暗黒の時代に抗った、二人の名女優
ナワテがそれとなく切り出した話題はやはり、マーガレット・ベルルックサリーの件。
その名が話の俎上に上がるたび、ルルの表情は異常気象の如く急激な曇りを帯びる。それも毛嫌いどころか恨みに匹敵する曇り具合だ。最初に出会ったときからそうだった。
しかし、未だその理由は不明である。
ナワテは、この機会にすべての疑問を解消しておきたいと考えた。
「奴はこの国から逃げたの。わたしのママを裏切って」
ルルの言う『奴』とは、マーガレットのことだろうか……。
マーガレットが脱国したことは、ナワテも知っている事実である。逃げたというのはそのことを指しているのだろう。しかし、ルルの母を裏切ったという点には結びつかない。
ルルは机の上に置いてあるベルルックサリーシステムの本を睨みつけている。暖炉の炎に照らされているその顔は、凍りつくくらい冷たい表情だ。
「わたしのお母さん、リリ・マッケナーは、マーガレットに引けを取らないこの町の人気俳優だったの。当時、リリ・マッケナー率いる劇団ユニゾンと、マーガレット・ベルルックサリーの魔女の劇団はライバル関係だったそうよ。毎月開かれるバルグラは、毎回この二団体のどちらかがバルドの称号を得ていたらしいわ」
ルルが語り出したのは、生前の母からも聞いたことがないマーガレット・ベルルックサリーの昔話。
その話を、ナワテは黙座しつつ聞いている。
「ライバルっていっても二人の仲はすごく良かったんだって。当時の劇団連中は、過ちを乱発するアダルア政府を賛美するような作品ばかりを上演していたらしいわ。政府が優秀な劇団にお金をばらまいて、お芝居を広告に使っていたのよ。でも劇団ユニゾンと魔女の劇団はそれに抗って平和を訴える作品を上演し続けた。政府の息がかかった劇団にバルドの称号を与えないために。わたしが小さい頃、お母さんがよく言ってた。マーガレットは戦友だってね」
ルルが幼い頃は、すでにマーガレットはデリスランドへ脱国している。リリは離れ離れになったあとも、マーガレットのことを想っていたのだろう。
「お母さんはマーガレットと約束したって言ってた」
「約束?」
「二人の演技で、アダルアを平和な国にしようって……」
時系列的に鑑みて、当時は第二次マディオス大戦やアダルア革命の真っ只中。
そんな暗黒の時代を生きた二人の天才女優は、時代に抗い、その卓越した演技力で平安の世を取り戻そうとしたのだ。ナワテとルル、二人の母がどれほどのアダルア人たちに勇気と希望を与えたことだろうか。
胸が熱くなる話だった。
母がそんな勇敢な女優だったなんて。
それと同時に、ナワテは疑問に思う。
「君はマーガレットは逃げたと言っていたが、なに故だ?」
「ある日突然、デリスランドに亡命したの。すべてのアダルア人を見捨ててね。ヴァーレの民なら誰でも知ってる。わたしの疑問は、どうしてあなたが知らないのかってことよ」
「さあね」
「やっぱり怪しい……」
やはりこの国でのマーガレットの評判は悪い。大事なときに国を見捨てた卑怯者とされているようだ。
なぜ魔女の劇団と称された誉れ高い劇団が、幽霊劇団と呼ばれるまでに落ちぶれたのかはいささか疑問だった。今はその謎が解けた気がする。
しかし、ナワテはそれが腑に落ちない。肉親だからと贔屓しているわけではなく、母は恐怖で逃げ出すような性格ではなかった。むしろ、度胸だけは人一倍座っている人だった。
…… なにが本当なんだ?
ルルにマーガレットのことを訊ねた当初の理由は、心の消化不良を解消するためだったのだが、これでは逆効果。気付けば頭の中のしこりは大きくなっている。
「ルル、頼みがある。君のお母さんに、当時の話を訊ねたい」
「……」
こうなれば、リリ・マッケナーに直接話を訊くしかないと思ったナワテは、ルルに取り計らいを頼んだ。
しかし、その矢先にルルは歯がゆそうな表情を浮かべた。
「わたしのお母さん、二年前から、行方不明なの」
「──⁉」
ルルの口から、言いよどむように発せられた衝撃の告白。
そしてそれは、直ちにナワテの脳内にある別の問題と繋がった。
「二年前……ちょっとまてよ。スレタの家族がいなくなったのも、確か……」
ナワテの足りない言葉を読むように、ルルは黙って頷いた。
「その時くらいから、国に反体制とこじつけられた人たちが次々に逮捕されたの。お母さんがその一人なのかは分からない。でもマーガレットが脱国したあとも、お母さんはずっと彼女を養護する発言をしきりにしてた。だから、きっとそれが原因で……」
ナワテはおぼろげながら話が見えてきた。ルルがスレタに異常な肩入れをする理由、執拗にマーガレットを憎む動機も……。
「すまない。嫌な過去を掘り返してしまった」
「ううん。実は、今まで誰にも言えなかったの。お母さんのファンだった人や知り合いには嘘をついて、出稼ぎのために王都で女優をやってるってことにしてるの。わたしのお父さんはわたしがお腹にいるときにアダルア革命で死んでるから、他に相談する人もいなくて……」
「なるほど。少しは信用してもらえたってことか」
ナワテのうかがいに、ルルは今度こそ微笑で答えた。
しかし、新たな不安がナワテの頭をよぎった。
偶然にしては出来すぎてやしないか、と。
かえりみれば、ナワテは潜入一日目にしてルルと出会っている。800人という人口は決して多くはないが、亡き母の旧友の娘とそんな簡単に出会えるものだろうか。
スレタに関しても同じことが言える。自分の親族が政府の情報操作によって悪役に仕立てられたという彼女の境遇はナワテと似ている。そしてなにより、彼女にはナワテが取り込まなければならない反体制をまとめ上げる力を有している。
…… どう考えても、誰かが描いたシナリオ通りに事が進んでいるようにしか思えない。
…… だとすれば、自分こそが誰かに焚き付けられているのではないだろうか。
そして、その黒幕が誰であるかという予想はすぐについた。
ナワテは思い切って訊いてみることにした。
「ルル。君は神と話をしたことがあるかい?」
「え?」
思えば、スレタとの出会いがすべての始まりだ。
スレタは現在も、なかば強引にこの部屋に住んでいる。そんな彼女は、ナワテと行動をともにしたい理由を、『神の思し召し』と言っていた。
魔法の件やこれまでの経緯を鑑みて、あながち子どもの冗談ではないと思っていた。
アダルアの民は、神と会話ができるのかもしれない。
つまり、この偶然は神が導いたものだとナワテは推理したのだ。
しかし、その質問は再びルルの表情に曇り模様を浮かばせた。
「もしかして、勧誘?」
「え……」
「なるほど、そういうことだったのね。あんたを信用したわたしがバカだったわ」
「ちがうちがう。早とちりだ」
どうやら、神秘的な技を使いしアダルアの民も、神の声を聞くことは出来ないらしい。
おかげで謎は深まるどころか、宗教勧誘という余計な疑いを招く結果となってしまった。
もしも、マーガレットが今の二人を見たならば、どんな表情を浮かべるのだろうか──。
窓の縁をつたう水滴が、涙のように輝いている。
ここまでお時間を頂いた方々、誠にありがとうございます! 感謝感激です!
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