第9話 あなたは見ないふりが上手ですね
清髪粉は順調。
借金返済も順調。
そしてリョウの恋愛方面だけは、今日も順調ではありません。
清髪粉は、十日も経たないうちに工房の定番商品になった。
冒険者ギルドだけでなく、街の警備隊や騎士団の詰め所にまで噂が広がり、遠征前になると数本まとめて買っていく客が増えていた。
白粘土を煎る炉の火は一日中消えず、フェルが粉を調合し、リョウが小瓶へ詰めて封蝋をする。工房の作業台には、常に白い粉と爽やかな草の匂いが漂っていた。
「今週の売上、銀貨二百十枚です」
フェルが木箱の銀貨を数え終え、少し誇らしげに顔を上げた。
「スライム・ステップと合わせれば、もう仕入れに困ることはありませんね」
「ああ。借金の返済も予定より早く進んでる」
リョウが帳簿へ数字を書き込んでいると、工房の扉が控えめに開いた。
入ってきたのはルイーナだった。銀の胸当てには乾いた返り血が残り、手甲には新しい擦り傷がついている。討伐から戻った足でそのまま立ち寄ったらしい。
「リョウ、いるか」
「いらっしゃいませ。お疲れ様です」
リョウは立ち上がり、作業台の上の埃を布で払った。ルイーナは腰のポーチから銀貨を六枚取り出し、机へ並べる。
「二本くれ。隊の同僚に頼まれた分と、私の予備だ」
「ありがとうございます。少し待ってください」
リョウは棚から新しく詰めた小瓶を二本取り出した。
ルイーナは小脇に抱えた兜へ目を落とし、胸当てについた返り血を親指で擦った。落ちなかった。
前髪が額へ張り付いているのは、向かいにいれば嫌でも目に入る。リョウは小瓶へ視線を戻した。見ない方が楽なのは、たぶん客だけではない。何も言わずに薄布で包み、紐を縛った。
「今回の分は、清涼草の割合をほんの少し増やしてあります。熱がこもりやすいなら、揉み込んだあとに少し風を通すと効果が長持ちしますよ」
「……そうか」
ルイーナは包みを受け取った。視線を一度リョウの目元へ向け、それから小さく息を吐く。
「貴様は、見ないふりが上手だな」
「何がです?」
「討伐帰りの女など、もう少し見るものだと思っていた」
「別に、見る必要ないでしょう。商品は二本、銀貨六枚。俺が確認するのはそこだけです」
ルイーナは数秒黙り、それから口元をわずかに緩めた。
「……そういうところだ」
包みを腰の革袋へ収め、背筋を伸ばす。
「また来る。次の遠征前にな」
「お待ちしています」
ルイーナは小さく頷き、扉を開けて出ていった。
扉が閉まり、通りへ消えていく足音を聞きながら、フェルが作業台の向こうからじっとこちらを見ていた。
「なんですか?」
「リョウさんって、本当に何も気づいてないんですか?」
「気づくって、何を?」
「……別に」
フェルは乳鉢を引き寄せ、白粘土の粉を少し強めにすり始めた。
「鈍いのも商才のうちなんですかね」
「悪口か?」
「褒めてません」
リョウは帳簿の新しいページへ『清髪粉・売上二本』と書き足し、売上の一部を棚の奥の小袋へ移した。表には『研究費』とだけ書いてある。
リョウは首を傾げたまま、次の小瓶へ清髪粉を詰め始めた。
ルイーナ「……そういうところだ」
フェル「本当に何も気づいてないんですか?」
リョウ「?」
商売なら人の需要を見抜ける男です
なお、自分に向けられた好意は対象外の模様。
次回から第3章へ入ります。




