おねがいっ、許してっ……
「……やはり切るか」
「? 何を切るの?」
何か切らないといけないものでもあっただろうか。心当たりの無いチェルは首を傾げ、そんなチェルを逃がさないとばかりにカイナが肩を掴んだ。
「カイナ兄……?」
チェルはカイナの様子にどことなくおかしいものを感じ取り、嫌な予感がして後退ろうとした。しかしカイナのチェルを掴む力は強く、後退るどころか身を退くこともできない。
「決まっているだろう。お前の長い金髪のことだ」
「……え?」
チェルと向かい合ったまま、地面に擦れるほど長い髪を左手でまとめて掴むカイナ。右手に持った刃を首の後ろに回したところで、チェルは咄嗟に両手でカイナの右腕を掴んで止めた。
「か、カイナ兄? 冗談だよね?」
「冗談なものか。国の王子であった頃ならまだよかったが、亡命するにあたってはそんな長い髪は邪魔なだけだ。抜け落ちた毛だって目立つだろう。丸坊主にしろとまでは言わないが、その長さは許容できん」
「っ……や、やだ。髪は切りたくないっ……」
声が震えるほどに力を入れてカイナの腕を拒絶するチェル。当然力勝負で敵うはずもなく、カイナが持つ刃は着実にチェルの髪へと迫っていた。
「わがままを言うな。わざわざ追手に道標を残す気か?」
「むっ、結ぶからっ! 結べば文句ないでしょ?」
それはチェルにとっては最大限の譲歩であり、唯一の手札であった。
チェルが髪を切りたくないのは単純なこだわりであり、正しさはカイナの手の内にある。誰がどう考えても髪は切るべきであり、それでもチェルは髪を切りたくなかった。
「ねっ、ねえお願いっ……何でも言う事聞くからっ……。だから、髪だけは許してっ……カイナ兄っ……おねがいっ、許してっ……髪だけは、嫌なのっ……カイナ兄っ」
泣きじゃくりながら短刀を持つカイナの右腕に縋りつくチェル。か弱いながらも懸命に。わがままであっても必死に。チェルは始めて、泣くほどのわがままをカイナに向けていた。
そしてやはり、カイナは弟に優しいお兄ちゃんでは無かった。
「言っただろう。追い詰められている状況でまで優しくいられるほど、俺は強くないんだ」
「やっ、いやっ、やだやだっ……止めてよ、カイナ兄っ――あぁっ!?」
後ろ髪を掴まれていたことによってかかっていたテンションが、小気味の良い音を立てて千切れた。
信じられない気持ちで振り返ればカイナの左腕には金髪の房が握られており、その先はだらしなく宙に垂れていてどこにも繋がってはいなかった。
「うそっ……うそっ、うそうそっ……うそぉっ……っ!」
後頭部に右手を回して掌で後ろ髪を触る。後頭部から続くさらさらとした感触は肩の辺りで途切れ、腰をまさぐっても指に絡みつく感触が何処にも無かった。
「ひどいっ……なんで、こんなっ……ひどいよぉっ!」
「……」
聖剣を動かせなくなった時ですらここまでは取り乱さなかったチェルを、カイナは無表情に見つめていた。憐れむでもなく、呆れるでもなく、怒るでもなく。目じりに涙を浮かべるチェルを無視して、その手の髪束を焚火へと放り込んだ。
「あぁっ!? ああぁぁっ……」
チェルの後頭部から伸びていたころはサラサラだった金髪が、一瞬でチリチリに焦げて変わり果てていく。別れを惜しむ時間すら与えられないままに、チェルは長年大切にしてきた金髪の大半を無慈悲に捨てられてしまった。
「馬に乗れ、チェル。それとも、ここでそうやってずっとうずくまってるか?」
チェルの金髪を燃やし尽くした焚火に土をかけ、踏みにじるようにして鎮火させながらカイナは手を差し伸べた。
「うぅっ……うぅ~~っ」
そして、チェルはそんなカイナの手に身を預けることしかできなかった。
「いじわるっ……いじわるぅ~~っ!」
カイナはチェルを軽々と抱き上げ、鞍の上にうつ伏せにするように乗せると、くるくるとヒモで固定する。
結局一度も優しい言葉をかけてくれないまま、カイナは右手で手綱を引き、左手にランプを提げて歩き始める。
「ひっ……ひっくっ……」
泣き疲れて気を失うように眠るまで、チェルは夜の森に悲壮な鳴き声を響かせ続けたのであった。




