第13話 Veil後編
周囲にいた仲間たちも、それぞれの方向へ散っていく。
先ほどまでの空気は、もうどこにもなかった。
「何が来るんですか?」
遥は後藤の背中を追いながら尋ねた。
「人類統合機構だ」
「それは分かってます。何が来るのか聞いてるんです」
「分かってるなら、黙って走れ」
後藤の声には、いつもの軽さがなかった。
サイレンは鳴り続けている。街の建物に反響し、どこから聞こえてくるのかも分からない。周囲を歩いていた人々は、誰もが同じ方向へ視線を向けていた。
だが、騒ぎ立てる者はいない。
やがて、街頭の案内表示が一斉に切り替わった。
《周辺区域において、安全確認を実施しています》
《市民の皆さまは、係員の誘導に従ってください》
穏やかな合成音声が、繰り返し流れる。
「安全確認って……」
「連中の言う安全は、俺たちの安全とは限らねぇ」
後藤は振り返らずに言った。
一行は建物の間を抜け、街の外れへ続く道に入った。
倉庫街の向こうには海がある。遥にも見覚えのある方角だった。
頭上で、低い振動音が響いた。
最初は遠くの工事音かと思った。
だが、その音は次第に大きくなり、空気そのものを震わせ始めた。
「伏せろ!」
後藤の声と同時に、遥の身体が地面へ引き倒された。
直後、頭上を巨大な影が通り過ぎた。
風圧で周囲の砂や小石が舞い上がる。建物の壁が震え、窓ガラスが一斉に鳴った。
遥は地面に手をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。
海の向こうから、一機の巨大な航空機が飛来していた。
翼と胴体が一体化したような、幅広い機体。
白と灰色を基調とした装甲には継ぎ目がほとんどなく、機首にあるのは操縦席の窓ではなく、黒いセンサー群だった。左右の翼には複数の推進装置が埋め込まれ、機体の後方から青白い光を噴き出している。
通常の戦闘機とは比べものにならない大きさだった。
翼の下には兵装を収めた格納部があり、機体の各所に小型機を射出するためのハッチが見える。
それは空を飛ぶ巨大な兵器だった。
「統合機構の無人戦闘機だ」
後藤が立ち上がりながら言った。
「無人戦闘機って……あんな大きいものまであるんですか」
「人間を乗せる必要がないからな。安全性も、運用効率も、有人機とは比べものにならねぇ」
「あんなのに追われたらひとたまりもないですよ」
「俺たちだけじゃない。あの機体は、この区域ごと制圧するつもりだ」
後藤の言葉が終わるより早く、戦闘機の機体下部が開いた。
複数の小型機が射出される。
それらは鳥の群れのように広がり、海岸沿いの建物や道路を取り囲んでいった。
「おい、走れ!」
後藤が叫ぶ。
仲間たちが一斉に動き出した。遥もその後を追おうとしたが、足が止まっていた。
巨大な機体の機首が、ゆっくりとこちらを向いている。
正確には、こちらの誰かを見ているのではない。
周囲の情報を読み取り、対象を識別しているだけだ。そこに怒りも、憎しみもない。
ただ、排除すべきものを判断している。
それが妙に恐ろしかった。
「遥!」
後藤に腕を引かれ、ようやく身体が動いた。
走りながら、遥は海を見た。
赤黒い水面の向こう。あの海の底に、ゼロイムが眠っている。
「後藤さん!」
「なんだ!」
「あんなもの、後藤さんたちは倒せるんですか?」
「さあな」
後藤は短く答えた。
「だが、あいつらに渡すわけにはいかねぇ」
「……あの時のロボットですか?」
「お前が隠したんだろ。なら、お前が一番よく知ってるはずだ」
「知りませんよ。そもそも、僕だって、どうやって動かしたのか分からないんです」
「だったら、もう一度考えろ」
後藤は走りながら、遥を見た。
「誰かに答えを教えてもらうんじゃない。お前がどうしたいのか、自分で決めろ」
そのとき、背後で爆発音がした。
振り返ると、小型機の一機が道路に攻撃を放っていた。
衝撃で地面がめくれ上がり、瓦礫が宙を舞う。
逃げ遅れた仲間の姿が見えた。
後藤が足を止める。
「先に行け!」
「後藤さん!」
「いいから行け!」
後藤は銃を構え、迫ってくる小型機へ向き直った。
遥は一瞬だけ迷った。
逃げるべきなのか。それとも、海へ向かうべきなのか。
どちらも正しいように思えた。どちらも間違っているようにも思えた。
誰かが決めてくれればいいのに。教えてくれ。誰でもいいから。
