↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/60

第48話 無料の物差しが街を変える

王都下町の鍛冶工房十七軒と、規格協定の合意が交わされた。


大通りの店舗を構えるフェル工房と、下町の零細な鍛冶屋たち。

普段なら交わることのない者同士を繋いだのは、カーナが削り出した手のひらサイズの真鍮板だった。


カーナは自ら各工房を歩いて回り、親方たちの無骨な手のひらへ、直接その基準型を手渡していった。


「これより太くても細くても、あたしは買い取らねえからな。きっちり寸法通りに叩けよ」

「へっ、分かってるよ。何十年鉄を叩いてると思ってやがる」


基準型を受け取った老親方が、真鍮板に開いた二つの穴を指でなぞりながら、ふと顔を上げた。


「……なぁ、カーナ親方。この規格ってのは、誰が決めたんだ?」

「あの商人とあたしだ」

「鍛冶師に規格の型を決めさせるとは、変わった商人だな」


老親方の呟きに、カーナは煙管をくわえ直して背を向けた。


「あいつが決めたのは数字だけだ。基準型を作ったのはあたしだよ」


それだけ言い残して、次の工房へ向かった。


だが、大通り本店へ戻ると、留守を預かる老番頭から不穏な知らせが入っていた。

ゴードン商会がさらに動きを強め、王都周辺の金物問屋や大口の鍛冶工房へ、破格の金額で買収や専売契約を持ちかけているという。下町の中小工房を孤立させ、真鍮や鉄の流通を締め上げようという腹づもりだった。


話を聞いたリョウは、帳簿の端をペン先で叩いた。


「基準型を、下町中の工房に無料で配ろう」


横にいたカーナが、目を丸くして煙管を取り落としそうになった。


「はあ!? 待て、おい、リョウ。この板一枚削るのにも、あたしの手間と真鍮代がかかってんだぞ」

「知ってる」

「なら金を取れよ。一本でも多く売って回収しねえと割に合わねえだろ」

「売らないよ」

「なんでだ!」

「規格そのものは、広がった方が儲かるからだ」


リョウは作業台の真鍮板を指先で弾いた。


「規格に使用料をかけたら、誰も使わなくなる。ゴードン商会が工房を買い占めて締め出そうとしている今、一番大事なのは『誰でもこの寸法で作れる』状態を街中に作ることだ。条件は二つだけ。寸法を守ることと、作った工房の刻印を打つこと」

「刻印?」

「うちの規格寸法で作れる工房だっていう証明だ。加盟した工房には、小さな歯車マークを打たせる」


品質の保証ではない。どこで作られた部品かを見分けるための識別だった。


こうして、注文をフェル工房だけで抱え込まない仕組みが動き始めた。

騎士団から受託した先行十台分の金具を、「ボルト二百本」「ラッチ五十個」「蝶番百組」と細かく分割し、加盟した十七軒へ流す。

一軒一軒の生産量は少ない。それでも十数軒へ分ければ、必要数へ届く見込みは立った。


そのための仕様書と寸法図面の整理で、連日、リョウとカーナは夜遅くまで机を突き合わせていた。


「おい、こっちのラッチの取り付け穴、間隔はこれでいいのか?」

「うん、コンテナのフレーム側と半ミリも狂ってない。いける」


深夜の事務所。ランプの灯りの下で肩を並べて羊皮紙を覗き込んでいると、カーナの濡れた髪から微かに石鹸の匂いがした。

前掛けを外した薄手のシャツは首元の紐が緩んでいて、机に乗り出すように前屈みになるたび、鍛えられた鎖骨の奥に、汗を流したばかりの白い胸元のふくらみが覗く。

小柄な肩がリョウの腕にぴったりと触れ、話すたびに温かい吐息が耳元をかすめた。ドワーフの鍛冶師というより、完全に風呂上がりの無防備な女そのものだった。

リョウは唾を飲み込み、視線を強引に羊皮紙の端へ逸らした。


「……リョウ、どこ見てんだ」

「寸法見てる」

「嘘つけ、数字のねえとこ見てるだろ」

カーナは少し顔を赤くし、胸元を押さえながらも、腕を離そうとはしなかった。


ことりと事務所の扉が開いた。


湯気を立てるお茶の盆を持ったフェルが、笑顔のまま入ってきた。


「お疲れ様です。……お二人でずいぶん熱心ですね。抜け駆け禁止では?」

「ぶっ――!? バ、バカ言え、ネジ山数えてるだけだ!」


カーナが吹き出した時には、もうだぼだぼのローブを着たセリアがリョウの膝の上に潜り込んでいた。眠そうに目を擦りながら上着を掴む。


「……セリアも、ネジ山数える」

「お前は寝てろ!」


そこへ、巡回から戻ってきたルイーナが、銀の甲冑のまま背後に音もなく立った。


「では私も確認しよう。夜間の二人作業は、協定規則上の厳格な確認が必要だな」

「お前ら全員仕事しろ!」


カーナの悲鳴が夜の工房に響き、結局、その夜も五人で机を囲んで図面と部品を数えることになった。


だが、平穏な夜は長く続かなかった。


二日後の昼下がり。

大通り本店に、王国騎士団の制式馬車が停まった。

降り立ってきたのは、輜重補給長のガレウス卿だった。数人の部下を従えているが、その表情はいつになく険しい。


ルイーナが背筋を正して出迎える中、ガレウス卿は事務所の奥でリョウと向き合った。


「商人リョウ殿。……上から横槍が入った」


ガレウス卿は低い声で切り出した。


「ゴードン商会が騎士団の上層部に手を回したらしい。『零細な町工房の寄せ集めで作った金具など、軍需品の安定供給や品質が担保できるはずがない』と、もっともらしい理屈を並べ立ててな。先行十台の仮契約を破棄し、ゴードン商会の金具に差し替えろと迫られている」

「……そうですか」

「私としても、この不条理な横槍を突っぱねたい。だが、軍組織である以上、上の懸念を完全に無視することはできん。供給の安定性を証明する実証試験を求められている」


リョウは表情を変えずに尋ねた。


「条件は何ですか?」


ガレウス卿は真剣な眼差しでリョウを見据えた。


「七日やる。十以上の工房から、百個集めろ」

「百個?」

「その場で混ぜる。どこの工房の物か分からない状態でな。それでも全部噛み合うなら、私が上を黙らせる」


カーナが息を呑んだが、リョウは静かに頷いた。


「分かりました。七日後にお待ちしています」


ガレウス卿が去った後、事務所には静まり返った空気が残された。 


リョウは机の上に散らばった十七枚の工房台帳を、音を立てずに一つに揃えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。