第一章 時計塔から消えた青い星 その②青い光の道
「行ってみたい」
気づけば、リズはそう答えていた。
テーブルの上には、古いグレイヴェルの地図。
VII、III、XI。三つの数字は偶然とは思えないほど綺麗に一本の線で結ばれている。最初のVIIが示しているのは、今はもう存在しない《聖オルフェウス礼拝堂》。
「だよね!」
ノアが待ってましたとばかりに立ち上がった。
「絶対行くと思った!」
「ちょっと待って」
ネリーが紅茶のカップを置く。
「行くのはいいけど、もう夕方よ」
「まだ明るいよ」
「そういう問題じゃない」
「私もネリーに賛成かな」
「リズまで!?」
リズは笑いながら、銀色の機械鳥を鞄へしまった。
「気になるけど、知らない場所だし。暗くなる前には戻ろう」
グレイヴェルに着いてまだ数時間。土地勘もない。ましてや、あの機械鳥を誰が駅へ置いたのかも分からない。興味があることと、何も考えずに飛び込むことは別だ。
「分かった。じゃあ急ごう!」
結局一番先に店を飛び出したノアを見て、ネリーがため息をつく。
「ベル爺、行ってきます」
「ああ」
ベルはいつもの穏やかな表情で答えた。
けれど店を出る直前、リズは振り返った。ベルはカウンターに残された古地図を見つめている。さっきまでの柔らかな顔とは、少し違って見えた。
何かを知っている。そんな気がした。
「リズ?」
「今行く!」
ネリーに呼ばれ、リズは深緑の扉を閉めた。
聖オルフェウス礼拝堂があった場所は、仕立屋と古書店、それから蒸気管の修理工房に挟まれた細長い空き地になっていた。
「……ここ?」
ノアが辺りを見回す。
礼拝堂の面影はほとんど残っていない。雑草。、崩れた煉瓦、壁際に積まれた古い木箱。これだけなら、知らずに通り過ぎてしまいそうな場所だ。
「ベル爺、なくなった建物にも残るものはあるって言ってたよね」
ネリーが呟く。
「土台とか?」
ノアがすぐにしゃがみ込んだ。
「探そう!」
三人で手分けして空き地を調べる。
リズは一度、古地図で見た礼拝堂の位置を思い浮かべた。
入口は川側。小さな塔があったのは――。
「こっちかも」
奥へ進むと、雑草に半分埋もれた石が並んでいた。しゃがんで土を払う。
「……あった」
石の表面に刻まれた文字。
VII。
その上には、八つ尖りの星。
「本当にあった!」
ノアが隣へ飛んでくる。
「すごい。地図の印と同じ」
ネリーもしゃがみ込んだ。
リズは指先で星の輪郭をなぞる。その中心には、小さな丸い穴が開いていた。
「これ、何だろう」
「鍵穴?」
「鍵にしては丸すぎるわね」
リズは穴を覗き込む。
大きさは――。
何かが引っかかった。
「……もしかして」
鞄から銀色の機械鳥を取り出した。片方だけ残っている、青いガラスの目。それを石の穴と見比べる。
「同じくらいじゃない?」
ノアが言った。
「でも、目を取っちゃって大丈夫なの?」
「壊れないかな」
リズがそっと青い目に触れる。軽く回すと、抵抗もなく外れた。
「取れるようにできてる」
ネリーの表情が変わる。
「なら、使うためのものかもしれない」
青いガラスを穴へ近づける。
ぴたり。
大きさは同じ。
「……入れてみる?」
ノアが期待に満ちた目で言う。
「その顔されるとちょっと不安になるんだけど」
「なんで!?」
リズは笑いながらも、もう一度石を見る。危険そうな仕掛けは見当たらない。少なくとも、触れただけで何かが爆発しそうには見えない。
「やってみよう」
青い目を穴へ差し込んだ。
カチリ。
三人の動きが止まった。
ゴ……。
足元から、低い音が響く。
「え」
「ちょっと待って、これ大丈夫!?」
ノアが言う。
「今それ言うの!?」
ネリーが睨む。
石の下で何十年も眠っていた歯車が、ひとつ、またひとつと動き始めた。
リズは思わず一歩下がる。
やがて石の一部が左右へ開き、中から真鍮製の細長い装置がせり上がってきた。形は望遠鏡に似ている。側面には文字が刻まれていた。
BLUE STAR OPTICAL SYSTEM
No. VII
「ブルー・スター……」
リズが読み上げる。
「計画の装置?」
ネリーが呟く。
そのとき、西から差し込んだ夕日が青いガラスへ当たった。ぱっ、と青い光が走る。
「わっ!」
細い光の筋が装置から放たれ、空き地を横切った。
三人はその先を見る。東。
「IIIの方向だ」
リズにはすぐに分かった。古地図の上で結んだ線と同じだ。ただし光は、向かいに建つ現在の建物の壁に遮られている。
「昔はここに建物がなかったのかも」
ネリーが言う。
「だったら、光がIIIまで届いた?」
「たぶん」
リズは青い光を見つめた。
七から三へ。三から十一へ。あの数字は場所を示すだけではない。光を繋ぐ順番なのかもしれない。
「これ、すごいよ!」
ノアはすっかり興奮している。
「百年前の装置がまだ動いてるんだよ!?」
「声大きい」
「だってすごいじゃん!」
「それは認める」
リズも頷いた。自分の胸も、さっきから少し落ち着かない。知らなかったことが、ひとつ分かる。するとその先に、また新しい「なんで?」が現れる。
それが楽しかった。もう少しだけ知りたい。あとひとつだけ確かめたい。そうやって気づけば、最初にいた場所からずいぶん遠くまで来てしまう。
――そのとき。
カラン。
空き地の入口で、金属が地面へ落ちる音がした。
三人が同時に振り返る。
人影が細い路地の向こうへ消えていく。ほんの一瞬だった。けれど、
「……灰色」
「え?」
「灰色のコート」
リズは立ち上がった。
胸の奥がざわつく。どこかで見た。いや、知っている。
「駅にいた人だ」
「駅?」
ネリーが聞き返す。
「機械鳥を拾ったとき。少し離れたところに、灰色の長いコートを着た人がいたの」
「知り合い?」
「ううん。顔もちゃんと見てない」
「じゃあ偶然じゃない?」
ノアが入口へ駆け寄ろうとする。
「待って」
リズは咄嗟にその腕を掴んだ。
「追わない方がいいと思う」
「でも」
「誰か分からないし、私たちがここにいるのを知ってたのかも分からない。今は三人でいた方がいいよ」
ネリーが頷いた。
「私もそう思う」
ノアは名残惜しそうに路地を見る。
「……分かった」
地面には、小さな真鍮の歯車が一つ落ちていた。
リズはそれを拾う。あの人物が落としたものなのだろうか。偶然、同じ場所へ来ただけ?
