第52話 買う必要のない製造権
荷重検査は、昼前に終わった。
裏庭の横木から重りを吊るした検体は、どれも折れずに耐えた。所定時間を塩水に浸したものも、締めて外してを繰り返したものも、歯車印を打った十七工房の品はすべて基準を通った。エレンは検査台帳の最後に署名を入れると、リョウの方を見ないまま言った。
「午後に、話がある」
応接室には、昨日と同じ顔ぶれがそろっていた。リョウとフェルが机の片側に座り、カーナは壁際で煙管をくわえたまま、火をつけていない。革前掛けを外した短い作業用スカートから伸びる引き締まった脚を組み替え、唇の端で真鍮の吸い口を弄んでいる。腰掛ける姿勢のせいで、小柄な身体の丸みが静かに際立っていた。ルイーナは入口の横に立ち、セリアは窓際の椅子で毛布にくるまって半分目を閉じている。リィは来客用の硬い椅子に座らされ、床に届かない足をぶらぶらさせていた。
エレンは革の筒から羊皮紙を出して、机の中央に広げた。軍務局の印が三つ並んでいる。
「国家調達の案だ。読んでくれ」
リョウは端から読んだ。フェルが横から覗き込む。
歯車規格の製造権を、軍務局が買い取る。以後、規格金具の製造は王宮御用の商会三社に限る。名目は軍事機密の保持と品質管理。買い取り額は、銀貨三万枚。
美容液を三十瓶売り切った、あの夜の売上が五十回分。ゼロの数を、もう一度数えた。数え直しても同じだった。フェルの湯呑みが、口の手前で止まっている。
「どうだ。悪い条件ではないと思うが」
「一ついいですか?」
「何だ」
「製造権を買う、とありますけど」
リョウは羊皮紙を机の上に置いた。
「それ、買う必要ありませんよ」
「……何?」
「規格は無料です」
エレンの手が、卓の上で止まった。壁際で、カーナが煙管を噛み直す音がした。
「無料で配ったのか?」
「ええ」
「なぜだ。独占すればもっと儲かる」
「俺も儲ける気はありますよ」
「なら……」
「だから一社に売らなかったんです」
エレンが黙った。リョウは上着の隠しから真鍮のボルトを一本出して、羊皮紙の横に置いた。工房の刻印だけで、歯車印のない物だった。その隣に、歯車印の入った物をもう一本並べる。
「寸法を囲っても、規格は広がりません。広がらない規格は、そのうち誰も使わなくなる。金を取るなら、こっちです」
リョウが指で叩いたのは、歯車印の方だった。
「認証か」
「検査と、基準型と、治具。改訂もするし、供給の管理もやる。そっちの方が長く商売になります」
「あたしも最初は止めたんだよ。無料で配るなんてな」
壁際から、カーナが口を挟んだ。
「結果、これだ」
エレンは歯車印のボルトを手に取り、親指で印の溝をなぞった。それから元の位置へ戻し、少し間を置いて口を開いた。
「しかし、軍需だ。指定の工房を絞った方が管理しやすい。機密も守れる」
「管理はしやすいですね」
「なら……」
「三社のうち、一社が焼けたら?」
エレンが言葉を止めた。
「二社で職人が同じ流行り病に倒れたら?」
返事はなかった。
「三社とも、同じ真鍮商から仕入れていて、その船が来なかったら?」
エレンの眉がわずかに動いた。リョウは十七工房の一覧を広げた。
「工房だけ増やしても駄目です。材料の仕入れ先まで一つなら、そこが止まれば全部止まる」
指で一覧の端を叩く。
「工房も、材料も、運ぶ道も分ける。でも、出来上がる物の寸法だけは同じにする」
「……それが規格か」
「そうです。一軒が止まっても、別の一軒が作れる。そのための規格です」
「補給所も同じだ。一か所に集めれば、そこを焼かれた瞬間に止まる。遠征で何度も見た」
入口からルイーナが低く言った。エレンは一度だけルイーナを見て、すぐにリョウへ視線を戻した。
「だから、国が買うべきなのは型じゃありません」
リョウは羊皮紙を、指先で相手の側へ押し戻した。
「止まらない仕組みです」
応接室が静かになった。窓際でセリアの毛布が、少しずれた。
その静けさがどのくらい続いたのか、リョウには分からなかった。
「……まだ終わらないの?」
リィが椅子の上で、退屈そうに足を揺らしながら呟いた。硬い座面に座り続けて、尻が痛くなってきたのかもしれない。リョウは立ち上がり、棚の最下段から四角い板を一枚取った。防振ゲルの端材を、座面の大きさに切り揃えた乳白色の板だった。コンテナ用の試作品の残りで、捨てる予定のものだ。
「これ使う?」
リィの椅子へ敷いてやると、リィは恐る恐る尻を下ろし、次の瞬間に目を丸くした。
「……なにこれ!」
何度も上下に弾む。ゲルが沈んで、戻る。
「ふわふわ!」
「コンテナ用だから、飛び跳ねるなよ。壊れる」
「これ、わたしにちょうだい!」
「端材だからいいよ」
「リョウ、好き!」
リョウは、一拍止まった。
「……ありがとうございます」
四人の動きが、それぞれ一瞬止まった。フェルは湯呑みを持ったまま、ルイーナは組んだ腕のまま、セリアは毛布を引き上げかけたまま、カーナは煙管を歯に挟んだまま。
「そこだけ敬語なの何なんだよ」
カーナの声が、いつもより低かった。リョウは聞こえなかったことにして、棚の戸を閉めた。
エレンは羊皮紙を巻き直し、革の筒へ戻した。リィは座布団の弾力を楽しみながら、リョウとエレンの顔を交互にじっと見比べていた。
「持ち帰る。軍務局の中で通すには、十七工房全体の生産能力と、量産にかかる費用の試算がまだ要る」
「用意します」
「明日は軍用荷車へ実際に積む。荷車を一台、借りたい」
「騎士団の荷車なら、私から話を通しておこう」
ルイーナが答えた。
玄関先で、エレンが先に馬に跨がった。リィはエレンの前に乗せられる直前、振り返ってリョウに向かって小さく手を振った。胸には、ゲルの座布団を大事そうに抱え込んでいる。それからどこか悪戯っぽく、楽しそうに目を細めてみせた。
リョウも軽く手を振り返した。
馬が通りの角を曲がって見えなくなるのを見送ってから、リョウは小さく息を吐いた。
「……不思議な子だな」
「ふふ。でも、ずいぶん懐かれたみたいですね」
フェルは空になった湯呑みを盆へ戻しながら言った。
リョウは棚の在庫票を引っ張り出し、防振ゲルの端材の欄から、一枚分の数字を線で消した。