そう考えた自分に、遥は気づいた。
海の向こうで、巨大な戦闘機が再び機首をこちらへ向けていた。
遥は後藤たちに背を向けた。
そして、海へ向かって走り出した。
海岸にたどり着いたとき、遥の息は上がっていた。
赤黒い海が目の前に広がっている。波は静かだった。
遠くでは、無人戦闘機の低い駆動音がまだ響いている。
「ゼロイム!」
声を張り上げても、返事はない。
当たり前だ。機械が人の声を聞いて、都合よく現れるわけがない。
遥は海を見つめた。
あのときは、どうしたのだったか。手のひらを触れさせた。光が走った。機体が動いた。
けれど、何をしたから動いたのか、今も分からない。
「頼むよ……ネクサス……」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
そのとき、水面の下で何かが光った。
一瞬、赤い光が海の底を走る。
続いて、海面が大きく盛り上がった。
黒い巨体が、水を押し分けて姿を現す。
水滴をまとった装甲。ところどころに残る傷。胸部に浮かぶ青い光の筋。
機体の頭部にある赤い眼が、遥を捉えていた。
「来てくれたんだ……」
機体は答えない。ただ、そこに立っている。
遥は近づき、装甲に手を触れた。
冷たい感触が指先に伝わる。
「ゼロイム……」
その名を口にする。
後藤たちがそう呼んでいた。
古い機体に刻まれていた名なのか、それとも何か別の意味があるのか。今の遥には分からない。
それでも、今はその名で呼びたかった。
「お前はゼロイムだ。ゼロイム……僕を乗せて」
以前と同じように、機体の一部が開いた。
その動きに、遥は一瞬ためらった。
また、あの中に入るのか。
ネクサスがいなくなった場所。
何が起きたのかも分からないまま、自分だけが戻ってきた場所。
それでも、後ろを振り返ることはできなかった。
遥は機体の中へ足を踏み入れた。
内部は暗かった。
前と同じように、操縦席らしいものは見当たらない。
壁面に浮かぶ青い線だけが、ゆっくりと明滅している。
「どうすればいいんだよ……」
手を伸ばす。
掌が触れた瞬間、青い光が指先から腕へと走った。
視界が揺れる。
頭の奥に、何かが流れ込んできた。
音とも映像ともつかない情報。知らない場所、知らない文字、知らない記憶。
理解しようとするほど、意識が引き裂かれていくようだった。
「うっ……!」
膝をつく。
前にもこんなことがあった。だが、あのときとは違う。
今度は機体の中にある何かが、遥の頭の中へ直接入り込もうとしている。
やめろ。
そう思った。
その瞬間、流れ込んでいた情報が止まった。
青い光が、ゆっくりと明滅する。
遥は荒い息をつきながら、壁面に手をついた。
「……僕は、何も知らない」
機体は動かない。
「どうすればいいのかも、何をすればいいのかも分からない。でも……」
遥は目を閉じた。
後藤たちがいる。あの無人戦闘機に追われている人たちがいる。
自分が逃げれば、どうなるのか分からない。
それでも、誰かに決めてもらうのは嫌だった。
「僕は、戻る」
言葉にした途端、機体の奥で低い振動が起きた。
青い線が一斉に光り、頭部の赤い眼が強く輝く。
巨体が動き出した。
海岸の砂が跳ね上がり、機体の脚部が地面を踏みしめる。
背中の装甲が展開し、内部から光が漏れた。
遥は前方を見た。
無人戦闘機が、こちらへ向かっている。
「行こう」
機体が応えるように、わずかに身を沈めた。
次の瞬間、黒い巨体が地面を蹴った。
海岸の景色が後方へ流れていく。巨大な機体は、重さを感じさせない速度で飛び上がった。
遥の身体が座席もない空間に押しつけられる。
視界の端で、青い光が幾重にも重なっていた。
機体は、まっすぐ無人戦闘機へ向かっていた。
無人戦闘機が機体を傾けた。
その動きに合わせて、周囲に展開していた小型機が一斉に散開する。
正面から一機、左右から二機。残りは高度を上げ、ゼロイムの進路を塞ぐように配置についた。
「なんだよ、これ……」
遥が呟いた直後、視界の端に青い光が走った。
ゼロイムがわずかに傾く。
直後、頭上を何かが通り過ぎた。
遅れて爆発音が響く。先ほどまでゼロイムがいた場所に、砂と瓦礫が吹き上がった。
「うわっ!」
機体が大きく揺れる。遥は壁に手をついた。
敵の動きが見えているわけではない。けれど、何かが来る。
その気配だけが、身体に伝わってくる。
「避けろよ!」
