第2話 Reflect 前編
津那木遥は、将来の夢を聞かれるのが苦手だった。
夢がないからというより、答えた瞬間に、その言葉が自分のものではなくなるような気がするからだ。
自分の意志で選んだはずの進路が、周囲に「期待されたレール」に回収されていく感覚が、どうにも気味悪かった。
「で、津那木は進路どうすんの」
駅前の商業区画を歩きながら、友人の和馬が聞いた。
休日の午後。ガラス張りの店が連なる通りには、買い物客と配送ロボットが行き交っていた。
人の流れを読み取る案内板が、混み合う店舗を避ける経路を表示している。
頭上の高架では無人運転の列車が滑るように通り過ぎ、その下を自動運転車が一定の間隔を保って走っていた。
街のどこを見ても、人間の代わりに動く機械がある。
それでも、歩道を行く人々は、誰も特別なことだとは思っていない。
「まだ決めてない」
遥は答えた。
「またそれかよ。先生に怒られるぞ」
「そのとき考える」
「そのときって、いつだよ」
「そのときは、そのとき」
和馬は呆れたように笑った。遥も笑った。
和馬は、こういうやり取りに慣れている。
遥が真面目に答える気がないと分かると、深く追及しない。
遥も、和馬が本当に答えを知りたいわけではないと分かっている。
そういう関係は楽だった。
少し前を歩き始めた和馬を見て、遥は足を速めた。
店先の壁面ディスプレイでは、人類統合機構の発表が流れていた。
世界各国の平和に感謝する映像や過去文明の遺跡に関する調査と、周辺地域への生活物資の供給計画についての短いニュースだった。
映像の隅には、人類統合機構の紋章が表示されている。
和馬が画面をちらりと見た。
「最近、こういうニュース多いよな」
「そうか?」
「そうだろ。まあ、嫌なニュースよりマシなんだろうけどさ。じいちゃんとかの頃は、戦争だ、貧困だなんて話が普通にあったらしいし」
遥は頷いた。そういう話は学校でも聞く。
人類統合機構が成立してから、国同士の大規模な戦争は大幅に減った。
医療や教育を受けられる人間も増え、生活に必要な物資は世界規模の供給網によって安定して届けられるようになった。
少なくとも、学校ではそう教わっている。
そのことに異論はなかった。
だからといって、世界に特別な感謝をしたいとも思わなかった。
蛇口をひねれば水が出る。端末を操作すれば必要な情報が手に入る。
店に入れば商品は自動で管理され、支払いは端末ひとつで済む。
便利なものは、最初から便利なものとして存在している。
遥にとって、平和もそういうものだった。
二人は事前に調べていた服を見て、軽食を買い、どうでもいい話をした。
和馬が流行しているSNSの動画を見せ、遥が適当な感想を言う。
店員のいない売り場では、商品を選んで端末にかざすだけで会計が終わった。
買った品を自宅近くの受取ロッカーへ送ることもできるらしい。
便利だと和馬は言った。
遥もそう思った。
便利なものは便利で、それ以上でも以下でもない。
「こうやってリアルで買い物したのも久々だな」
「確かに。目的もなく出かけること自体、減ったよな」
「人間って、もう何もしなくていいぐらいだよな」
和馬は包装紙を指で弾きながら、冗談のように言った。
「何もしなくていいなら、僕はそれが一番だな」
「お前、ほんと適当だな」
「よく言われる」
和馬が笑い、遥も笑った。
相手が会話を終わらせたいときには、笑っておけばいい。
深い話になりそうなときには、少しだけ冗談を混ぜればいい。
遥はそうやって、周囲とぶつからずに過ごしてきた。
誰かに合わせることは、それほど難しくない。
自分の意見を求められたら、相手が納得しそうな答えを返す。
興味がない話でも、適当に相槌を打つ。
期待されていることが分からなければ、期待されていそうな振る舞いをする。
そうしていれば、大抵のことは穏やかに過ぎていく。
それだけで、遥の世界は平和だった。
夕方近くになって、遥は自動運転タクシーの乗り場へ向かう和馬と別れた。
タクシーは予約に合わせて停車位置を調整し、乗り込んだ人間の行き先を確認すると、静かに車列へ合流していく。
「どっか寄るのか?」
和馬が聞いた。
「ちょっと海」
「海? 何しに」
「用事」
「あんなところ、彼女でもできた?」
「そういうのじゃない」
和馬は笑いながら手を振り、人波に消えた。
遥はその背中が見えなくなるまで待ってから、海側の道へ折れた。
海は、街のすぐそばにある。
けれど、そこへ行くことはできても、入ることはできない。
その発展の陰で、海は死んだ。
幼い頃、授業のモニター越しに見た海は青かった気がする。
だが今、防護壁の向こうに広がるのは、濁った鉄サビのような赤だ。
人類の産業活動が吐き出した負荷か、過去の戦争の爪痕か、地中から掘り出された遺物の毒か。
学校の授業では諸説あると教わったが、遥にとってはどうでもよかった。
理由が何であれ、目の前の海が「入ってはいけない場所」である事実に変わりはないのだから。
どこまでが確かな事実で、どこからが推測なのか。分かったところで、何かが変わるわけでもない。
海岸沿いの道路を進むと、高い防護壁が見えてきた。
壁面には警告表示が埋め込まれ、一定間隔で設置されたセンサーが海からの風や空気中の成分を計測している。壁の向こうには、立入制限区域を示す赤い灯が並んでいた。
その先に、海がある。
赤い海。
夕日を映しているわけではない。
空が明るいうちから、海面は鈍い赤色を帯びている。波が砕けるたび、赤黒い筋が広がり、すぐに消えていく。沖合には無人の輸送船が、航路を示す灯を点滅させながら進んでいた。
海岸の大半は立入制限区域に指定されている。
遊泳も、漁業も、気軽な海辺の散策も、遥の生きている時代には遠いものになっていた。
海は地図の上にある。
街からも見える。
けれど、そこへ入ることはできない。
遥は、防護壁の外側に設けられた観測用の歩道を歩いた。
ここから先へは進めない。
警告表示は何度も目にしている。
立入制限区域に侵入すれば、監視システムによって位置が特定され、警備機構が出動する。
危険だから、という説明だった。
遥は、その説明を疑っているわけではない。
ただ、海が赤くなった理由も、過去文明が何を残し、何を壊したのかも、学校で教わる説明だけでは何も分かった気がしなかった。
それでも、わざわざ調べようとは思わなかった。
知らないことがあるからといって、すべてを知る必要があるわけでもない。
少なくとも、遥はそう考えていた。




