上王の謀略
王都デスラー。
夜外は人の姿は少なく、林閑に似た静けさを呈している。今日に限っては雨も理由の一つだろうが、そもそもアダルアの民は夜に外出する者が少ない。
諸外国からはアダルアの治安は悪いと吹聴されている。しかしそれは一面的な見方である。同じような経済状況の国と比べると、犯罪率は極端に少ないという統計も出ている。殊に殺人や強盗などの重犯罪率においては、ナワテの故郷デリスランドよりも少ない国だ。
娯楽や自然をこよなく愛するアダルアの民。思えば、デリスランドの民とはまるで真逆だ。
その穏やかな性格のおかげで犯罪率こそ少ないが、裏を返せば国の発展などにはあまり関心がない性格とも言える。右肩下がりの経済状況に陥った背景には、こういったのんびり屋さんの性格が原因の一つとして考えられるだろう。
街の一角に雲を貫くほど背の高い石塔が刺さっている。この国の王の住まい──アダルア王宮だ。初代アダルア王が、民全員の安寧を祈るため国土を一望できるように設計したらしい。
しかし、現代のアダルア人の目には、立哨所のように映っている。
丑三つ時にも関わらず、王宮の最上階の部屋からは赤い光が漏れていた。真っ暗な王都の夜に映し出されるそのシルエットは、誕生日会に出すケーキのロウソクのよう。
そんな奇妙な明かりを放つ最上階の一室は、ある者の寝室となっている。今そこでは、二人の老人らしき男二人が内々の会議をしている最中だった。
「どうだ、ドリスコル。せがれは御前会議で上手くやっとったかね?」
「はい、上王様。私めが合図をしますと、王は無能な賢人会の連中に対してギロッとねめつけを放っておられました。その目つきときたら練習通りの見事な一本槍。あの眼差しに串刺しにされた者たちの顔ときたら、それはそれは文字通り、蛇に睨まれた蛙のようでした」
「がはは。そうかそうか。ドリスコル、お主を関白にしたわれの判断は間違っていなかった」
「この上なき有り難いお言葉。このドリスコル、恐悦至極にございます」
寝室の壇上に置かれた玉座に、足を組んで座っているこの男が上王だ。つまり、先代のアダルア王である。
黒いローブを纏った上王は、その頭の上に金の王冠をかぶっている。
アダルア革命を終結させるため、この上王が譲位したことは前述でも述べた通りである。しかし、引退した身とは思えない現役さながらの威厳をかもし出している。
上王の前で跪く、白髭をはやした老人は、王の側近ドリスコル。
つまりこれは、先代のアダルア王と、現アダルア王に遣える関白の密談。
「王と上王の見解に摩擦が生まれれば、それはそれで厄介じゃ。我がせがれには、まだまだ世間知らずでいてもらわねばならん」
「異論は御座いませぬ。私は純粋な坊っちゃんが好きにございますゆえ」
やはり、上王が息子を後継者に選んだ理由は、裏から実権を握るためであった。そのために、彼はこうして王の側近であるドリスコルとの密会を毎夜欠かさず行っているのだ。
上王のことづてを、ドリスコルの口から現王に告げることであらゆる国の方針が決まる。もはやこの国の王は飾りに他ならない。
「それと、いささか鼻につく一報が御座いまして……今しがたヴァーレから入った報告にございます。ナワーテ・アルバティーと名乗る男がブルーバーグ家の娘と接触しました」
「それがどうした?」
今のところ鼻につきようもない話に、上王はドリスコルよりも長い栗色の髭を擦りながら首を傾けた。
「この男、マーガレット・ベルルックサリーの一人息子と思われます」
「……ほう。とうとうデリスランドが動いてきたというわけか。しかし魔女の息子とはユニークな仕掛けをしてくる」
マーガレットの息子と聞き、なぜか上王は不敵な笑みを浮かべた。特に驚いた様子は見られない。
どうやら上王は、デリスランド側がこのような工作を行ってくることを、あらかじめ予見していたようである。
「ナワーテは今日の昼過ぎ、もう一名の俳優を連れて魔女の劇団に籍を置いたそうです」
「面白い。直接攻撃は避け、我が国の核となる情報戦を攻略しようという腹か。狡猾なあの国が考えそうなことだ。してドリスコル、そのもう一人の俳優とは誰だ?」
「リリ・マッケナーの娘です」
「──!」
その組み合わせが上王の身体に衝撃を走らせた。あの二人がもう一度、自らに牙をむく幻影が彼の脳裏に浮かび上がる。
「このようなハエの一匹や二匹、本来であらば上王様の耳に納めるべき話ではないやもしれませぬ。しかしながら、この二人は正真正銘のサラブレッド。ルルに関しては引く手あまたの名女優。不行き届きがあってはならぬと思いこのドリスコル、恐れ入って奏することにした次第に御座います」
能弁な説明を終えたドリスコルがかしこまるように頭を下げる。
すると、低い笑い声が地を這ってきた。
……ドリスコルがゆっくりと頭を上げると、上王が顔を歪めてほくそ笑んでいた。
「18年の時を経て、子孫がわれに復讐を遂げに来たというわけか。面白い。実に面白い! ちょうど無聊を持て余していたところだ。ブルーバーグの娘と二人のサラブレッドには感謝こそせねばな」
「始末しますか?」
冷たい声でドリスコルが言うと、上王の笑い声が聞こえなくなった。
しかし、顔のニヤケは継続している。
「いや。味方につける」
「なんですとっ‼」
上王の案に、我知らず異論を帯びた発言をしてしまったドリスコルは、慌てて己の口を手で塞いだ。
「有備無患と言うであろう。手札は多いほうがよい。それに、みだりな粛清に暇がかからぬ以外の取り柄はない。それよりも利用したほうが良い場合もある。……ドリスコルよ。一国の長というのは斯くの如く、あたじけのないものなのだよ」
「……なるほど。奇特たる先見の明、果断な妙諦にございます」
…… よもや、この状況を楽しんでいるだけではないのか。
上王の不敵な笑みに疑念を抱いたドリスコルだったが、言いつがうように誤魔化した。
「魔女の迎えはキースに行かせろ。あいつにピッタリの役目だ」
「はい」
その最後の命令だけは、ドリスコルを安心させるものだった。口元にはニヒルな皺が浮かび上がっている。
雨脚が強まり、黒い雲から数年ぶりの雷が鳴った。
光輝を刻む空に向かって、上王が睨みをきかせている。
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