思わず叫ぶ。
ゼロイムは応えるように身をひねった。
二発目の攻撃が装甲をかすめ、黒い破片が海岸へ散った。
「当たってるじゃないか!」
機体は止まらない。
無人戦闘機の機体下部が開き、複数の砲口が姿を現した。
小型機も一斉に照準を合わせる。複数の光点がゼロイムを捉えた。
遥は身構えた。
次の瞬間、無数の光が放たれた。
ゼロイムの身体が沈む。
だが、すべてを避けきることはできなかった。
肩と脚部に光が走り、装甲の一部が弾け飛ぶ。
「くそっ……!」
どうすればいい。
前に進むのか。避けるのか。反撃するのか。
何も分からない。
視界に青い線が浮かび、いくつもの情報が流れ込んでくる。
機体の状態、周囲の位置、敵の動き。
理解できない記号が次々と重なり、頭の奥を締めつけた。
「もういい! 分からないって!」
遥は目を閉じた。
情報が途切れる。
その間にも、無人戦闘機は攻撃を続けていた。
ゼロイムが大きく後退する。
背中が倉庫の外壁にぶつかり、鈍い衝撃が内部まで伝わった。
遥は息を呑んだ。
このままでは負ける。
機械なのだから、正しい動きがあるはずだった。
最適な行動を選べばいい。そうすれば、きっと勝てる。
けれど、その答えを探そうとするほど、何もできなくなっていく。
ふと、海岸に倒れている人影が目に入った。
逃げ遅れた仲間だろうか。瓦礫の陰で動けずにいる。
小型機の一機が、その方向へ向きを変えた。
「待て!」
遥は叫んだ。
ゼロイムが動く。
その腕が、地面に落ちていた瓦礫を掴んだ。
次の瞬間、それを小型機へ向けて投げつける。
黒い塊が空を裂いた。
小型機は回避しようとしたが、間に合わなかった。
直撃を受け、火花を散らしながら海岸へ落下する。
「……今のは」
遥が呟く。
ゼロイムの腕が、ゆっくりと下がった。
無人戦闘機の動きが変わった。
機体は高度を上げ、ゼロイムから距離を取る。
小型機も再び位置を取り直し、今度は周囲の建物や道路を狙うように散開していく。
人間を巻き込むことを避けているのか。それとも、逃げ道を塞ぐためなのか。
どちらにしても、相手は状況を分析し、戦い方を変えていた。
ゼロイムのように、ただ力任せに動いているわけではない。
「こっちだって……!」
遥は前を見た。
倒れている人を助ける。
まずはそれだけでいい。
ゼロイムの腕が伸びる。
青い光が装甲の隙間を走り、指先まで広がった。
その腕が、倒れた人影を覆うように地面へ突き立てられる。
直後、無人戦闘機から攻撃が降り注いだ。
ゼロイムの背中に光が弾ける。
装甲が焼け、黒煙が上がった。
それでも、腕は動かなかった。
遥は歯を食いしばった。
「もう少し……!」
何をどうすればいいのかは分からない。
ただ、ここで手を離したくなかった。
そのとき、ゼロイムの胸部に青い光が集まり始めた。
機体の内部で、低い音が響く。
遥の視界に、見たことのない文字列が浮かんだ。
意味は分からない。
けれど、何かがこちらへ問いかけているような気がした。
遥は、その光を見つめた。
「僕は……守りたいんだ」
声にした瞬間、胸部の光が強くなった。
ゼロイムの背中から、赤い粒子が噴き出した。
それは煙のように広がり、機体を包み込んでいった。
赤い粒子は、ゼロイムの背中から噴き出し続けていた。
煙のように広がったそれは、機体を包み込むと、無数の小さな光を帯び始めた。
「何だ……?」
遥の目の前で、粒子が動いていた。
一つ一つが意思を持っているかのように、互いに集まり、離れ、形を変えていく。
傷ついた装甲の表面に張りつくと、そこから赤い筋が伸び、欠けた部分を埋めていった。
背中に開いた亀裂が塞がっていく。
だが、それだけではなかった。
ゼロイムの腕を覆った粒子が、細長く伸びていく。
粒子同士が結びつき、肘から先に鋭い刃の形を作り上げた。
赤く輝く刃が、機体の腕と一体化する。
まるで機体そのものが、必要に応じて自分の姿を作り替えているようだった。
「これが……ゼロイムの力?」
答えはない。
無人戦闘機が再び照準を合わせた。
複数の小型機が一斉に攻撃を開始する。
その瞬間、ゼロイムの背中から赤い粒子が広がった。
粒子は弾丸の軌道を塞ぐように散らばり、いくつもの塊となって空中に留まった。
攻撃が触れるたびに粒子が弾け、赤い光を散らす。
すべてを防いだわけではない。
それでも、ゼロイムの動きを止めるには至らなかった。
