……僕のおちんちんを囮にしたの?
「……もうしまってもいいぞ」
「あ……うん……」
事態が呑み込めず立ち尽くしていたチェルは、カイナから声をかけられてズボンを上げた。そして幾ばくかの時間をかけて、ようやくカイナの意図を理解した。
「カイナ兄……僕のおちんちんを囮にしたの?」
「仲間を呼ばれるわけにはいかなかったからな。どうにかして不意を突いて一撃で戦闘不能まで追い込む必要があった」
カイナは追手が最期に手に取ろうとしていた物を拾い上げてチェルに見せつけた。それはまさしく鉄砲であり、信号弾を撃たれていたら立ちどころに追手の仲間が駆けつけていたことだろう。
距離がある状態で斬りかかっても、発砲を許さずに圧倒することは難しいとカイナは判断した。そのため、不意を突くためだけにカイナはチェルに脱衣するようプレッシャーをかけたのだった。
結果的にカイナの作戦は上手くいったが、チェルとしては納得しがたくもあった。本当にチェルが脱ぐ必要があったとは思えず、自然と唇が尖ってしまう。
「なんか……もっと他にやり方があったと思う……」
「そうでもない。心優しい兵士の天敵はか弱い婦女子と相場が決まっている。手段は何にせよ、チェルに身体を張らせるのが一番勝率が高かった」
「……どうしてその人が優しい兵士だって知ってるの?」
少なくとも、チェル自身は追手を優しい人などとは思わなかった。むしろチェルの命を狙う人間なのだから、冷徹というイメージの方が近い。真に心優しい人間であるのならば、そもそも干渉せずに見逃してくれてもいいのではないか。
「俺たちの情報がどこまで伝わっているのかはわからん。だが、どう考えても怪しいだろう。このタイミングで、こんな森の中で夜営をしているんだ。俺が追手の立場であれば、有無を言わさずに連行する。追っているのがあの聖剣の元使い手なら猶更だ」
「……僕ってどんな存在なの?」
「もう忘れたのか? 自国の民ですら恐れをなす怪物だろう」
「……いじわる」
「お前から聞いてきたんだろう」
「そうだけど……優しくない……」
まだかさぶたにもなっていない、じゅくじゅくの心の傷でも容赦なくカイナは抉る。カイナの態度からはチェルへの配慮というものが微塵も感じられなかった。
命懸けの亡命に同伴してくれてはいるものの、弟に優しいお兄ちゃんではないことは聖剣の加護を失う前から何も変わっていない。
「こいつからは無関係の人間は巻き込みたくないという優しさが見て取れた。それに、いくら怪物であろうと子供は殺したくは無いのが人情だ。見逃す為の理由が欲しかったんだろうな。それ故に隙を晒した」
「そんな優しい人なのに、殺してよかったの? 話せばわかってもらえたりとかするんじゃないの? なんか、優しいカイナ兄らしくないね……?」
チェルはカイナのことを殺人を厭う優しい人間だと認識していた。今までもチェルは何度も人を簡単に殺すなと説教されてきた。
しかし、今のカイナはまるで真逆だ。悪を絶対に許さなかったチェルのように、敵を絶対に許さない様はとても優しいとは思えない。
「大抵の場合、優しい人間とは心に余裕のある人間だ。追い詰められている状況でまで優しくいられるほど俺は強くない」
「それは……そうだろうけど……」
チェルよりも民に優しいが、民がチェルの首を望んだ時にはチェルを逃がしてくれる。
裏切り者の処刑すら望まない程に優しいが、優しい人間であっても敵には容赦しない。
チェルの命は守ってくれるが、チェルの心は慮ってはくれない。
生まれてから十二年の間カイナのことは傍で見続けてきたが、まだこの兄のことを理解できていないことをチェルは強く思い知った。
「追手の仲間と距離を取っておきたい。今日はこのまま森の奥へと逃げるぞ」
「僕がそんなことできると思う?」
「チェルは馬の上で寝ていればいい。寝られるかは知らないがな」
「寝たらそれこそ落ちちゃわない?」
「なら、荷物と同じように括り付けてやる」
「……寝苦しそう」
手早く出発の準備を進めるカイナを尻目に、チェルは馬の鼻を撫でる。触るだけなら平気だが、一人で馬の背に乗ることを想像すると今でも身が竦む。カイナが背中から支えてくれなければ、走る馬の手綱を握り続けることもできそうになかった。
「どうせ括り付けるならカイナ兄の身体に……どうしたの?」
荷物をまとめ終わり、後は焚火の始末をすれば出発できる。そんな状況で、カイナは焚火を背にしてチェルを見ていた。右手にナイフを握りしめたまま、チェルの首の辺りを一心に見つめていた。




