第10話 怪物の仕業
オーガ。
村を襲い、家畜を殺し、人を食らう鬼。
その巨体に秘めた腕力は馬の一頭など軽々投げれるほどの怪力を放つ。
「ニンゲントハオロカダナ」
「コウシテムラヲオソウト、カナラズヒトヲツレテモドッテクル」
間違いない。
この村を襲ったのはこいつだ。
滅ぼした村をあえてそのまま残し、生存者を囮にして、新しくやってくる冒険者を狩る。
これが、この怪物が仕掛けた『罠』の全貌。
だが、今の僕にはそれを呪う余裕すらなかった。
喉の奥がカラカラに干からび、全身から嫌な汗が吹き出す。
しかし今はそんなことを考えてる場合じゃない。
彼女の無事を確認するのが優先だ。
だが目の前のオーガがみすみす逃してくれるわけがない。
目の前に迫る明確な死。
これからの一挙手一投足が命を脅かす。
「ドウシタ?オジケヅイタカ?」
とにかく奴をこの場から離さねば。
震える足をたたき起こせ。
恐れる心を落ち着けろ。
奴が油断し攻撃を仕掛ける。
その瞬間がチャンスだ。
「ツマラナイヤツメ」
一歩、二歩、大きな足音が迫る。
それは命の終わりの音。
それが止まった時どうなるか。
そんなこと考えたくもない。
足音が止まる。
世界から音が消えたように。
もはや怪物は目の前だ。
自分の体より一回りも二回りも大きい棍棒を振りおろる。
ここが終わり。
人生の終わり。
少年の終わり。
そのはずだった。
少年の脳内にあの日の記憶が浮かぶ。
人生のどん底にいたときの日の。
心の支えだった女性の声が
「私からの最後のお願い」
自分よりも過酷な人生を歩んできた女性の声が
「幸せになって」
そうだ。
こんなところで終わっていいはずがない。
「うわぁぁぁぁ!!!!!!」
少年は全身の力を振り絞り、大きく左へと飛ぶ。
無様でもなんでもいい。
動け。
動け。
動け!!!
僕は走る。
彼女とは逆の方角へ。
生きるために。
生き延びるために。
瞬間。黒い思考が心を飲み込む。
彼女を囮にすれば逃げれるだろうか。
自分だけならこの場所から脱出できるだろうか。
そんな考えが頭にめぐる。
「(じゃあ見捨ていちまえよ…)」
頭に響く声。
まぎれもない、自分の声だ。
甘い誘惑の言葉が大きくこだまする。
置いてけ。
逃げろ。
囮だ。
大丈夫。
誰も見ていない。
そうだ。
今日会っただけの奴だ。
今なら間に合う。
見捨てろ。
そうだ。自分は生きなければならない。
だから彼女を見捨てるしか…
見捨てる?
否
生きたいという思い。
それは彼女を見殺しにする理由にはならない。
どうにかする。なんとかする。
二人そろっての脱出。
それが、今の自分にできる最低目標だ。
使えるものはなんだって使え。
自分の頭には何がある。
思考を止めるな。
少年は、走りながら勝利の方程式を完成させていく。
少年は村の路地を駆け抜ける。
背後からはオーガの怒号。
棍棒が家屋を砕く音。
振り返る余裕などない。
少年は必死に村の中を駆ける。
背後からオーガの足音が迫る。
ドォン
ドォン
ドォン
家屋が砕ける音。
獣のような息遣い。
もう長くは持たない。
その時だった。
視界の端に見覚えのあるものが映る。
先ほどの女性。
上半身だけとなった村人の亡骸だった。
その顔は泥にまみれ、地面に横たわっている。
少年の足が止まる。
胸の奥が嫌な音を立てた。
まさか。
そんなことを考えているのか。
死者だぞ。
助けられなかった人だぞ。
利用するなんて――
だが。
脳裏に少女の顔が浮かぶ。
今も傷つき、震えている少女の姿が。
このままでは死ぬ。
自分も。
彼女も。
「……ごめんなさい」
少年は小さく頭を下げた。
この村には死体がない。
それはその豪勢な食欲に供給が間に合っていないから?
正直、賭けでしかない。
亡骸の腕を掴む。
少年は歯を食いしばり、怪物の進路上へ投げ出した。
オーガは足を止め、鼻を鳴らす。
「ニク……」
濁った目が亡骸へ向く。
少年は息を殺した。
頼む。
食いついてくれ。
頼むから。
数秒。
永遠にも感じる沈黙。
やがてオーガは棍棒を地面へ落とした。
そして。
亡骸へとかぶりつく。
「ガァァァッ!!」
肉を引き裂く音が響く。
少年は目をそらした。
見てはいけない。
見たら動けなくなる。
だが。
そのおかげで時間ができた。
少女のもとへ戻る時間が。
やがて怪物の姿が見えなくなった頃を見計らい、少年は少女のもとへ戻った。
「大丈夫?!」
少女は壁にもたれながら荒い息を吐いている。
肩からは血が流れ、顔色も悪い。
「平気……じゃないわね」
無理に笑おうとするが、その声には力がなかった。
少年は荷物をあさる。
震える手でポーションの栓を抜いた。
「飲んで」
少女は黙って受け取り、一気に流し込む。
しばらくすると呼吸が落ち着いていく。
しかし、さすがに傷が完全に治るわけではない。
それでも動ける程度には回復したようだ。
「ありがとう」
そう言って立ち上がろうとする。
しかし。
遠くから聞こえるオーガの咆哮。
その瞬間だった。
少女の体が強張る。
足が止まる。
呼吸が浅くなる。
巨大蜘蛛との戦い。
仲間を失ったあの日。
忘れようとしていた記憶が蘇る。
「……っ」
少女は震えていた。
手も。
膝も。
声も。
少年はそんな彼女を見つめる。
そして静かに言った。
「怖いよね」
少女は答えない。
否定できないからだ。
「僕だって怖い」
「今すぐ逃げたい」
「でも」
少年は少女の目を見る。
「さっき君は僕を守ってくれた」
「怖かったはずなのに」
「それでも動いた」
少女が目を見開く。
「だから大丈夫」
「君の心はまだ折れてない」




