第一章 時計塔から消えた青い星 その④夜に光を送る方法
VIIもIIIも、動かすには光が必要だった。
VIIでは夕日が青いレンズを通った。IIIでは鏡で夕日を導いた。あれがなければ、どちらの装置も目を覚まさなかった。
「太陽ないね」
ノアが空を見上げる。
月は出ている。けれど、百年前の巨大な装置を動かすほど強い光には思えない。
十一時に星を見ろ。なのに十一時には、太陽がない。
もしかしたら夜でもXIを動かす方法があるのかも。リズは今日見た景色を思い返す。
中央駅、時計塔、赤煉瓦の建物、街中を走る蒸気管。そして昼間、屋根の上でゆっくりと太陽を追っていた巨大な真鍮の円盤。
「あ」
「何か思いついた?」
「太陽光集積器」
ノアが瞬きをする。
「でも夜だよ?」
「昼間に集めた光とか熱って、夜に使えないのかな」
三人の頭上では、街灯が明るく輝いている。
ネリーもそれを見上げた。
「グレイヴェルの街灯は、太陽光集積所のエネルギーも使ってるはず」
「じゃあ、夜でも強い光を作れるかもしれない」
「どこにあるの?」
「第三集積所ならここから近い」
ノアが立ち上がった。
「行こう!」
今回はリズもすぐに立った。
第三太陽光集積所は、博物館から歩いて十分ほどだった。昼間にリズが遠くから見た巨大な円盤は、夜になると動きを止めている。
地上部分は赤煉瓦造りの大きな建物で、壁から何本もの真鍮管が伸びていた。管は街の地下へ潜り、別の管は上階の巨大な圧力槽へ繋がっている。
「……大きい」
正面には鉄柵。門には《市営光熱局・第三太陽光集積所》と書かれていた。当然、閉まっている。
「どうする?」
ノアが門を揺らす。
「開かないね」
「開いたら逆に怖いでしょ」
ネリーが止める。
リズは柵越しに中を覗いた。夜間でも設備は動いているらしく、建物の奥から規則的な機械音が聞こえる。
その横に細い通路があった。少し先に、作業員用らしい小さな扉が見える。
「あそこからなら……」
「リズ?」
「いや、入ろうとは言ってないよ」
ネリーに先回りされ、リズは慌てて否定した。
「ただ、近くまで行けないかなって」
「それを侵入って言うんじゃない?」
「まだ柵の外だもん」
「今のところはね」
ノアが楽しそうに笑う。
「ちょっとだけ見ようよ」
「ノアが言うと急に犯罪感が出るからやめて」
三人は建物の外周を回ることにした。裏手へ行けば、地下へ続く配管がもっとよく見えるかもしれない。少なくとも、そういう名目だった。
細い路地へ入り、集積所の壁沿いを進む。その先に、半分開いた鉄製の作業門があった。三人は止まった。
「……開いてる」
ノアが囁く。
「入れるね」
「入れるけど、入っていいとは書いてない」
ネリーが言う。
「ちょっとだけなら」
リズは門の向こうを覗く。危険な機械があるようには見えない。奥に古い配管と、壁に取り付けられた案内板が見える。
文字だけ。文字を確認するだけ。
「一歩だけ」
「リズまで」
「一歩だけだから」
三人でそっと作業門を抜けた。二歩。三歩。
「一歩じゃなかったね」
「そこで何してるの?」
三人の背筋が同時に伸びた。振り返る。
作業着姿の女性が立っていた。四十代くらいだろうか。髪を後ろでまとめ、袖を肘までまくっている。片手には工具箱。指先には油の汚れ。
明らかに市の職員だ。
「こんばんは」
リズは反射的に挨拶した。
「こんばんはじゃないわ」
「ですよね」
「ここ、関係者以外立ち入り禁止なんだけど」
「すみません」
三人揃って頭を下げた。
ノアだけがほんの少し笑いを堪えている。
ネリーが肘で小突いた。
「何をしてたの?」
女性の声は厳しい。でも、怒鳴ってはいない。
リズは少し迷った。
「……古い光の設備を探してました」
「古い設備?」
「王立天文観測所に繋がっていたかもしれないものです」
女性の眉が動いた。
「王立天文観測所?」
さっきまでと声音が違う。
「はい」
「旧館?」
「たぶん。今の市立博物館です」
女性は工具箱を地面へ置いた。
「詳しく話して」
ノアがリズの耳元へ顔を寄せる。
「この人、絶対好きな人だ」
「何が?」
「歴史」