「行ける……?」
遥が前を見た。
ゼロイムの足が地面を踏みしめる。
次の瞬間、機体は一気に距離を詰めた。
無人戦闘機が急上昇する。機体下部から複数の砲弾が放たれた。
ゼロイムは身をひねってかわし、赤い刃を振り抜いた。
刃が戦闘機の翼端をかすめる。
金属が裂ける音が響き、翼の一部が切り離された。
姿勢を崩した戦闘機は、推進装置を噴射して高度を保とうとする。
だが、ゼロイムは追撃をやめなかった。
赤い粒子が腕に集まり、刃が再び形を変える。
遥には、何が起きているのか分からない。
ただ、自分が進みたいと思う方向へ、機体が応えているように感じた。
無人戦闘機の機体下部が開く。
そこから、さらに小型機が射出された。
「まだ出てくるのかよ!」
小型機が散開し、ゼロイムを取り囲む。
その一機が、再び倒れている人影へ向かった。
「やめろ!」
遥が叫ぶ。
ゼロイムが振り返った。
赤い粒子が地面を這うように広がり、倒れていた人影の周囲を覆う。
直後、攻撃が着弾した。
爆発音とともに砂煙が舞い上がる。
粒子の壁が大きく揺れた。いくつかの塊が吹き飛び、残った粒子も薄くなっていく。
「くっ……!」
遥の頭に鋭い痛みが走った。
視界が歪む。
また、何かが流れ込んでくる。理解できない文字列と、無数の映像。
機体の内部にある情報が、遥の意識へ押し寄せていた。
「もう……いい。分かったから……!」
それでも、粒子は動きを止めなかった。
遥は目を閉じ、歯を食いしばる。
守りたい。
ただ、それだけだった。
その思いに応えるように、ゼロイムの胸部が強く輝いた。
赤い粒子が一斉に地面を離れる。
それらは細い線となって空中を走り、無人戦闘機の装甲の隙間へと入り込んでいった。
「何を……?」
大型無人戦闘機の動きが止まった。
機体の各所で、センサーが不規則に明滅する。
推進装置の光が乱れ、機体が大きく傾いた。
周囲の小型機も次々と高度を失っていく。
無人戦闘機の内部で何が起きているのか、遥には分からない。
ただ、機体が攻撃をやめたことだけは分かった。
大型機は姿勢を立て直そうとしたが、片翼が大きく傾き、推進装置も正常に働いていない。
やがて海岸から離れた場所へ降下し、地面を削りながら停止した。
しばらくして、静寂が戻った。
ゼロイムの腕から赤い粒子が剥がれ落ちていく。
空中に漂っていた粒子も、少しずつ機体へ戻っていった。
「終わった……のか?」
遥は息を吐いた。
その直後、身体から力が抜けた。
視界が暗くなる。頭の奥で、まだ何かが鳴っている。
「う……」
膝をつきかけたとき、機体がわずかに揺れた。
ゼロイムは、遥を支えるように姿勢を低くしていた。
外から声が聞こえる。
「遥!」
後藤だった。
「おい、聞こえるか!」
機体の外壁が開く。
後藤が駆け寄ってきた。背後にはマリーたちの姿もある。
倒れていた仲間も、どうにか無事らしい。
「お前、何をしたんだ……」
後藤は、停止した大型無人戦闘機を見上げた。
その表情には驚きと安堵が混じっていた。けれど、すぐに険しい顔へ戻る。
「ここに長居はできねぇ。増援が来る」
「でも、あれは……」
「分かってる。今は離れるぞ」
後藤が手を差し出した。
遥はその手を取ろうとしたが、ふと、ゼロイムの機体を振り返った。
黒い装甲には、まだいくつもの傷が残っている。
赤い眼は静かにこちらを見つめていた。
「ゼロイムはどうするんですか?」
「海へ戻す。見つかるわけにはいかねぇ」
「また、僕が呼べば来るんでしょうか」
「さあな。だが、今はそれを確かめてる場合じゃない」
後藤は遥の腕を掴み、機体から離れた。
ゼロイムの胸部に浮かんでいた青い光が、ゆっくりと弱まっていく。
やがて巨体は海岸を離れ、赤黒い水面へと歩いていく。
水面に残った波紋が、少しずつ消えていく。
遥はその場所を見つめていた。
自分が何をしたのか、まだ分からない。
ゼロイムが何なのかも、赤い粒子が何をしたのかも。どうして自分の意思に反応したのかも。
分からないことばかりだった。
それでも、ひとつだけ分かったことがある。
誰かに言われたからではない。
正しい答えを教えられたからでもない。
あのとき、自分で決めた。
「遥」
後藤の声に、遥は振り返った。
「後藤さん……」
そのまま遥は気を失って地面に倒れた。
赤い水面の向こうで、何かが静かに沈んでいった。




