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第四話「玉川・クリステン・正信」

 


 玉川クリステン・正信。


 ダニエルが枝葉の世界、そう呼ぶところ。宇宙衝突が起きず、人類文明が存続した未来の世界線では、高度に発達した科学技術による恩恵を受け、人々は満ち足りた暮らしを享受していた。

 そんな平穏かつ安全に富を享受する地球市民の一人。およそ無駄な贅肉というものがない三十代の男が東京エリアの自宅で鏡を見ていた。

 ピッタリとしたスリムなスーツは古代のクラッシーな子供が嗜んだとされるトレーディングカードのキラのようなホログラム柄になっていて、動くたびに反射される光は落ち着いたモスグリーンとメタリックブルーに輝く。

 玉川クリステン・正信は、バスルームの鏡の前で糊で固めたようなオールバックの黒髪のウェーブのかかり具合を、顎のラインを出しながらキメ顔を作りチェックすしていた。


「ふぅ……これで良し」


 身だしなみを整えたクリステンが東京の郊外、西にある春用の自宅を出ると同時に、自宅の引き払い手続きが完了したことを知らせる通知が脳内に届いた。

 彼がこの場所を離れれば、全ての家具が入れ替えられ、すぐに新しい家主の持ち物に変わる。 

 時間は15分ほどはかかるだろう、なにせ特注の邸宅で、仮想家具などではない、本物の家具が多くあるのだから。


 西暦2055年ごろから始まった人類のライフスタイルの変化。渡り鳥のように人々は自由に季節ごとに住処を移して暮らすことが普通になった。

 それまでの社会では季節ごとに住居や学校、会社を変えて暮らすことは裕福な個人の特権であったらしいということは歴史好きな人間の間では常識であるが、そうでないものからは考えられないことのように思われることがほとんどだ。

 どんな理不尽を許容すれば、そのような原始時代ですら、可能なことすら不可能になるのか。という理屈なのだが、原則的には人類は自由を手放し、不自由になりながらも新たなものを手に入れ、そして裕福な一握りのものが新しいものや昔手放したものを先"に"手にいれ、そのお下がりが時間が経つと庶民に届くというサイクルは別段珍しくない。

 物珍しいことが起きているわけではないのだが、それでも直感的には異常に思えるものだ。

 そしてその頃の人類から見れば、またこの時代のものも、さまざまな当たり前の自由を手放しているように見えるだろう。

 それは職業選択の自由や、彼らの時代では学歴や職業差別が当たり前のところ、ヒエラルキーによる優遇や、利権を持つ自由などはとてもこの時代では保証されることはない。少なくとも、ないはずだった。

 遺伝子、経験、適性により職業、役割、責任にも制限がされ、力を握ること自体に制限が課せられている。

 司法などもほとんどがシステムによって自動に運営されているが、関係者は常に検査され、調査から、再教育。免許、資格の剥奪。スピーディに、どの職、どの業界にいても、公平に。誰のためにもならないと判断されればその個人のキャリアも全てが1分とかからず剥奪される。社会全体の人事は常に最適化され、更新されてきた。それで人類は上手くやってきた。そうやってきたのだ。

 古代人が聞けば発狂しそうな社会だが、その代わりその後のケアもバッチリで、合わない業界から離れることなどはこの時代の人間からすれば誰もが経験している救済措置であり、しごく真っ当、普通であるからだ。

 むしろ人生を無駄にしないための、個人にもっとも最適化されたシステムだと理解されている。

 要はしがみつけないようになった、ということは、しがみつかなくても良くなった、ということでもあるのだ。

 原則はどれも時間を超越するもので、人類が原始的だった時代にも、やはり、その頃は集団の規模も小さく、何を出来て、何が出来ない。どの部分でなら頼りにできる。などが昔からハッキリと分かったうえで役割分担していたであろうことは想像できるだろう。


 しかし、昨今は、「しがみつく自由」なるものが提唱され、地球においてはそれが盛んに議論されている。社会を管理するシステムは否定的な見方をし、さらに危険だと警告しているらしい、がクリステンには関係のないことだった。