「聞こえてるわよ」
二人は黙った。女性はため息をついた。
「マーサ・グレイ。ここの技師」
「リズです」
「ノアです!」
「ネリーです。すみません、勝手に入りました」
「あなたが一番まともそうね」
「そうだと思います」
リズとノアが同時に抗議した。
三人はマーサに連れられ、作業室へ入った。
事情を説明する。時計塔の青い星、銀の機械鳥、VIIとIII、ブルー・スター計画、博物館のXI。そして、灰色のコートを着た青年。
マーサは最初こそ腕を組んで聞いていた。ところが話がブルー・スター計画に差しかかる頃には、椅子へ座り。VIIの装置が実際に動いたと聞いたところで、前のめりになり。XIが博物館に残っていると聞いた頃には、完全に目が輝いていた。
「本当に?」
「本当です」
「BLUE STAR OPTICAL SYSTEMって刻印が?」
「ありました」
「No. VII?」
「はい」
「……見たかった」
ぼそり。
ネリーがノアを見る。
ノアは得意そうに「ほら」という顔をした。
「歴史、お好きなんですね」
リズが言うと、マーサは咳払いをした。
「技術史は仕事にも関係するから」
「はい」
「別に趣味だけじゃない」
「はい」
「……古い配管図を集めるのは趣味だけど」
「やっぱり好きなんじゃん!」
ノアが言った。
「あなた、さっきからうるさいわね」
けれどマーサは少し笑っていた。
「それで、十一時にXIを動かしたいんです」
リズが本題へ戻す。
「VIIとIIIは、光を入れると動きました。でも十一時は夜だから」
「太陽光集積器から光を送れないかと思ったわけね」
「はい」
マーサは顎へ手を当てる。
「考え方としては悪くない」
「できますか?」
「今の設備から博物館へ直接照射するのは無理」
「あ……」
「でも」
マーサが立ち上がった。
「少し気になるものがある」
壁一面に並んだ図面の中から、古いものを数枚引っ張り出して机へ広げた。
「今の集積器は、太陽の光をそのまま夜まで取っておくわけじゃない。昼間に集めた熱を圧力設備へ送って蓄える。夜はその力でアーク灯を動かすの」
「つまり、夜でも強い光は出せる?」
「そういうこと」
マーサが図面の上を指で辿る。
「ただ、今の街灯系統は行き先が固定されてる。博物館へ向けるなんて使い方はできない」
「じゃあ無理?」
「今の配管ならね」
その指が止まった。古い図面。新しい線の下に、薄く残っている一本の管。
「これ……」
ネリーが顔を近づける。
第三集積所から東へ。地中を通り、現在の博物館の地下へ。
「王立天文観測所」
リズが呟いた。
「正確には旧観測所の地下機械室」
マーサの声が少し弾んでいる。
「1850年代には廃止された配管よ。現在の設備図には載ってない。でも完全撤去した記録もない」
「まだ残ってるかもしれない?」
「可能性はある」
「そこへ光を送れば……」
「XIに繋がるかもしれない」
三人は顔を見合わせた。
「やってみよう!」
ノアが言う。
「だめ」
マーサは即答した。
「えー」
「四十年以上使っていない配管よ。腐食や亀裂があるかもしれない。いきなり圧力をかけるなんて論外」
「じゃあどうすれば?」
「私が調べる」
マーサは図面を丸めた。
「設備側の接続を確認して、管が生きてるか試す」
「今日できますか?」
リズが尋ねる。
マーサは壁の時計を見る。
「時間はかかる」
三人も時計を見る。午後八時を少し過ぎている。
「十時四十五分」
「え?」
「その頃にもう一度来なさい」
マーサはそう言った。
「使える状態なら、私が光を送ってあげる」
「本当ですか?」
「勘違いしないで。あなたたちに設備を触らせるわけじゃない」
「はい」
「私が操作する」
「はい!」
「それと次から正面から入ってきなさい」
「……はい」
リズは少しだけ目を逸らした。
「一歩だけのつもりだったんです」
「三人とも完全に中にいたけど?」
「そこは本当にすみません」
マーサは呆れたように息を吐く。
「十時四十五分。それまでは邪魔だから出て行って」
「ありがとうございます!」
三人は作業室を出た。
ノアだけが振り返る。
「マーサさん!」
