新人女優、スレタ
窓から差し込む日脚が傾くにつれ、ルルの顔の険しさが増していく。
スレタが出演することとなり配役が一掃される。配役が変わるということは、必然的にシナリオも作り変えなければならない。
また何歩か後退してしまった。本番は明日であるというのに。
しかし、ナワテは少しも焦ってはいなかった。
「え……い、いまなんて?」
三秒前のナワテの言葉に驚き、ルルが目を見張っている。
「ぼくは出演しない。明日はルルとスレタ、二人だけで乗り越えろと言ったんだ」
ルルが聞き直しても、返ってきたのは同じ言葉だった。
驚いているのはルルだけではない。ナワテ以外の三人が呆気にとられている。
ナワテは勝負を捨てたのか?
一見そう思われても仕方がない提案であるが、そうではない。
「ぼくは演出に専念する。大会は明日だけじゃない。その先のこともぼくたちは考えておく必要がある。そのためには、君たちを俯瞰で見れる人間を一人置いておく必要がある」
演出というのは文字通り、舞台の演出を担当することである。
上演中に使う音楽のチョイス、照明のタイミングや度合いなどを決定するのが演出の役割だ。俳優に指示を与えることもある。映画でいう映画監督みたいなものと言ったほうが分かり易いのかもしれない。
「そうかもしれないけど、演出のことは明日の本番が終わってから考えればいいんじゃないの。明日を勝ち進まないと次はないんだから」
ナワテの言っていることはルルにもよく分かる。俳優というものは俯瞰で見ることに長けていない。特にルルのような心で演じる俳優は、外側の意識が欠落しがちになる。
だとしてもルルの言う通りだ。明日を勝ち進まなければ、次のチャンスは一か月後の大会になってしまうのだから。
だがしかし、ナワテは首を横に振った。
「スレタに、役として生きる演技を叩き込む。今はそのことに専念する」
ナワテはそう言うと、舞台下にある演出席に腰を下ろした。
「始めるぞ。スレタ、舞台に上がれ」
「ふ、ふい」
ナワテは演出家らしく指示を出し、稽古を仕切りだした。
スレタは少し緊張する素振りを見せながら、ぎこちなく舞台上に登る。
「なにを勝手に……スレタさまが姫役をやるとして、わたしはなにを演じればいいのよ」
「まずはスレタを鍛える」
「なに悠長なことをいってるのよ。本番は明日よ。脚本を作る方が先よ」
「君が言いたいことは、先に役とセリフを与えたほうが良いということか? だったら答えはノーだ。スレタを型にはめようとするな」
「とりあえず型にはめてあげたほうが、スレタさまだってやり易いはずよ」
優先順位を正さんとするルルの意見をことごとく、けんもほろろに突き返すナワテ。
ここへきて、二人の意見は完全に食い違い始めた。
ルルが言っているのは、あらかじめセリフを作っておいて、それをスレタに記憶させるほうが効率も良く、安全性も高いという意見だ。
この切羽詰まった状況なら、誰であってもルルの戦法を選ぶだろう。順番にセリフが言えるまでをひとまず完成させておきさえすれば見せ物としては成立する。仮に時間が余れば、その時間を使ってスレタを鍛えれば良いのだから。
……しかし、ナワテは首を縦に振りそうにない。
「やり易い? そんなものはただのまやかしだ。演技じゃない」
そう言って、彼はスレタに役として生きる演技のレクチャーを始めた。
ルルはもう諦めたとでも言うように、右手で頭を押さえ目を閉じた状態で天を仰ぐ。
ルルの譲歩により口論は幕を引いたが、息つく間もなく稽古は始まった。
急ぐ理由は明白だ。新生・魔女の劇団のメンバーとなった三人には、至急やらなければならないことがある。
スレタを舞台女優にする。
シナリオを完成させる。
少なくともこの二つのミッションを完遂しなければならない。
明日の大会本番までに。
もはや、これら一つ一つの問題を丁寧に潰している時間はない。
「よし、エチュードをやるぞ」
ナワテはこの二つのミッションを同時進行で行うにはエチュードしかないと考えた。
