魔女が残した指南書
――役者とは、役として生きる者のことを意味する。眼に触れた活字に生命の息吹を吹き込める者こそ、役者と呼ぶに相応しいのである。したがって、形作るに特化した演者は役者に似て然にあらず、これは職人と呼ぶべし。
それらを細かく記したこの本が、全ての役者たちの不磨の教典とならんことを願う。
マーガレット・ベルルックサリー。
ナワテはスレタに読み聞かせるように冒頭のはしがきを音読した。
すると、ナワテの脳内にまた幼少期の記憶が蘇った。
── 『いい、ナワテ。お芝居の演者は大きく分けて二種類あるのよ』 ──
それは、生前のマーガレットが口を酸っぱくして言っていたことだった。
ここでいう二種類の演者とは、登場人物の外見などの『外側』を詳細に具現化する演者と、登場人物の『内側』、つまり心を繊細に表現する演者のことである。
マーガレットは前者を『職人』、そして後者を『役者』と位置づけていた。
はしがきに書いてあることは、そのことと同じ意味合いだ。
やはりスレタには難しい内容のようで、読み始め早々から酸っぱそうな表情を浮かべている。
「マーガレットが役者を志したんは彼女が15の頃やった。当時の演劇は、見せ物としての芝居が多かったんや」
はしがきを読んだあと、スッチが補足するように言葉を挟んできた。
「見せ物?」
「それぞれの役者が自分の出番になったら板について、振り付けみたいな動きをして、棒読みのセリフを大声で言うては捌けていく、その繰り返しで行われる茶番劇や」
昔のアダルアに限らず、現代でもその類に寄った演劇は多い。いや、その類しかないと言ったほうが相応しい。
昨日ポッポ街で見た俳優たちは、高度な表現力を有していた。しかし皆が皆、役の内側よりも外側に重点を置いて演じていた。ルルを除いて。
現代のデリスランドでも、ナワテやルルのような役作りをする俳優は見たことがない。
この理由は明白で、俳優が心から役を作るとなると相当な準備期間を要することになるからだ。
一方、スッチが茶番劇と皮肉る演劇は、デトチリやセリフトチリさえ無ければストーリーは着々と進んでいく。役者にそれっぽい衣装を着せれば、その役がなにであるかを観客に理解させることはできる。なにより、観客にシナリオを観せるという、劇団側、あるいは主催者側の最低限の目的はこれで達成される。新作品を量産したい劇団、スポンサーからすれば、稽古期間が大幅に短縮されるこのやり方が、商業的に最も理に適っているのだ。
マリエ事務所代表のナワテも、そういった方針には一定の理解を示している。いや、主催者側の方針を理解しなければこの業界では食っていけないというのが実のところではある。
「マーガレットがよう言うとった。鋳型にはめ込んだ演技は演技じゃないってな。せやからあいつは新しい演劇を求めて、この劇団とベルルックサリーシステムを作ったんや」
── スッチは母さんの仲間だったのか。
そんな心の声が口から出そうになったナワテだが、ぐっと堪えてクールな表情を作った。
スッチの話と本のはしがきを参照するに、このベルルックサリーシステムという本は、外側ではなく内側で演じる俳優を育成するために作られた、いわば俳優の教科書のようなものらしい。
そして歴代の魔女の劇団の俳優たちは、内側――心で演じる演技を『役として生きる演技』と呼んでいた。
再び古びた本に目線を落としたナワテは、はしがきの頁をひるがえした――
ベルルックサリーシステムは、演技理論を、心、技、芸術、の三分野に仕分けており、それぞれの向上方法を詳細に記していた。そのためこの本は全三章で構成されている。
平然を装うナワテだが、読めば読むほど頁をめくる指先の震えが隠せなくなっていく。
しかし、ここで全てを読んでいる時間はない。
「スッチ、悪いがこの本は少しのあいだ拝借させてもらう。それと、今日からこの稽古場も使わせてくれ」
臆面もないナワテの要望に、スッチは言葉なく右手を上げて応答した。
「ありがとう」
スッチに礼を言い、舞台上に目をやると、いまだ腑に落ちていなさそうな顔を頬杖で支えるルルがいた。
おおよその見当はつく。
未だ理由は分からないが、ルルはナワテの母、マーガレットに対して一種の憎悪の念を抱いている。そのマーガレットが立ち上げた劇団に入ることに対し、彼女が不満を抱くのは火を見るより明らかだ。
そんな彼女の元にナワテが近づく。
「えらく不満そうだな」
「やっぱりあんたは信用ならないわ。さっきまでは少し信じてしまってたけど……」
「ルル。ぼくは別に君に嫌がらせがしたいわけじゃない。そのことは分かってくれ」
「わたしが気分悪いんだから、結果的に嫌がらせよ」
子どもかよ、という嫌味が喉元まで出かかったが、我に返り飲み込んだ。
ナワテはスレタをチラッと一瞥したあと、ルルに近寄って耳打ちをした。
「ブルーバーグ家の安否を確認するためには、デスラーに潜入する必要がある。バルグラでバルドに選ばれれば、デスラーで公演ができるだろ」
「えっ、あんたまさか、そのために?」
思わず大声を出したルルに対し、ナワテが人差し指を口の前に立てた。
ナワテはまたスレタの様子をチラリと見たあと、声をウイスパーにして話を再開した。
「君とぼくが組めばそれを成せる確率はぐっと高まる。それには誰にも邪魔されないこの劇団が最適なんだ」
「……」
ルルの表情が変わったことを確認し、ナワテが耳打ちを外した。
「ひとまず、明後日の大会本番は全力でやってもらう。話はそれからでいいだろ」
「……わかった」
自分がマーガレットの息子であることは黙っておかなければならない。もし知れれば、ルルとの関係が切れる。それどころか、芋づる式にナワテの正体も露呈しかねない。
妙なきっかけからではあるが、改めて演技の大変さを知るナワテだった。
ここまでお時間を頂いた方々、誠にありがとうございます! 感謝感激です!
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