12話 湯の中で
夜。
二回の登山と下山を終えたあと、森の中にある平地に設置されたテントの中で。
ローリエは今、湯舟の中に体を浸していた。
デイジーの錬金術で構成した浴槽の中に、アクセルが出した温泉を入れたものだ。
なぜ、こんな簡易温泉が作られたかというと、
「ローリエ。今日の山越えで大分疲労がたまった……というか、大分、俺にしがみつくために足を使っただろう? 疲労を抜くために、温泉に入ると良いんじゃないか」
と、アクセルからの勧めを受けたからだ。
「殆ど運んでもらったから、疲れも最小限なんだけど――好意には甘えておくわ」
勧めを受け入れたローリエは、しかし、ただ何もせずに享受するだけというのも違う気がしたので、湯の温度チェックという形で手伝う事にした。
自分は足があまり動かせない為、先に入ってのチェックである。
そしてアクセルは今は浴槽の下部で、温泉を沸かすための魔法コンロを操作していた。
横幕が張られているので、こちらからも向こうからも姿は見えないだろうが、影でいるのだけは分かった。
それを見ながら、ローリエは手元の白濁としたお湯を手ですくう。
……こんな旅先で風呂に入れるのも有難い事よね……。
そう思っていると、
「足は大丈夫か?」
横幕の外からそんな声が聞こえた。
「勿論よ。そんなに辛そうに見えた?」
聞き返すと、幕の向こうのアクセルは、頬を描くような仕草をしていて、
「いや、だって。パロムさんから聞いたんだが、この温泉で、直りはしないまでも、痛みはある程度解消できるんだろう?」
ぎくり、と心の中で、何かが動いた。
自分としては、心配や負担になるから、と明かしていなかった情報だったからだ。
「……あの子、そんなことまで話したの?」
「勿論。まあ、旅の為に、病状は把握しておきたかったからな」
なんてことなくアクセルは言う。
けれど、そこで、ローリエの頭に気付きが走った。
……そもそも、なんで、アクセルは、温泉を持ってきたの?
何故普通の水を沸かして風呂にする事を考えなかったのか。
ただ気持ちが良いから、というだけで選ぶ選択肢だろうか。
輸送袋の容量が余ったから、という理由で持ってくるだろうか。
アクセルと出会ってそれなりに立つが、趣味と快楽に走っているような人ではない、というのは分かっている。
だから頭の隅で引っかかっていたのだ。
その謎が、少しだけ解けたような気がした。
「もしかして、だけど。アクセルが温泉を持ってきたのって、私のため……?」
「……」
アクセルは答えない。
けれどその沈黙は、肯定を示しているようなものだ。
「……まだ死ぬような状態じゃないし、もっと有用なものを持ってきても良かったのよ? 放っておいて問題ないことではあるのに……」
そんなことをローリエが言うと、アクセルは今度こそ口を開いた。
「――死なないからといって、痛くないわけじゃないだろう? 痛ければ、辛いだろう」
「まあ……それは、そうだけど」
「だったら、この温泉を持ってきたのはとても有用だと思うよ、俺は。他にも重要なものがあるかもしれないけれどさ。むしろ、ローリエ、君の辛さを解消できるのなら、最重要クラスだとも」
そんなアクセルの言葉に、
「優しいのね……」
思わずローリエは俯く。
「あんまり優しくされると……ちょっと泣くわよ、私」
今まで精霊姫として、気を張っていた何かが、ほどけてしまった。
そんな感覚が胸の中にあった。
弱みを見せてはいけない――というわけではないのだけれども。弱さを見せて、誰かを不安にさせてしまう事が怖かった。
だから、精霊姫という為政者の立場を選んでから、大分、意識を変えていたのだけれども。
体が弱っているからなのか、涙として零れてくる。
「良いんじゃないか? 感情を発散するのも。誰も見てないし」
そんなこちらに対し、アクセルは、暖かい言葉を掛けてくれた。そして、
「さて、セッティング終わり、と」
立ち上がった影が見えた。
「しばらく、温泉に入って、涙も汗も一緒に流して、ゆっくりすると良い」
「……ええ、ありがとう、アクセル」
†
ローリエが涙をぬぐい終えて、ひと息ついた頃合い。
「おす、姫様。オレも入っていいかー」
横幕の外からデイジーの声がした。
山登り時の獣形態はとっくに解除されていて、今は人間体としての影が見える。
場所を取るから許可を求めてきたのだろうが、元々この浴槽を作ったのは彼女なのに、律儀なことだ、と思いながら、
「構わないわよ。結構広く作られてるから。二人でも入れるでしょう」
「では、お邪魔するぜー」
そう言って幕の中に入ってきたデイジーは、来ていた服をするするっと脱ぐと、
「よいしょ……」
掛け湯の後、湯舟へと体を入れた。
「はあ、いい湯だぜ」
ほんわかした表情で言う。
「……」
暖かな湯の中で、ゆっくりと時間が流れていく。
だから、だろうか。ふと、ローリエはデイジーに声を掛けていて、
「……ねえ、ちょっといいかしら?」
「うん? なんだ?」
「アクセル……あの人、いつも優しいの?」
何気なく出てきた言葉だったが、それに対しデイジーは首を傾げた。
「親友? どうして、急にそんなことを?」
「さっき、ちょっと心配されてね。嬉しくて、優しい言葉を掛けられたの」
言うと、デイジーは顎に手を当て、
「ふむ……まあ、何というか優しいぜ。……偶に、目的に向かってわき目も振らずに走り出すスイッチが入ると、色々と凄いことになるけれど、……それでも優しいと思うよ」
柔らかな表情でそう言った。
「そうなの……」
デイジーの言葉を聞いて、ぽつりと、ローリエは言葉を零す。
「ちょっとした軽口として聞いてほしいんだけどね。……正直ね、ああいう人がいるなんて、思わなかったの」
「そうなのか?」
「魔力もそうだけど、能力値的には精霊の方が人間より高くなるのよ? だから精霊を心配しようだなんて人、あんまり見れないもの」
特に精霊姫である自分に会いに来る人間は、昔からそうだった。別にそれは悪い事ではないので、気にするほどの事でもなかったのだけど。
「なんか不意打ちを食らっちゃった気分でね」
なんだか、胸かほんわかしているのだ。
「あー……でも、親友はそういう奴なんだ。俺も幻魔生物で、人からはかけ離れてるけど……区別なんかしない男だからな」
「……そうなの?」
「うん。オレも、こんな体だからさ。人間にも魔族にも、それなりに酷い敵視をしていたことがあったんだけど。ずっと変わらずに接してくれるからなあ。正直、大好きになっちまうよなあって」
デイジーは、何かを思い出すように言う。
彼女も彼女で、今回の自分に対しての出来事のようなものがあったのだろう。
その表情を見つつ、ローリエは、暖かさ、それとも安心感からか、己の緩んだ表情を手で押さえながら。
「なんというか、今回の旅は、初めての感覚を味わうわね。気持ち的に、何だか暖かくなるような、そんな感じの」
「そうなのか? まあ、気分が良くなるのであれば、大切にした方がいい気持ちなんだろうな」
「ええ、本当に。……私も、そう思うわ」
最近、「叛逆の血戦術士」という作品の漫画原作を始めまして。コミックス第一巻が9月9日に発売されます(表紙画像↓から公式サイトへ行けます)。
是非一度、お手に取って頂ければ幸いです