それとも、自分たちを見ていた?
「IIIへ行く?」
ネリーが尋ねた。
リズは少し迷った。空はまだ明るい。IIIは宿へ向かう途中にある片翼の天使像。人通りのある場所だ。
「うん。でも、何か変だと思ったら戻ろう」
「了解!」
ノアが答える。今度は勝手に走り出さなかった。
片翼の天使像へ着く頃には、空が薄い橙色に染まり始めていた。リズが昼間に見たとおり、台座にはIII。像の裏へ回る。
「あった」
VIIと同じ丸い穴。リズは機械鳥の青い目を嵌めた。けれど、
「……何も起きない」
三人で待つ。何も起きない。
「壊れてる?」
ノアが首を傾げた。
「VIIとの違いは何だろう」
リズは辺りを見る。VIIでは青いガラスへ夕日が当たった。でも、ここは建物の影になっている。
「光がない」
「じゃあ光を当てればいい?」
三人で天使像を調べる。右の翼は失われている。残された左翼。その中に、一枚だけ色の違う羽根があった。
「これ……鏡?」
銀色の羽根は、角度を変えられるようになっていた。リズとネリーで少しずつ調整する。
「もう少し右」
「こっち?」
「行きすぎ。少し戻して」
「こう?」
「あ、そこ!」
夕日が鏡に反射した。細い光が青いガラスへ入る。
カチ。
天使像の胸が開いた。
「動いた!」
中から小さな鏡が現れる。そして、青い光が東へ伸びた。
VIIからIII。そしてIIIから――。
「XI」
リズが呟いた。
博物館の方向だ。けれど、やはり途中の建物に遮られてしまう。百年前、まだ今の建物がなかった頃ならこの光は街を横切り、旧天文観測所まで届いていたのかもしれない。
ゴーン。
鐘が鳴った。一度。二度。三度。四度。五度。
「五時だ」
ノアが時計塔を見上げる。
そして、固まった。
「……リズ」
「なに?」
「あれ」
リズも時計塔を見る。息を呑んだ。青い星。八つ尖りの星が、時計塔の中央ではっきりと光っている。
「同じ」
午後二時十三分に見たものと、まったく同じ形。
「本当にあった……」
ネリーも目を見開いている。
今度は三人とも見ている。でも、
「おかしい」
リズは自分たちの装置を見る。IIIから伸びた青い光は、途中の建物で止まっている。時計塔には届いていない。
「じゃあ、あの星は誰が――」
言いかけたとき、視界の端で何かが動いた。
向かいの建物の屋根の上に人がいる。
灰色の長いコートに帽子。
「……あの人」
駅にいた。礼拝堂跡にもいた。
今度は偶然ではない。
リズの背中に、ぞくりと冷たいものが走った。
「こっち見てる」
ネリーの声も低くなる。
青年は片手に小さな鏡のようなものを持っていた。左手には青い手袋。もう片方の手には、青いガラス。
青年が鏡をわずかに動かした。同時に、時計塔の星が強く光った。
「あの人が……?」
リズは青年を見る。顔はまだ帽子の影に隠れている。けれど確かに、こちらを見ている。
逃げるでもない。近づいてくるでもない。ただ、観察するように。
そして青年は、ゆっくりと口を動かした。
距離があって声は聞こえない。でもリズは、口の動きを見ていた。一度見たものを忘れない目で。
「……十一時に」
「え?」
ノアがリズを見る。
「『十一時に、星を見ろ』」
青年が帽子のつばへ手をかけた。その拍子に、一瞬だけ顔が見える。
思っていたよりずっと若い。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。整った鼻筋に、涼しげな目元。こんな状況でなければ、きっと目を引く顔立ちだ。
――って、今はそんなことを考えている場合じゃない。
次の瞬間、青年は屋根の向こうへ消えた。
「追う?」
ノアが言う。
「待って」
今度はネリーが止めた。
三人の間に、短い沈黙が落ちる。
駅。礼拝堂跡。そして、ここ。
偶然ではない。あの青年は、自分たちが何をしているのか知っている。それどころか、
「……私たち、つけられてる?」
口にした途端、それまで曖昧だった不安が急に形を持った。
リズは夕暮れの屋根を見上げる。青年の姿はもうない。時計塔では、青い星だけが静かに光っている。
十一時に星を見ろ。あと六時間。
彼は何者なのか。なぜ機械鳥を拾った自分たちの前に現れるのか。そして――十一時に、何が起こるのか。
リズは銀の機械鳥を握りしめた。
気になる。怖くないと言えば、嘘になる。
それでも、ここまで知ってしまったら、やっぱり放っておけそうになかった。
――さて、リズはどうする?




