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お兄ちゃんと最強から最弱に成り下がった弟  作者: papporopueeee
弱者の日常

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其処には8本の聖剣を携えた少年が、無表情に此方を見ていて――

 チェルの予想通り、村はイクスガルドの城下町ほど広くはなく、チェルの足でも十分に歩き回れるほどに小規模だった。ただ想定外だったのは、そんな村すら歩き回れない程に今のチェルが弱っていることだった。


「お腹空いた……」


 普段からの慢性的な運動不足。まともな食事を摂取できていない栄養不足。聖剣の喪失から続く精神的ダメージの蓄積。そしてしばらくは終わりそうもない逃亡生活への不安と、カイナへの不満。


 ただでさえ虚弱な身体は積み重なった疲労によって限界近くまで弱り切ってしまい、チェルはハーマンの家を出てから数分も経たずに音を上げてしまった。


「カイナ兄、どこ行っちゃったの……? まさか、迷子じゃないよね……」


 倒れそうな身体を気力だけで動かし、とぼとぼとした足取りで当てもなく村をさ迷うチェル。


 ハーマンの家に馬が繋がれていたことからチェルを置いていったわけではない。しかしそうなると、カイナは命を狙われているチェルを一人残して何処へ行っているのか。


「何か食べないと……何でもいいから……」


 もはや背に腹は代えられず、このままカイナの帰りを待っていては飢え死にしかねない。いくら不味く乾いたパンであろうとも、食料であることは確かだ。チェルは一度部屋の荷物を漁って食べられるものを探そうとハーマンの家へと足を向け、その道中で子供とすれ違った。


「トマト……」


 すれ違った子供が両手いっぱいに抱えていた真っ赤なトマト。今までのチェルであれば我慢する必要もなく、それこそ毎日のように口にできた野菜。


 硬く乾いたパンとは真逆の柔らかく瑞々しい果肉。歯を立てれば張りのある皮がぷちんと弾け、程よい酸味と甘みの果汁が口の中に広がる。咀嚼の必要もなく、飲み物のようにごくごくと飲み下せるチェルの好物。


「あ……れ……?」


 記憶の中のトマトの食感に浸っていたチェルは、気づけば村の青果店の前に立っていた。目の前にはトマトだけでなく、きゅうりやナスなどの新鮮な野菜が食べきれない程に並んでおり、まるで宝石のように輝いて見えた。


「いらっしゃい! 何をお探しで?」


「あ……何でもない……です……」


「そうかい? まあ、好きなだけ見て行ってくんな」


 威勢が良く人当たりの良い店主から目を逸らすように俯き、チェルは売り物である野菜へと目を向けた。


 今のチェルはお金を持っていない。いくら好物ではあっても、この状況では目に毒だ。いくら願っても食べられない物を見つめ続けたところで、ただ己を苦しめるだけにすぎない。


 それをわかっていながらも、チェルの目は野菜たちから離れてくれなかった。頭は記憶の中の野菜の旨味を何度も反芻し始め、口の中はトマトを齧った後のように唾液で溢れている。


「……お、美味しそうですね?」


 締め付けられるような空腹にせっつかれ、チェルは魔法の言葉を呟いた。店主の顔を見上げ、小首を傾げながら、下手なはにかみを浮かべずにはいられなかった。


「そうだろう? 買っていくかい?」


「っ……いっ、いえ……」


 イクスガルドではその言葉で何でももらえた。物乞う気持ちも無いままに、ただ感想を言うだけで貢ぎ物がもらえた。


 今のチェルが吐いたところで、それはただの誉め言葉でしかない。胸の内で切望しながら精一杯媚びてみたが、店主は当たり前のようにチェルを客として扱うだけだった。


 もしかしたら、と思ってしまった。ほんの少しでも希望を抱いてしまった。そのためにチェルの心は負わなくてもよかった傷を負い、渇いた心では欲を抑えきれそうになかった。


 お金はカイナが持っているだろうから、後から払ってもらえばいい。小さな村で売っている野菜一つ、大して価値のある品物じゃない。飢えた子供が野菜を盗むのは、仕方の無いこと。


 次々と浮かぶ言い訳がチェルの本能を誘惑していく。チェル自身が決して許すことのなかった悪事へと、弱った心と身体が傾きかけていた。


「っ……だめっ……絶対にだめ……っ」


 もはや心の内で念じているだけでは抑えきれない欲望に、か細い声で立ち向かうチェル。しかし声に出せば出すほどに欲望は増すばかりで、チェルの目は買う事のできない売り物から離れてくれない。


 食べたい。新鮮な野菜が食べたい。口の周りを果汁でべしょべしょにしながら、真っ赤に熟れたトマトにしゃぶりつきたい。パキっと気持ちの良い音を立てながらきゅうりを齧り、いちごを舌で潰しながら甘みと酸味が詰まった果肉で口の中をいっぱいにしたい。


 店主は馴染みの客らしい女性と話しこんでいる。今なら誰もチェルのことは見ていない。手を伸ばして、端にある小さいトマトを外套の中に滑り込ませるだけ。誰も気づかないし、気づかれたところで謝れば大事にはならない。むしろ、事情を話せば憐れんで恵んで貰えるかもしれない。


 さあ、手を伸ばしてトマトを掴んで、懐にしまい込めばいい。何食わぬ顔で立ち去り、部屋に戻れば後は好きなだけ貪れる。ほら、ねえほら。早くしないと――


「あ――」


 ――振り返ると、其処には8本の聖剣を携えた少年が、無表情に此方を見ていて――

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