第一章 時計塔から消えた青い星 その⑤十一時の青い星
「弱い方で」
リズは答えた。
ノアが振り返る。
「Ⅰのまま?」
「うん。十一時まで送り続けよう」
「でも、弱すぎてXIが動かなかったら?」
「それは分からないけど……」
リズは壁に貼られた紙を見る。
――光は十一時まで消すな。
「『強い光を送れ』じゃなくて、『消すな』って書いてあるから」
ネリーが紙を見る。
「強さより、続けることが大事?」
「そうかもしれない。それに」
リズは古い配管図へ目を落とした。
「四十年以上使ってないんだよね?」
「そうよ」
マーサが答える。
「だったら、いきなり強くするのちょっと怖い」
リズは機械には詳しくない。今日初めて古い装置を触ったくらいだ。けれど、分からないものだからこそ、無理をさせるのは違う気がした。
「まずⅠで。それで十一時まで待ちたいです」
マーサはほんの少し口元を緩めた。
「いい判断だと思うわ」
「ほんと?」
「古い設備が反応しないと、すぐ出力を上げたがる人は多いのよ。でも反応が遅れてるだけかもしれない。内部で何が起きてるか分からないものに力をかけるのは最後」
マーサが大きなレバーへ手を掛けた。
「じゃあ、低出力でいく」
午後十時四十五分。
「送るわよ」
レバーが下りた。
ゴウン。
集積所の奥で、重い音がした。圧力計の針がゆっくりと上がる。床の下から振動が伝わってきた。真鍮管の中を何かが走っていく。光そのものは見えない。
けれど確かに、昼間に集められた太陽の力が、何十年も使われていなかった地下の道へ送り込まれている。
「……どう?」
ノアが機械鳥を見る。
針はⅠのまま。
「変わらない」
一分、二分、そして三分。
何も起きない。計器は安定している。配管も壊れない。けれどXIからの反応もない。
「やっぱり弱い?」
ノアが落ち着かなくなってくる。
「まだ九分ある」
ネリーが言った。
「待ちましょう」
リズも頷く。
十一時まで消すな。だったら消さない。今は、それしか分からない。
午後十時五十分。変化なし。
十時五十二分。何もない。
ノアが何度目か分からないくらい時計を見る。
「時間って、待ってるとすごく遅いね」
「さっきまで走り回ってたから余計にね」
リズも落ち着かず、窓を見る。
夜のグレイヴェル。遠くに時計塔が見える。星はまだない。
あの灰色の青年は、今どこにいるのだろう。またどこかから、自分たちを見ているのだろうか。
そう思った瞬間だった。
カチ。
「……え?」
リズの手の中で、機械鳥が震えた。
三人が一斉に覗き込む。十時五十五分。目盛りの針がⅠからⅡへ。
「動いた!」
ノアが声を上げる。
「出力は変えてないわよ」
マーサが計器を確認する。
「ずっと同じ」
「じゃあこれは……」
「向こうが反応した?」
ネリーの言葉に、リズの胸が高鳴る。
その直後。
ゴ……ン。
とても遠くから低い音が響いた。
「今の、集積所?」
リズが尋ねる。
「違う」
マーサは計器を見ていた。
「こっちじゃない」
針がわずかに揺れている。
「光が……戻ってきてる」
「戻って?」
「ほんの少しだけ。向こう側の何かが動いて、こちらへ反応を返してる」
「XI?」
「おそらく」
博物館はもう閉まっている。誰も触っていないはずの、百年前の装置。
それが今、地下で目を覚ましている。
午後十時五十六分。機械鳥の針がさらに動いた。ⅡそしてⅢへ。
「三!」
ノアが叫ぶ。
同時に、機械鳥の胸から青い光が放たれた。
「何か出る!」
壁に文字が浮かぶ。
LOOK EAST.