「何?」
「ブルー・スター計画、見られたら嬉しい?」
「早く出て行きなさい」
「絶対嬉しいんだ」
ネリーがノアの背中を押した。
集積所を出る。
「十時四十五分まで……」
リズが時計を見る。
「二時間以上あるね」
そう言った瞬間。ぐう。聞き覚えのある音。
二人がリズを見る。
「……なに?」
「リズ」
「なに?」
「お腹」
「仕方ないじゃん!」
グレイヴェルへ着いてからまともな食事をしていない。食べたのは、ベルの店でスコーンだけ。
「ご飯にしよう」
リズは迷わず提案した。
「賛成」
ネリーも即答した。
「事件中なのに?」
「事件中でも人はお腹が空くの」
「というか、まだ事件って決まってないよね」
「ここまで来て!?」
ノアだけが納得していない。
三人が入ったのは、《銅鍋亭》という小さな食堂だった。名前の通り、厨房には大きな銅鍋がいくつも吊るされている。店内は仕事帰りらしい人々で賑わい、煮込み料理と焼いたパンの香りが満ちていた。
リズはメニューを見る。肉と根菜の煮込み、パン付き。銅貨五枚。
「これにする」
「決めるの早いね」
「美味しそうだから」
本当は、値段が一番安心できたからでもある。所持金は銀貨十二枚と銅貨七枚。まだ仕事はない。謎に夢中になって忘れそうになるけれど、それは現実としてちゃんと存在している。
「そういえば」
料理が運ばれてくるのを待ちながら、リズは二人を見る。
「聞きたいことがあったんだった」
「灰色の人?」
「それも気になるけど……仕事」
ノアが目を丸くした。
「この状況で?」
「この状況だからって明日から宿代がいらなくなるわけじゃないもん」
「それはそうだけど」
「私、三日分しか宿取ってないんだよ」
「それは急いだ方がいいわね」
ネリーは真面目に頷いた。
「でしょ?」
ちょうど煮込み料理が届く。温かい湯気が上がっている。リズは一口食べて、ほっと息を吐いた。
「おいしい……」
ようやく今日一日が体に追いついたような気がした。
「リズは何ができるの?」
ネリーが聞く。
「読み書きと計算。家のことは一通りできるし、村のお店を手伝ったこともあるよ」
「力仕事は?」
「普通」
「機械は?」
「今日初めて触った」
「潔い」
「でも覚えるのは得意」
「それは知ってる」
ノアがパンをちぎる。
「博物館とか向いてるんじゃない?」
「博物館?」
「資料とかいっぱい覚えられそう」
「なるほど」
「事務仕事もよさそうね」
ネリーが言う。
「帳簿とか、書類整理とか」
「その辺かなあ」
「あとベル爺のところ」
ノアが何気なく付け加えた。
リズの手が止まった。
「《真鍮の駒鳥亭》?」
「うん」
「求人してるの?」
「知らない」
「知らないんだ」
「でも一人でやってるし」
ネリーがスープを飲む。
「忙しい日は大変そうよね」
リズは昼間の店を思い出した。深緑の扉、琥珀色のランプ、古い本、真鍮の機械、紅茶、スコーン。そしてベルの静かな声。
「……ちょっといいな」
「やっぱり」
「え?」
「リズ、あの店好きだったでしょ」
ノアがにやにやする。
「分かりやすかったわ」
ネリーまで言う。
「そんなに?」
「入った瞬間」
「顔に出てた」
二人に揃って言われ、リズは少し恥ずかしくなった。
「だって、素敵だったんだもん」
「ベル爺の店、普通の喫茶店でもあるんだけど」
ノアが続ける。
「普通の喫茶店“でも”?」
「たまに変な相談が来るんだよ」
「変な相談?」
「なくし物とか、知らない人から届いた手紙とか、古い家から妙なものが出てきたとか」
「ベル爺、昔の記録を調べるの得意だから」
ネリーが補足する。
「誰に聞けばいいか知ってるし、人もよく知ってる」
「……それ、面白そう」
また、口から先に出た。
ノアが笑う。
「リズ、そういうの好きそう」
「今日一日で否定できなくなってきた」
仕事を探しに来たはずなのに。気づけば銀色の機械鳥を拾い、古地図を広げ、百年前の装置を動かし、閉館五分前の博物館へ走り、市の施設へ少しだけ勝手に入り。
「……今日、私ちゃんと仕事探せてないね」
「明日でいいじゃん」
「ノアは気楽だなあ」
