第三章 第四話(4)『打擲』
足元の地形が平らでない事に気付き、ドグは、ジャコウウシの一撃が尋常ならざるものである事を悟った。まるで大地が爆発したようでさえある。
思わず息を呑むが、それでも、と己の獣能を研ぎすませる。自分の後方にはイーリオの気配。そして前方に、はっきりとわかる六体の濃厚な気配。まだそこにいる。
今不意をつけば、敵は動揺するはず。ここが攻め時と、己の感覚を全開にして突っ込んで行くドグ=カプルス。
その触覚が、突如危険を警告する。
後方に跳ね飛ぶ。
前? 横?
いや、上!
ゴウッ! と空気を裂く音が後から続き、自分の今居た場所が、先ほどと同じ爆発に似た衝撃を放った。土塊に全身を打たれ、思わず吹き飛ばされるカプルス。その体をザイロウが抱きとめるも、二人揃って続く衝撃に、更に後方へと追いやられた。
ジャコウウシが大剣を振るったのだ。
咄嗟に篭手で体を庇えたのは、奇跡でも偶然でもなく、カプルスの獣能のお蔭だった。けれども、その一撃は、二体の体躯を軽々と吹き飛ばし、肺の空気を一気に奪っていく程に強烈なものだった。体を両断されなかったのがむしろ幸いというべきだろう。
煙から外に飛び出た二体に、容赦ない追撃を与えようとするジャコウウシ。
頭を振りかぶったその動作は、先ほどの一撃だ。あれを食らえばおそらく命はない。
絶体絶命と思われたその瞬間。
ピタリとジャコウウシの頭部が制止した。
片方のツノには鎖。もう片方には、目を凝らしてよく見ると糸が巻き付いている。
リッキーのジャックロックと、もう一つは、キングチーターの鎧獣騎士。
メルヒオールのノトスである。
二体が揃って、ジャコウウシの一撃を止めた。
「ッブねートコだったな。いい塩梅だぜ、メルヒオール」
ジャガーのリッキーが、キングチーターに声を放った。
「そんな事より、この牛君。なんていう馬鹿力なんだ……! 君と二人がかりでやっとだなんて」
息を呑むイーリオとドグ。そんな二人にリッキーの叱責が飛んだ。
「ガキ! ボサっとしてんじゃねぇ! とっとと退きやがれ!」
その声に、我に返った二人は、急いで後方に距離をとった。
「さぁ、捕まえたぜぇ。覇獣騎士団の次席官二人を相手に、このまま無事で済むと思うなよ?」
リッキーの挑発的な言葉だが、それを受けたジャコウウシは、低い声で笑いを発した。
「クク……。俺の獣能が、こんな糸クズとヒモ同然のモノで捕まえた、だと? 噂の覇獣騎士団とやらも、大した事はないな」
ジャコウウシの黒毛で覆われた首が、逆立つように膨れ上がる。筋肉が怒張しているのだ。そして次の瞬間――。
ツノに鎖と鋼糸を巻き付けたまま、ジャコウウシは己の巨大化したツノを、頭部ごと、ぐるりと旋回させた。吹き飛ばされる、ジャックロックとノトス。
その勢いで、ツノを捉えていた鎖と糸も飛ばされてしまう。
咄嗟に体勢を整えたリッキーとメルヒオールは、空中で体を捻り、猫科動物特有の柔軟さで、何事もなく地面に着地する。と同時に、敵の第二撃を警戒して、すぐに身構えた。
――だが。
敵は襲ってこなかった。
前を見ると、煙の前にジャコウウシの鎧獣騎士はいない。
それどころか、いつリッキーの鎖を解いたのか――。おそらくジャコウウシがしたのであろうが、戒めを解いたヤクの二体が、残り三体と共に、後方に駆け去って行く。ツノの形を通常の大きさに戻した、ジャコウウシも一緒だ。
すぐに後を追おうとする参号獣隊 の騎士に、メルヒオールは待ったをかけた。
「止すんだ。今突っ込めば、返り討ちにあうかもしれん」
「しかし……」
「僕の〝糸〟を振りほどく程の実力者だぞ。タダ者じゃないよ」