「東を見ろ」
リズが読む。
「東?」
ネリーが窓へ向かう。
三人とマーサは作業室を飛び出した。夜の空気が頬を撫でる。
「東って……」
「博物館!」
リズはすぐに分かった。
集積所から東にある旧王立天文観測所。XI。
三人は暗い街の向こうを見る。
午後十時五十七分。何もない。
――いや。
「あれ」
博物館の辺り。屋根の向こうから、淡い青色の光が滲んでいる。
「光ってる」
それは少しずつ強くなった。
そして午後十時五十八分。一筋の青い光が、夜空へ向かって伸びた。
「……わあ」
リズは思わず声を漏らした。
青い光の柱。霧のような蒸気が夜の街に残っていて、その中を光が貫いていく。街灯より青く。月明かりより鮮やかに。まっすぐ空へ。
「XIは……」
ネリーが呟く。
「『星を見る』んじゃなかったんだ」
リズは光の先を見上げる。
「星を探してる」
光はゆっくりと空を動いた。まるで巨大な指で夜空をなぞるように。右、左、少し上。そして止まる。
光の先に、一つの星があった。青白い小さな星。
「あれ?」
ノアが首を傾げる。
「普通の星?」
「たぶん」
八つ尖りではない。時計塔に現れた青い星とも違う。でもXIの光は、その一つを選ぶように、ぴたりと止まっている。
十時五十九分。あと一分。
誰も喋らなくなった。集積所の機械音、遠くを走る蒸気車、風、そして青い光。
リズは時計塔を見る。まだ、何もない。
青年の言葉が蘇る。十一時に、星を見ろ。
何を見るの?夜空の星?時計塔?それとも
ゴーン。
鐘が鳴った。十一時。その瞬間、博物館から伸びていた光が消えた。
「消えた!」
ノアが言う。
同時に、時計塔の中央の暗かった文字盤に青い星が浮かび上がった。
「……!」
八つの尖り。午後二時十三分。午後五時。リズが見てきたものと、同じ。けれど今までで一番強い。
夜のグレイヴェルの中心で、星だけが青く燃えているようだった。
一度光が消える。また点く。二度。そして三度。
「三回……」
ネリーが呟いた。
三度目の光が消えたあと。
ゴゴゴ……。
今度は、時計塔そのものから低い音が響いた。文字盤の下、今までただの装飾に見えていた真鍮板がゆっくりと開いていく。
「開いた」
その奥から現れたのは、小さなレンズ。青い光が溜まる。
そして――。
ぱっ。
一本の光が放たれた。今度は東ではない。
「西!」
リズが声を上げる。
青い光は街の上を走っていく。時計塔から西へ。IIIを越え。VIIを越え。さらにその先の古い街の外れへ。
「まだ続きがあるの?」
ノアの声は完全に嬉しそうだった。
「どこに向かってる?」
「待って」
リズは頭の中に、ベルの店で見た1842年の地図を思い浮かべる。
時計塔、III、VII、さらに西へ。今の街では建物が変わっている。でも古地図なら。
「……旧王室離宮」
「え?」
「たぶん」
リズは今日見た地図を頭の中で辿る。
「街の西側にあった。大きな庭があって……」
そのとき。
カチ。
銀色の機械鳥が動いた。
「また!」
胸が開く。中から細い紙が押し出されてきた。リズがそれを取ると黒い文字があった。
――王は星を空には隠さなかった。
――花の下に隠した。
「花?」
ノアが紙を覗き込む。
リズは目を閉じた。古地図、旧王室離宮、大きな庭、そしてその一角。
「あ」
「思い出した?」
「温室があった」
「温室?」
「うん。離宮の奥に。」
ネリーの表情も変わる。
「花の下……」
「行こう!」
ノアが即座に言った。
「待って」
リズとネリーの声が綺麗に重なった。
「また!?」
「今、何時だと思ってるの?」
ネリーが呆れる。
「十一時」
「夜の十一時に、使われてない旧王室離宮へ三人で?」
「でも光はあっちに行ったよ」
「それでも」
リズも青い光が消えていった西の空を見る。気になる。ものすごく気になる。今すぐ行きたい気持ちは、ちゃんとある。
だけど、灰色の青年はまだ何者か分からない。しかも今度の場所は、人通りのある市街地ではない。
「私も行きたい。でも三人だけは怖いかな」
「じゃあどうする?」
「私も行く」
三人が振り返る。
マーサだった。
「え?」
「旧王室離宮でしょ?」
「そうだと思います」
「温室?」
「はい」
マーサの目が、さっきブルー・スター計画の話を聞いたとき以上に輝いた。
「王室離宮の温室に、ブルー・スター計画の設備が残ってるかもしれないの?」
「たぶん……」
「行く」
即答。ノアが嬉しそうに指を差す。
「やっぱり仲間!」
「うるさい」
けれどマーサは否定しなかった。
「ただし」
工具を片づけながら、マーサは続ける。
「私一人増えたくらいで、夜中の廃施設へ入っていいことにはならないわ」
「ですよね」
「市の管理施設なら鍵も必要だし、何かあったときに対応できる人間もいる」
「誰か心当たりが?」
ネリーが尋ねる。
マーサは少し考えたあと、ため息をついた。
「……夫を呼ぶ」
「旦那さん?」
「夜警隊にいるの」
「それなら安心だ!」
ノアが言う。
「本人が来てくれるかは別問題だけどね」
マーサは壁際の伝声管へ向かった。その顔には、夫へ夜中の十一時に何を説明すればいいのか考えている人特有の、少しだけ気まずそうな表情が浮かんでいる。
「何て言うんですか?」
リズが聞く。
「『旧王室離宮の温室で百年前の秘密装置が動いたかもしれないから一緒に来て』」
「……信じてもらえます?」
「結婚して二十年よ」
マーサは伝声管の蓋を開けた。
「こういうことには慣れてるわ」
その言葉だけで、リズはマーサ夫妻のこれまでを少し想像してしまった。
ノアが笑いを堪えている。
ネリーも口元を押さえている。
リズもつられて笑った。
十一時の青い星はもう消えていた。でも、今度は西へ新しい道が伸びている。
王は星を空には隠さなかった。花の下に隠した。旧王室離宮。ガラスの温室。
そこには、何が待っているのだろう。
そして、灰色の青年は、そこにもいるのだろうか。
――さて、リズはどうする?