 家を出たクリステンが、川沿いを10分ほど散歩すると、景色が変わり、途中で一軒家の窓が一瞬、光を反射するように光った。

 時折旧型の自動運転車が通り過ぎて、懐かしさを道に残していく。それは景観のために流しているだけでありアスファルトの道路の存在理由と同じく、文化的余裕がこれらを街にいまだに残してくれていて、その豊かさにクリステンはいつも感謝する。

 彼は電気自動車なるものよりも、ガソリン車がやはり好きだった。とにかく匂いが良いのだ。非常にレアで、あまり出くわさないが、東京では元秩父方面や、越谷付近で見かけたことがある。思わず、目に焼き付けて画像を抽出してアルバム化して、彼が収集している車両のトレーディングカードのコレクションに追加したくらいだ。

 聞くところによると、自動運転車両にとって変わった交通手段が興盛を極めると、事故率は減少し、自動運転車などを使用するもの、所有するものは人殺しである、という論調が多勢を占めるようになったらしい。またデータ自体がそれを裏付けると、世代交代が進んだが、その自動運転車自体が登場した頃にも同様な主張がなされたことは皮肉的ジョークとして笑いの種になったとも言う。

 クリステンは、当時を知る育ての親にこの話を聞かされたことがあったのだが、その時クリステンの親は130歳ほどで、意図的自然死を選ぶ前に、彼らが20歳くらいの頃の話をしてくれた。その話を聞いたのが60年以上前なので170年以上前のことだった。


 過去を鮮明に思い出す物質と、その質を高める補助をするソフトウェアが起動し、良く思い出しながら、クリステンは窓が煌めいた家に入っていく。


 足を踏み入れると、玄関の中は暗く、ぼうっと明るくなると──宙港についていた。


 宙港のターミナルには数百人ほどの客がいて、皆、好き好きに過ごしていた。右手にロビー、左手には仮想喫煙所が見えた。

 仮想喫煙所は好きな量の仮想物質と匂い、煙の量に至るまで詳細にカスタマイズされたものを吸いながら本物の人間交流を楽しめる。

 クリステンもよく仮想喫煙所を利用する。お気に入りの味はガソリンと、タール数強めの煙草を混ぜたフレイバーだった。他にもラムレーズン系のものに塩キャラメル系の煙草もお気に入りだった。

 が、どうにも今日は一人でいたくてロビーの方へ向かい、(わざわざ贅沢なことに!)


 本物の人間の接客要員に大金を支払い、ピートが香るウィスキーをシングル持ってきてもらった。それを窓際のテラスで軌道エレベータを眺めながら飲む。

 軌道エレベータを外から見る機会は、意外と少ない。

 難しいというよりは味気ないものだからだ。普段から別に特殊なスコープを起動すればどこからでも見れるものではあったが、宙港の窓から眺めると少し雰囲気が出る。外は曇で、今日のクリステンの無機質な気持ちを慰めてくれるような気がした。

 別にたいした事があったわけじゃない、天気のようなものなのだ、気分というのも。


 白いワイシャツに黒いエプロンを腰から下にかけた女性ウェイトレスがやってきて、ウイスキーを置いていってくれた。

 ありがとうと会釈すると、目があって、相手の瞳が自分を認識したように煌めいて、微笑んで会釈を返してくれた。クリステンは心が温かい気持ちになった、いい人に当たったな、と。

 こんな格好をしてくれるのは彼女のサービスである。制服着用など指定する事は人権を無視した厚かましいことであるし、人は好きな服を着るべきだからだ。彼女は制服愛好家か、サービス精神旺盛な人の、どちらかだろう。

 ウィスキーグラスを傾けながら、クリステンはビジネスの前に幸先が良いな、と思った。

 昔は、ちょっとした小銭で人間同士で接客しあえたらしいが、豊かになればなるほどそれがどれだけ贅沢なことなのか、人類は思い知ったと、これも彼の親から聞いた話だ。

 たったグラス一杯の酒で月行きの軌道エレベータの運賃を優に倍以上超えるのだから、当然クリステンとしても安い買い物ではないのだが、人類の平均に比べてクリステンは金銭に関しては緩いところがあった。