メルヒオールのその言葉に、駆け出そうとしていた足を止める、チーター達。
既に敵とは、かなりの距離が開いている。
やられっぱなしもいいとこと言える結果だ。だが、何もなかったワケではない。
――あの男。
あの時ジャコウウシの鎧獣騎士が放った大陸公用語。それは確かにゴート帝国の訛りではなかった。普段、主席官から聞いていたので気付いたのだろう。聞き慣れた南方に近い音の癖。おそらくアクティウムか、カディスあたりの人間だろう。着けていた授器は、ゴート帝国の紋が入っていたが、どうにも違和感がある。
その違和感が何なのか考えていると、突然、リッキーの声がした。
見ると、鎧化を既に解いて、元に戻っている。だが、その顔は怒りに満ち、カプルスになったままのドグの首元を掴んでいた。
「ガキ共! 鎧化を解け! すぐにだッ!!」
迫力のこもった声に、思わず言われるがまま、すぐに鎧化を解除する二人。
その途端。
立て続けに殴り飛ばされる。ドグ。次にイーリオ。
目から火花が出るかと思われた一撃。地面に尻餅をつき、リッキーを見上げる。
「何で、勝手に飛び込んだ?! オレの言葉を聞いてなかったのか?!」
ドグは俯く。
「いいか、てめえらみてーなガキを、死にたがり、とか、身の程知らず、って言うんだよ! いけるとでも思ったのか? この五日間で何を学んできたんだ?」
言い返す言葉もない。しかもイーリオに至っては、戦いの最初、気負うあまりに狼狽を見せ、危うい時も多かったくらいだ。
しみじみに思う。
今まで自分が勝利出来た相手は、所詮、山賊まがい。騎士団の人間に勝てたのは、どれも不意を突いたり、ザイロウの特別な力があったからこそ。それが使えない時は、自分は本当にどうしようもなく非力だ。
それはドグも同じだろう。拳を血の気がなくなるほどに握って、悔しそうに俯いている。悔しいのは己自身に対してだ。己の非力さと無知さ加減に対してだ。
「まぁその辺にしときなよ、リッキー。彼らだって反省してるさ。それに、この子達を実戦に連れ出すって言ったのは君自身だろう? なら、こんな事態だって予測しなきゃね」
穏やかに諌めるメルヒオールの声。
分かっている。
リッキーは、それでもここで拳を振るわなければ、戦いの気構えを伝える事が出来ない。そう考えたのだという事が。
それがわかる分、このまま無為な結果で終わる自分自身の不甲斐なさに、無念と後悔だけが心の中に沈殿していくのが、どうしようもなく感じとれた。
「オレに着いて来い。明日からも」
顔をあげるイーリオとドグ。
「オメーらをこのまま放っておいたら、いずれ迷惑な所で野垂れ死ぬに決まってる。それに、オメーらが死ぬって事は、あのレレケって女も無事じゃ済まねえ可能性もあるってコトだ。そーなったら、オレがメルヒオールに何されるかワカんねー」
うんうんと首肯するメルヒオール。彼も、そして共に戦った騎士団の人間も、話の間に鎧化を解いていた。
「だから、オレの巡検に着いて、一緒にレーヴェンラントまで来るんだ。どーせ行く目的は、ワカんねぇんだろ?」
黒騎士の居場所がわかった所で、今のイーリオにどうする事も出来ない。そういう意味で、イーリオら一行の旅の目的は、今やないに等しいと言えた。
「……いいんですか?」
「オメーらが望むなら、な。どうする? 生きる為に進むのか? それとも、諦めて死ぬか?」
ドグを見る。彼も同じ考えのようだと思った。
「お願いします!!」
イーリオは、頭を下げた。
こうして、イーリオ達四人は、新たな仲間、そして最初の師匠と共に、次の場所へと旅立つ事になったのである。目的地はメルヴィグ王国王都レーヴェンラント。




