第4話 Chain前編
遥が走り出すより先に、ネクサスは倉庫の屋根へ飛んでいた。
「おい、待て!」
呼んだ声は警報にかき消された。遥は護岸沿いの通路を駆け、倉庫群へ向かった。何が起きたのかはわからない。
ただ、さっきまでそばにいたネクサスが、煙の向こうへ飛んでいった。
通路の角を曲がった瞬間、強い衝撃とともに誰かと激しく衝突した。
「っ……すみま――」
言いかけた言葉は、むせるような焦げくささと鉄の匂いに呑み込まれた。
「お前……! 何でこんなところにいる!」
遥を睨みつけたのは、自分より頭ひとつ背の高い男だった。
作業服風の上着の脇腹が不自然に黒く湿り、壁に突いた手元から床へ、粘り気のある赤黒い雫が垂れている。血だった。
「大丈夫ですか。医療ロボットを呼びます」
「いい。お前は早く、ここから離れろ」
「何があったんですか」
「いいから、街側へ戻れ。今すぐだ」
男は遥の肩を押し、来た道へ向かせようとした。
その向こうで、金属が裂ける音がした。
倉庫の外壁が内側から膨らんだ。
次の瞬間、鋼板とコンクリートの破片が道路へ弾け飛んだ。
遥が頭をかばうより早く、男が襟首をつかんだ。
二人は積み荷の陰へ転がり込んだ。破片が地面を叩き、乾いた音を立てて跳ねた。
「前へ走れ!」
遥は立ち上がった。男も脇腹を押さえながら後を追った。
通路の先で、大型の搬送車が横転していた。
無人の作業機は荷物を載せたまま停止し、その上を黒い煙が流れている。
避難誘導の表示は点滅を繰り返していたが、進行方向を示す矢印は壁に向いたままだった。
遠くから、低い駆動音が近づいてきた。
倉庫の隙間から、一体の人影が現れた。
灰色の戦闘服を着た兵士のように見えた。顔立ちも皮膚の質感も、遠目には人間そのものだった。
だが、首を巡らせる動きにはわずかな引っかかりもなく、視線だけが周囲を滑るように走っていた。
首筋から耳の後ろにかけて、細い継ぎ目が見える。
胸には人類統合機構の紋章と識別番号が刻まれていた。
教科書やネットで見たことがある。人類統合機構の小型人型無人機だ。
全高は人間とほとんど変わらない。倒れた搬送車の向こうへ顔を向け、煙に隠れて動く何かを見据えていた。
短い警告音が鳴った。
無人機の右腕が持ち上がる。
人間の腕と変わらない形をした前腕部が左右に開き、その内側から砲口がせり出した。
「伏せろ!」
男が遥の肩を押した。
閃光が走った。
乾いた衝撃が通路を揺らし、横転した搬送車の車輪が吹き飛んだ。破片が雨のように降り注ぐ。
少し離れた場所では、男と同じ服装の人物が倒れており、それを仲間が引きずっている。
無人機は姿勢を変え、再び照準を動かした。
男の顔から血の気が引いていた。
「あいつら、まだ撃つ気か」
「これ、一体、何なんですか」
「これ以上巻き込まれたくなかったら、知らない方がいい」
「もう無理なレベルだと思いますけど」
男は答えなかった。遥の腕をつかみ、崩れた塀の向こうへ走り出した。
二人は倉庫の裏手にある積み荷置き場へ回り込んだ。
封鎖テープが張られ、立入制限表示が点滅している。
爆風で支柱が倒れ、その先には不自然なほど新しい搬送レールが敷かれていた。
遥はレールの先を見た。
倉庫の床が崩れ、地下へ続く大きな開口部ができていた。
その向こうに、黒い影が横たわっている。
ロボットだった。
だが、さっきの小型人型無人機とは何もかもが違った。
崩落した床から覗いているのは、巨大な機体の頭部と胸部、それに片方の肩だけだった。それだけで、近くに停まった搬送車を見下ろすほどの高さがある。
頭部は倉庫の天井に迫り、肩は崩れた壁の向こうまで張り出していた。
床の下には、さらに巨大な胴体と脚部が続いているらしかった。
人間と同じ形をした機械を、そのまま大きくしたようには見えなかった。
黒ずんだ装甲はところどころ剥がれ、肩から背中にかけて、用途のわからない構造物が幾重にも重なっている。