 どれだけ無駄遣いしたところで、じゃあ節約して何を買うのか、と問われれば精々が見栄を張るための限定カラーの商品や、商品識別番号の縁起の良いもの、先行体験権など、ほとんどの値打ち物というのは早くそれを手に入れられるか、もしくは番号が違うなど、たったそれだけのことであった。

 クリステン自身はどちらにも興味がない。番号など、どれだけ貧乏そうな物でも構わないし、先行体験や優先権にもほぼ興味がない。代わりに彼は良くこうして気まぐれに個人サービスを利用した。

 今の彼の頭の中にあることは、月で商談をすること。生身でビジネス相手と会うのは割と好んでいて、特に今回はでかい仕事だった。


 ターミナルから、予約したホテルの部屋に入り、そこで軌道エレベータに乗る。

 そのまま到着時刻を設定し、就寝。意識が落ちてから6時間後には月都市であるザイムシンのムーン・ランディング・ホテルに到着した。

 最上階の展望デッキを貸切にし、部屋の時間調整を緩めて商談相手と接続した。

 これでよりゆったり出来る、と思ってネクタイを緩めると、相手が部屋に入ってきたのが見えて、気づけば自分が相手の部屋にいた。

 相手と言っても、商談の相手のようには見えなかった。合致するIDを持った相手ではないことが見てとれた、しかし次の瞬間、自分がどこにも接続されていないことを理解した。

 何が起きているのかはわからならなかったが、不思議とその時自分は落ち着き払っていた。多分その部屋にいる男の、窓の外の雨を眺める物憂げな横顔に共感できたからかもしれない。

 なんとなく、そうするべきだと思ったように目の前に座ると、神々しさというものを感じた。確かに部屋の体感時間などはリラックスできるように調整したが、それだけではなかった。クリステンは僧侶や、信仰者などが祈りや瞑想中に神秘体験することがある、そんな話を思い出していた。脳内にスキャンをかけて、異常がないかマニュアルでチェックすべきだったが、その発想自体が湧くこともなかった。

 まるで、神との邂逅だった。頭がぼーっとして、酷く心地よい。意識は鮮明でもあり、また間延びした時間の中で洗礼を受けているようにも感じた。男は横目でちら、とクリステンを見て、また雨に視線を戻した。

 そして、それが合図だったかのように、──濁流の如く情報が頭に流れ込んできた。正確には既に頭に入っていたのを思い出したようだった。男とのやりとりは言葉もなく、また文字も、ジェスチャーすらなかったが必要な情報は記憶の中にあった。


 『星間戦争が起きる、そして地球は木星に負ける』


 これから木星の元首になる男は冷酷非情な男であり、2名の天才的な英雄、(将軍)の大活躍により地球、その他全ての惑星を支配することになるが、この元首は諫言に惑わされ、さらに嫉妬心も手伝い、大戦が終わるやいなや、用済みとなった英雄2名を処刑する。

 その元首も十年も経たずに部下と家族によって精神系の毒薬を盛られ、最後には狂人として処刑される。


 現在、地球は貴族と地球教会ギャングによる支配が強まり、ここ数年内に時代に逆行するような政策が、次々と通り始める。その過程で地球と他の惑星に亀裂が入る。

 地球に対する反逆戦争という形で木星と土星が中心となり連合を結成。

 戦争は実質的植民地であった木星側の勝利に終わり、地球を裏から支配しようとした勢力は徹底的に奴隷に落とされるか、または刑に処された。が、最後は似たような世界観の違う勢力が処刑された元首の親族と共に木星の実権を握り、権力の所在が地球から木星に移っただけで終わることになる。


「そして、私の使命は、この2名の英雄を助け木星の元首を止めること、しかも木星を戦争に勝たせつつ……」


「それが、世界を救う方法?」


 クリステンが続けるように呟いて顔を上げると、相変わらず、その男は窓の外、地上から天を見上げるように雨を見ていた。


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