トマト、買って?
「何をしている?」
「……カイナ兄……?」
カイナが居た。チェルの背後には、いつの間にかカイナが立っていた。背には大剣を背負い、左手には麻袋を持って、ただ無感情にチェルを見下ろしていた。
「呆けているようだが、何かあったのか?」
「……ううん。何でもない」
人の足を引っ張る足手まといの盗人。カイナが声をかけていなかったら、チェルの手は二度と拭えない泥で汚れていた。今までにチェルが殺してきた人と同じように。殺されて当然の人間に成り下がっていた。
「……」
彼らもこのような気持ちだったのだろうか。今のチェルと同じように、罪の意識がありながらも、飢えに耐えることができなかったのだろうか。チェルの聖剣は、そのような人間たちの血に塗れているのだろうか。
外套の中で聖剣を強く抱きしめながら、目を瞑るチェル。人を殺しすぎたせいで、名前も顔も覚えていないけれど。それでもチェルは少しの間だけ、身勝手で今更な黙とうを捧げた。
「用が無いなら戻るぞ。この村もすぐに出る」
「あっ、あっ……まっ、待って、カイナ兄っ」
チェルはハーマンの家へと戻ろうとするカイナの右腕に縋りついた。髪を切られまいと抵抗した時のように、全身を使って腕に纏わりつき、必死にカイナを店の中へと引き留めた。
「どうした?」
「……お腹空いた」
「飯は村を出てからだ。今はまだ、人の目がある場所に長居はしたくない」
「そっ、そうじゃなくて……トマト、買って?」
「ダメだ」
見上げるチェルの顔を見ることすらせずに、カイナは即座にチェルのおねだりを拒否した。
「おねがいっ……一個だけでいいからっ……どうしても食べたいの……」
「ダメだ」
「ほんとに、お願いだからっ……。1個だけ買ってもらったら、後は我慢するからっ……もう、わがまま言わないからぁっ」
「ダメと言ったらダメだ」
取り付く島も無かった。その声色からは何を言われようとも絶対に揺るがないという意思が感じ取れ、瞳には思いやりや慈悲の心は一切宿っていない。
カイナの厳しい態度にチェルは思わず涙ぐみ、それでも目の前の好物を諦めきれなかった。
「っ……髪、切ったじゃんっ……少しくらい、ご褒美くれたっていいじゃん……」
ずっと伸ばしてきた自慢の金髪。野菜1個程度と釣り合うとは思いたくないけれども、背に腹は代えられない思いでチェルはカイナにねだった。
「大抵の場合、報酬をもらうのは髪を切った側だがな。言ったはずだ、今の俺たちにそんな余裕は無いと」
「野菜の一つも買えないの? そんなにお金が無いの?」
「違うな。嗜好品を楽しむ余裕が無いんだ。中途半端に欲望を誤魔化したところで、更なる欲の呼び水にしかならん。完全に絶ってしまった方が気持ち的には楽だぞ」
それはまさにこの瞬間にチェルが痛感していることだった。一度トマトを意識してしまったことによって渇きを増した心のひび割れは、今にも真っ二つに割れてしまいそうなほどにチェルを締め付けている。
「それに、食料は不味いパンだけじゃない。携帯食の殆どがパンである以上、不味かろうとパンに慣れてもらう必要はあるが、今日は新しく食料も手に入った」
「……ほんと?」
「こんなことで嘘は言わないし、パンでは無いが口に合う保証も無い。あまり期待するな」
「……わかった。じゃあ……我慢するね?」
カイナが何を用意したのかはわからない。それはパンよりも不味いのかもしれない。
それでも、チェルは少しだけ嬉しかった。パンを苦手とするチェルの為かどうかは定かでは無いが、カイナが別の食料を用意してくれたのが嬉しかった。
勝手に髪は切り、野菜の一つも買ってくれない優しくないカイナではあるが、チェルのことを考えてくれているのだと思うことができた。
「それなら、さっさと準備をして村を出るぞ」
わかっていたことではあったが、カイナは我慢をすることを決めたチェルを褒めたりはしなかった。それが当たり前と言わんばかりの態度で歩き出してしまった。
「うん……」
カイナの後を追うように数歩だけ歩いてから、チェルは振り返った。店の前に並ぶカラフルな野菜と果物を名残惜しそうに見つめた。
「……っ」
短くなってしまった後ろ髪を引かれる思いで、チェルはカイナの元へと駆け寄り店を後にした。