装甲の隙間から覗く骨格のような部位は細く、反対に、胸や肩を覆う装甲は不釣り合いなほど厚い。
異なる設計思想の部品を寄せ集めたようにも見えた。
現代の機械なら、機能に合わせて部品が配置され、配線や接合部も規則的に並ぶはずだった。
この機体は違う。
一見すると、無秩序に組み合わされた部品の塊に見える。
それなのに、どこかに同じ流れが通っていた。
肩から背中へ、背中から胸へ。
別々に見えた構造が、目で追ううちに一つの輪郭へとつながっていく。
装甲の表面には、文字とも紋様ともつかない細かな刻印が無数に走っていた。
細い線と微細な模様が装甲の境目を越えて連なり、まるで機体そのものが一つの巨大な構造体として組み上げられているようだった。
遥は、なぜか目を離せなかった。
「見るな」
男の声がした。
遥は振り返った。
「……あれは何ですか」
「お前には関係ない」
「さっきから、そればっかりだ」
男は言い返しかけ、口を閉じた。
脇腹を押さえる手に力が入っている。
呼吸も浅い。
遥を逃がすことだけに集中しているように見えたが、ときおり視線が地下の機体へ戻っていた。
「では、せめて名前を教えてくれますか。僕は津那木遥です」
「遥か。いい名前だな」
男は一度、遥の顔を見た。
「……息子と同い年くらいだな」
突然の言葉に、遥は返事ができなかった。
「うちの息子なら、こんな場所で何してるんだって怒鳴ってるところだ。お前は、逃げろと言っても逃げない」
「あなたがちゃんと説明しないからでしょ」
男は小さく息を吐いた。
笑ったのか、痛みに顔をしかめたのか、遥にはわからなかった。
男は通信端末を取り出した。
画面には赤い警告が並んでいる。
何度か操作したが、応答はない。
「……くそ」
男は端末をしまい、地下の機体を見た。
「俺たちは、あれを地球へ運んできた。月で見つかったものだ」
「月?」
「今の人間が作った機械じゃない。もっと古い。人類が忘れたものだ」
「じゃあ、あれを運んできたのは、あなたたちなんですか」
「そうだ」
「どうして?」
男はすぐには答えなかった。
頭上で金属音が響いた。遠くの通路から、無人機の駆動音が近づいてくる。
「人類統合機構は、あれを回収しようとしている。俺たちは、それを渡すわけにはいかなかった」
「それだけで、こんなことになるんですか」
「それだけじゃないから、こうなってる」
男は言葉を切った。
説明するつもりがないのか、説明できないのか。遥には判断できなかった。
男は地下への開口部を見下ろした。
目の前にあるものを置いて逃げることなどできない、という顔にも見えた。
けれど、次の瞬間には遥の腕をつかみ、反対側の通路を指した。
「俺は戻る。お前はあっちへ走れ。海沿いの道路まで出れば、避難車両がいる」
「ネクサスがいます」
男の手が止まった。
「何だ?」
「僕のカラスです。あっちに飛んでいった」
男は遥を見た。
「カラス?」
「家族みたいなものなんです」
口にしてから、遥は自分でも意外に思った。人間相手に、そんな説明をしたことはほとんどなかった。
男は何かを言いかけた。唇が動き、けれど声にはならなかった。視線が遥の肩越しに流れ、無人機の駆動音を探るように、わずかに顔を動かした。
「……俺の息子も、何かあれば自分で決めると言い張る年頃だ」
「僕は、別に」
「わかってる」
男は遥の腕を離した。
「自分で決めろ。行くにしても、逃げるにしてもな。自分で決めたなら、最後まで考えろ。ただし、他人のせいにするな」
「なんですか、それ……」
「俺は後藤だ。生きろよ、遥」
後藤は遥を押し出すようにして、別の通路へ走った。
足取りは不安定だった。それでも、一度も振り返らなかった。
遥は反対側へ向かいかけ、すぐに足を止めた。
自分で決めろ。最後まで考えろ。
聞き分けのいい子どもに戻れと言われたわけではない。
知らない人に命令されるのは嫌いだった。
けれど、今は自分が何を選ぼうとしているのか、よくわからなかった。




