第7話 voice後編
だが、高度は上がらなかった。
海面すれすれを、滑るように進んでいく。
姿勢は不安定で、左右に大きく揺れた。
飛行を維持するたびに、機体のどこかで火花が散った。
背後から、追撃の光が走った。
機体が傾く。
光が肩をかすめ、装甲の一部が吹き飛んだ。
遥は目を閉じた。
落ちる。
そう思った。
しかし、機体は海面に触れる寸前で、どうにか姿勢を立て直した。
水しぶきが操縦席の外を流れていく。
後方の海岸が遠ざかっていた。
追ってくる無人機の影は、海岸線の上空で止まっていた。
こちらへ向かおうとしているようにも見えたが、やがてその動きを止めた。
なぜ追ってこないのか。
遥にはわからなかった。
機体にも、わからなかった。
前方には、暗い海が続いている。
《そとぶ:みず》
《かんきょう:ふめい》
《あんぜん:ふめい》
表示が次々と切り替わる。
「おい、どうするんだよ……」
機体は答えなかった。
ただ、飛行高度を下げていく。
海面が近づいた。
「待て。まさか――」
機体は、そのまま海へ突っ込んだ。
水が激しく跳ね上がった。
衝撃が操縦席を襲い、視界が白く染まる。
遥は声を上げる間もなく、座席に押しつけられた。
次に見えたのは、青黒い闇だった。
海面が頭上を閉ざしている。
機体は沈んでいた。
「……うそだろ」
遥は息を止めた。
水が入ってくる気配はない。
操縦席の内部は保たれているらしい。
それでも、身体は本能的に恐怖を訴えていた。
海の中だ。
人が近づいてはいけない場所。
危険なものとして、誰もが遠ざけてきた場所。
そんなことを、遥はまだ知らなかった。
ただ、目の前の水の暗さに、身体が震えていた。
機体の外で、黒い粒子が広がり始めた。
傷ついた装甲の隙間から生まれた粒子が、流されることなく集まっていく。
無数の粒が互いに結びつき、剥がれた外装を覆い始めた。
《しゅうふく:かいし》
《すいちゅう:てきおうちゅう》
《きどう:せいげん》
表示が消え、また現れる。
機体は海底へ向かって沈んでいった。
遥は頭上を見た。
水面の向こうに、街の光が滲んでいる。
あそこには、家がある。
学校がある。
そして、ネクサスがいた。
帰らなければならない。
そう思った。
けれど、今は帰れない。
機体が海底に近づくと、ゆっくりと姿勢を変えた。
完全には止まらず、海底から少し浮いたところで、動きを緩めていく。
《たいき:かいし》
暗闇の中で、赤い目が灯った。
それは、何かを威嚇する光ではなかった。
ただ、周囲を確かめるように、弱々しく瞬いていた。
遥はシートに背中を預けた。
もう何も考えられなかった。
ネクサスを失ったことも。
自分が何をしたのかも。
これからどこへ行けばいいのかも。
何もわからない。
家がある。学校がある。そして、ネクサスがいた。
帰って、いつものように名前を呼べば、またどこかから飛んでくるような気がした。
けれど、腕の中は空っぽだった。
遥は自分の手を見た。何かを握っていたはずなのに、もう何も残っていない。
「……ネクサス」
声は、操縦席の中に消えた。
返事はなかった。
目の奥が熱くなった。
けれど、涙が出ているのかどうかもわからなかった。
身体が重い。まぶたを開けていることさえ、難しくなっていた。
眠ってはいけない。
そう思った。
ここがどこなのかも、どうすれば帰れるのかも、まだ何ひとつわかっていない。
それでも、意識は少しずつ遠のいていった。
最後に見えたのは、暗闇の中で瞬く赤い光だった。
機体は静かに待機していた。
自分が何者なのかも。
なぜ、海へ潜ったのかも。
この場所が、人類にとって何を意味するのかも。
何ひとつ知らないまま。
ただ赤い世界に包まれていた。




