第46話 三本のボルトは噛み合わない
朝の鍛冶場には、まだ昨日の消し炭の冷たい匂いが残っていた。
木屑と鉄粉の積もった作業台の上に、真鍮のボルトが三本並んでいる。
昨日、カーナの弟子が街の問屋から手に入れてきたものだった。いずれも大型保冷コンテナの四隅を留めるための、同じ太さの金具として売られていた品だ。
カーナが作業台の端に腰掛け、短くなった煙管をくわえたまま、手元にあった真鍮のナットを一つ拾い上げた。
「ほらよ、見とけ」
カーナが一本目のボルトをナットにあてがう。指先で軽く弾くように回すと、するすると奥まで吸い込まれていった。
「これが、うちでいつも使ってた東通りの工房のやつだ」
次に二本目。西通りの工房が打ったボルト。
カーナがナットを噛み合わせ、二巻き、三巻きと回したところで、ガチリと鈍い手応えがして止まった。力任せに親指を押し込むが、金属同士が軋むような不快な音を立てるだけで、それ以上はびくともしない。
「山の間隔がほんのわずかに詰まってやがる。力づくでねじ込めば、二度と外れねえか、途中でねじ切れる」
そして三本目。南の鍛冶屋が打ったボルト。
カーナがナットを近づけるが、そもそも先端の軸が太すぎて、穴の縁に当たってカチカチと音を立てるだけだった。
「穴にすら入らねえ。……全部、あのコンテナの蓋を留める金具として売られてたやつだぞ」
カーナがナットを作業台に叩きつけるように置いた。真鍮が乾いた音を立てて転がる。
「作った工房が違うからな」
リョウは作業台のボルトを指先で集めた。
「ゴードン商会が三軒の工房を買収しただけで、街中の金具が止まった理由がこれだ。真鍮がないんじゃない。職人が足りないんじゃない。他人の作ったネジに入らないからだ。だから、寸法を統一する」
「あ?」
カーナが露骨に嫌な顔をした。眉間に深い皺が寄る。
「全部、同じ物を作れってのか。他の工房の真似をしろって? あたしにそんな下請け仕事の真似事を――」
「違う」
「何が違う」
「作り方は好きにしろ」
リョウはボルトを一本、カーナの目の前にかざした。
「炉の温度も、槌の叩き方も、鉄の鍛え方も、そこは好きにやればいい。カーナの槌の角度まで他の工房に真似させたら、全体の品質が落ちる」
カーナの目が一瞬止まった。煙管から立ち上る細い煙が、微かに揺れる。
「ここだけだ。ボルトの太さと、ネジ山の間隔。それと、ナットの穴の径。これが、誰の作った金具にも入ればいい。揃えるのは職人の腕じゃない。他人の仕事と接続する部分の寸法だけだ」
カーナはしばらくリョウの顔をじっと見つめていたが、やがて短く鼻を鳴らした。
「……言いたいことは分かったよ。だがな、下町の鍛冶屋には文字の読めねえ親方も多いんだ。寸法だの数字だの書いた紙を配ったところで、便所の紙にしかならねえぞ」
「だから、数字を読まなくていい道具を作る」
「道具?」
「通れば合格。止まれば作り直し。それだけが分かる板だ」
カーナは煙管を作業台の灰皿に叩きつけると、奥の棚から厚さ五ミリほどの真鍮板を一枚引っ張り出してきた。
「おい、正確な数字を言え」
リョウが作業台にあったカーナ愛用の真鍮製ノギスと、数字を書いたメモを取り出し、ボルトの軸径、ネジ山のピッチ、ナットの内径を伝える。
カーナの手が動き始めた。
やすりと鏨を手に取り、板の端に丸い穴を二つ穿つ。さらに板の縁には、ネジ山の間隔をそのまま写し取った凹凸の溝を正確に刻み込んでいく。
「穴が二つあるだろ。こっちは通せ。通らなきゃ太すぎる。で、こっちは通すな。通っちまったら細すぎてスカスカだ。それだけ覚えろ。溝にネジ山がぴったり噛み合えば合格。それ以外は全部叩き直しだ」
「それなら、子供でも分かるな」
「子供扱いすんな」
カーナが悪態をつきながら、作業台の隅に転がっていた真鍮の棒を削り、新しいボルトを一本叩き出した。
出来上がったボルトを、いま作ったばかりの真鍮板にあてがう。
穴をすっと通り抜け、隣の穴の手前でピタリと止まる。ネジ山を溝に当てると、隙間なく綺麗に噛み合った。
それを、弟子の削っていたナットへ差し込む。するすると滑るように回り、吸い付くように止まった。
カーナがボルトを見つめたまま、微かに眉をひそめた。
「……気持ち悪いくらい合うな」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
「褒めてねえよ。なんか背中が痒いだけだ」
その日の昼から、二人は王都の下町、黒い煤煙が立ち上る鍛冶通りを回り始めた。
路地にひしめく零細な鍛冶屋。ゴードン商会に仕事を奪われ、閑古鳥が鳴いている小さな工房の扉を叩く。
「この真鍮板を無償で貸す。作った部品がこの型を通るなら、うちが全量買い取る」
突然現れた商人と女鍛冶師に、頑固そうな親方たちは露骨に顔をしかめた。
「その板通りに作れってか? 職人の仕事に指図すんじゃねえ、帰れ!」
怒鳴られて門前払いを食らいそうになりながらも、リョウは無言で基準型を作業台へ置き、手元のボルトを通して見せる。すっと穴を抜け、溝に吸い付くように噛み合う。その単純な動きに、親方の怒鳴り声が一瞬止まった。
何軒目かの工房を出たところで、カーナが路地の埃を払いながらリョウを見上げた。
「おい、リョウ。ゴードン商会は三軒も大工房を押さえてんだぞ? こっちはこんな小さな鍛冶屋ばっか回って、間に合うのかよ」
「三軒押さえられたなら、十軒で作ればいい」
「十軒?」
「足りなきゃ二十軒だ。一軒あたりの数が少なくても、同じ寸法で集まれば山になる」
大通り本店へ戻ったのは、通りに夕闇が降りて灯りが灯り始めた頃だった。
事務所の机の上には、王都下町の鍛冶工房を書き殴った地図と、一軒あたりの月産数を試算した紙が何枚も広がっている。
真鍮の仕入れ原価、基準型の製作費用、騎士団からの前受金。
羽ペンを走らせるリョウの横に、ことりと温かい湯気を立てる木の椀が置かれた。具だくさんの野菜スープの香りが、鼻腔をくすぐる。
「リョウさん。夜食です」
フェルが盆を抱えて立っていた。作業着の袖をまくった腕は透き通るように白く、エルフの尖った耳が、机の上の散らかり具合を見て微かに揺れている。
フェルは椀を置くと、椅子を引くこともなく、リョウの背後にそっと回り込んだ。夜風で冷え切っていたリョウの肩へ、自らの厚手のショールをふわりと優しく掛け直す。
その瞬間、フェルの胸元がリョウの後頭部と背中に柔らかく触れ、石鹸とハーブの混ざった甘い香りが頭上から降ってきた。
「……フェル?」
「肩、冷えてますよ。少し詰めるのは明日にしませんか」
覗き込んできたフェルの緑の瞳が潤んでいて、距離の近さにリョウのペンの先が止まった。
「……何軒で採算が合うと思う?」
フェルはクスリと小さく笑い、ショールの端をリョウの胸元できゅっと整えた。
「私に聞かないでください」
フェルが事務所の扉を静かに閉めると、リョウは冷めないうちに木匙を取った。




