判に晒されてきた彼女が、演技でしくじったくらいで心に傷を負うはずがない。
スレタと過ごした数日間が、ナワテにそう確信させるだけの材料となっていた。
「ん? スレタ、たまないよ」
「ちょ、スレタさま。その玉じゃありません!」
「こら。触って確かめるな」
そんな三人の会話を尻目に、スッチは納得したのか呆れているのか定かではない、柔和な笑みを浮かべていた。
壁に掛けられてある、マーガレットの絵を眺めながら──。
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