スレタを、外見などの外側ではなく心を形成する俳優、別の言い方に変えれば型にはまらない俳優に育て上げなければならない。この場合、最初から形が決まっている台本での練習よりも、全く形が定まっていない即興芝居をやらせたほうが効果的だと考えたのだ。
かつて、ナワテが母に鍛え上げられたように。
加えて、即興芝居ならスレタのトレーニングと同時進行でシナリオ作りもできる。
一見、荒行にも見えるが、この土壇場でのエチュード稽古は理に適っている。
「スレタ。自分なりでいい。まずは君が思うお姫様になりきってみせろ」
「ふいっ!」
スレタは挙手をしながらナワテにいつもの返事を送る。
ナワテは頷いたあと、今度は首を回してルルを見た。
「ルル。今日までに大まかなシナリオは完成させる。でもたぶん、詳細なセリフまで仕上げることは出来ないだろう。だから君がスレタをコントロールするんだ。スレタが脱線しそうになったら、君が彼女をシナリオ通りの感情になるように導け。これからおこなう稽古でも、それを意識しろ」
「……なっ!」
今日中にシナリオが決まったとしても、演技初心者のスレタが本番中に不安定になれば作品自体がグチャグチャになってしまう。アドリブを駆使してでも、それだけは食い止めなければならない。ナワテはそれをルルに命じたのだ。
それは、明日の本番中の負担すべてをルルに集中させるに等しいものであった。
その圧倒的な仕事量もさることながら、ナワテの高飛車な命令口調はルルの腸を刺激した。
「ルル。よろしくねん!」
しかしひとたび、やんごとなきブルーバーグ家のお嬢様にそう言われてしまえば、
「は、はい。お任せください、スレタさま」
と、プライドの高い天才女優も、胸に手を当て頭を垂れるのであった。
その後まもなく、スレタの育成、シナリオ制作、この二つを目的としたエチュード特訓が始まった。
エチュードを得意とする者は俳優の中でもごく稀である。これは俳優どうこうという問題ではなく、人間が持つ性質に原因がある。
人間は失敗することを極端に恐れる生き物だ。言い方を変えれば、常に正解を欲しがる生き物という意味にもなる。
そもそも芝居に正解など存在し得ないはずである。なのに多くの俳優はなにを勘違いするのか、台本に描かれているセリフを順番通りに発することが正解だと思い込んでいる者が多い。
えてして、正解を欲しがる俳優に正解がないアドリブ劇をやらせても、恐怖心に苛まれるのが常である。エチュードを得意としない俳優が多い理由はまさにそれだ。
しかしスレタは恐れることなく、この即興劇に取り組んだ。それどころか、ルルよりも多くセリフを言い、大胆に動いてみせた。
もちろんスッチを含めた先輩三人からすれば首を傾げるセリフや所作はある。しかし、彼女がそれを失敗だなんて思う素振りを見せることはなかった。
そんな彼女を見てナワテは思った。
流石ブルーバーグ家の娘だ、と。
恐れることなく、王に反対意見を申し述べた男の娘だけある、と。
自分たちのような演技がしたいと言ってくれた、彼女の気持ちに答えてあげたい、と。
ルルとスレタがアドリブで芝居を繋ぐ。
それをヒントにナワテの頭が新たなシナリオを生み出していく。
頭の中でストーリーが定まりだすと、ナワテは二人に縛りを加えた。
この縛りとは、例えば、いま二人がいる場所や時期や時間だったり、役の名前や性格、特徴などであったり、はたまた、物語のキーワードとなる絶対に言わなければならないセリフなどである。
こういった縛りが増えていくにつれ、ストーリーが固まってくるというわけだ。
ナワテが新たな要望をすると、二人は嫌な顔をしながらもそれに応えた。
そうして、のべつ幕なしにセリフが飛び交う時間が、この日の夜半過ぎまで続くこととなる。
ここまでお時間を頂いた方々、誠にありがとうございます! 感謝感激です!
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