「でもベル爺に聞くだけなら明日すぐできるよ」
確かに。
「じゃあ、明日聞いてみようかな」
「採用されたら毎日スコーン食べられるね」
「それは絶対お給料から引かれると思う」
「食べ放題かもしれない」
「どんな福利厚生?」
ネリーが笑った。
灰色の青年、十一時の星、王の忘れ物。分からないことはまだたくさんある。それでも温かい料理を食べて、くだらない話をしているうちに、張りつめていたものが少し解けていった。
世界は謎だけでできているわけではない。それが少し嬉しかった。
午後十時三十八分。三人は再び第三太陽光集積所へ戻った。今度はちゃんと正門から。
「学習したね」
ノアが言う。
「当たり前でしょ」
「誰のせいだと思ってるの?」
「三人とも入ったじゃん」
「誘ったのはノア」
「一歩だけって言ったのはリズ」
「二人とも静かに」
ネリーが止める。
受付でマーサの名前を告げると、すぐに通された。作業室では、マーサが古い配管図と計器を並べていた。
「来たわね」
「どうでした?」
リズが駆け寄る。
「管は生きてる」
三人の顔が明るくなる。
「ほんと!?」
「ただし、状態がいいとは言えない。途中で圧力が落ちるし、かなり古い」
マーサが計器を指す。
「でも弱い出力なら光を通せそう」
「XIまで?」
「少なくとも博物館地下までは繋がってる。そこから先は、向こうの装置次第」
時計を見る。十時四十一分。あと十九分。
「じゃあ十時四十五分から?」
「そのつもり」
マーサが操作盤へ向かう。
そのとき、リズは壁を見て足を止めた。
「……これ」
「何?」
配管図の隣に一枚の白い紙が貼られていた。さっき来たときにはなかった。
リズには分かる。この壁は見た。上に大きな圧力計、右に赤い弁、中央に古い図面が三枚。その間に、白い紙なんてなかった。
「マーサさん。これ、いつ貼りました?」
「何を?」
マーサが振り返り、紙を見て眉を寄せた。
「知らない」
「さっきはなかったです」
「本当に?」
「はい」
リズは即答した。
「覚えてます」
マーサが紙へ近づく。一行だけ、黒い字が書かれている。
――光は十一時まで消すな。
室内が静かになった。
「……また灰色の人?」
ノアが小さな声で言う。
「分からない」
ネリーは入口を見る。
「でも、ここって自由に入れる場所じゃないわよね」
「もちろん」
マーサの声が低くなる。
「職員以外なら問題よ」
リズは紙を見つめた。十一時まで消すな。つまり、十時四十五分に光を送り始めたら。十五分間。
「十五分、送り続けろってこと?」
「そう読めるわね」
マーサが操作盤を見る。
「でも問題がある」
「何ですか?」
「古い管に強い出力を十五分かけ続けるのは勧めない」
マーサは計器を指した。
「今から出せる方法は二つ」
三人が近づく。
「強い光なら、XIを動かせる可能性は高い。でも古い配管への負担が大きいから、長時間は危険」
「もう一つは?」
「弱い光を送り続ける」
「十一時まで?」
「できる。ただし、XIを動かすのに十分かは分からない」
ノアが腕を組む。
「強い方が確実じゃない?」
「装置だけ考えるならね」
マーサが答える。
「でも管が壊れたら、その時点で終わりよ」
「弱かったら何も起きないかもしれない」
ネリーが言う。
「そういうこと」
時計の針が進む。十時四十三分。あと二分。
リズは銀色の機械鳥を見る。すると胸の中から、小さな音がした。
カチ。
「え?」
蓋が開く。
今まで気づかなかった小さな目盛りが、内部に浮かび上がっていた。
Ⅰ Ⅱ Ⅲ
針はⅠを指している。
「三段階?」
ノアが覗き込む。
「また三つ」
ネリーが呟く。
三つの青、三つの装置、そして今度は三段階の目盛り。
関係があるのか。それとも、ただの偶然か。
マーサは時計を見た。
「十時四十四分」
あと一分。
「決めるなら今よ」
強い光を送る。
それとも弱い光を、十一時まで消さずに送り続ける。
リズは古い配管の向こう側を思い浮かべた。
地下を走る、百年前の配管、その先で眠るXI、灰色の青年、謎の紙、そして十一時の青い星。
答えは、まだ分からない。
――さて、リズはどうする?




