第45話 万物の真理(サイズじゃない、温度管理だ)
王都北門の巨大な鉄格子をくぐったのは、竜の渓谷を出発してからちょうど八日目の昼下がりだった。
過酷な悪路を越えてきた大型幌馬車は、車輪や車体に白っぽい泥と埃をびっしりと纏っていたが、二頭の軍馬は力強く蹄の音を鳴らし、堂々と王都の大通りへと凱旋した。
大通り本店の前には、すでに人だかりができていた。留守を預かっていた老番頭だけでなく、美容液の納品を待ちわびる貴族の使者や、長距離生薬輸送の成否を見届けようとする王都の素材商たちが、固唾を呑んで馬車を取り囲む。
御者台から飛び降りたリョウは、埃を払う間もなく、荷台の中央に鎮座する金属の塊へと歩み寄った。
「カーナ、開けてくれ」
「へいよ、お出ましだ!」
カーナが力強く腕を振るい、二重気密パッキンを締め上げていた真鍮のラッチ金具を跳ね上げた。
プシューッ!
微かな気圧差の音とともに、分厚い断熱蓋が持ち上がる。その瞬間、コンテナの縁から溢れ出した白い冷気が、大通りの暖かい空気と触れ合って立ち上り、周囲へふわりと広がった。
そして、冷気とともに漂ってきたのは――朝露を吸ったばかりのような、鮮烈で青々とした薬草の香りだった。
「な、なんだこれは……!?」
群衆の最前列にいた老素材商が、目を剥いて叫んだ。
コンテナの底に敷き詰められた吸熱保冷ゲルの上で、深紅の竜血草が整然と並べられている。素材商がおずおずと手を伸ばし、葉を一枚、指先でつまんだ。
「……まだ柔らかい」
「八日前の草だぞ」
別の商人が呟く。葉にはまだ張りがあり、指で触れると冷たく瑞々しい。琥珀色の細胞活性樹液も濁りひとつなく澄み切っていた。
「北方の竜の渓谷から八日もかけて運んできた生薬が、これほど状態を保っているとは……」
「フェル、仕込みに入れるか?」
「はいっ、リョウさん! すぐに準備します!」
フェルが満面の笑みで作業台へと駆け出し、セリアが満足そうに尻尾を揺らしながら、コンテナの魔晶石を愛おしそうに撫でた。
そこへ、重々しい蹄の音が通りに響いた。
「道をあけよ! 王国騎士団、輜重補給部隊の巡察である!」
銀の甲冑を纏った騎馬の一隊が割って入ってきた。先頭に立つのは、豊かな髭をたくわえた厳格な初老の将校――王国騎士団の物資調達を一手に担う、輜重補給長のガレウス卿だった。
ルイーナがすっと背筋を正し、胸に手を当てて敬礼する。
「報告いたします、補給長。過酷環境における新型補給器具の実地試験、ならびに極寒地生薬の輸送任務、全行程を完了いたしました」
「うむ、よく戻った、ルイーナ卿。……して、これが例の器具か」
ガレウス卿は馬から降りると、鋭い眼光でコンテナの前へ歩み寄った。
真鍮と銅の二重断熱壁、冷気を循環させる吸熱魔導陣、そして中から漂い出るひんやりとした澄んだ冷気。
「驚嘆に値するな。……これまで、前線の遠征部隊へ届ける解毒血清や傷薬、そして生鮮食料は、道中の熱気と湿気で多くが腐敗・劣化していた。夏場の行軍に至っては、兵糧の腐敗による食中毒こそが最大の敵だったのだ」
ガレウス卿はコンテナの内壁に触れ、冷たさに目を見張りながら、リョウを真っ直ぐに見据えた。
「商人リョウ殿。まず十台だ。北部遠征隊で一か月使わせる。性能が再現できれば、次は百台規模になる。単価と保守費用を出せ。軍の予算で通せる条件なら、その場で仮契約する」
「すぐに試算をお出しします」
リョウが落ち着いた声で一礼すると、周囲の商人たちから息を呑むようなざわめきが上がった。
夕暮れ時。大通り本店のカウンターには、騎士団の公認印が捺された先行調達の仮契約書と、手付金として積み上げられた金貨の山が鈍く光っていた。
「……すげえな。十台分でこの金貨かよ」
カーナが呆気にとられたように煙管を口にくわえ、ルイーナが誇らしげに腕を組んで微笑む。セリアはすでに金貨の山の横で毛布にくるまり、リョウの膝に頭を乗せてすやすやと寝息を立てていた。
リョウは羽ペンを置き、分厚い元帳をぱたんと閉じた。
「……商売や輸送のサイズじゃない。小さなコンテナの中で支配する、温度の勝ちだ」
リョウが満足そうに息を吐いた、その時だった。
裏口の扉が勢いよく開き、カーナの鍛冶場で働く若い弟子が息を切らして駆け込んできた。
「親方! 大変です!」
「なんだ、息切らして」
「追加のコンテナ用の真鍮金具、問屋に注文を断られました!」
「あ? 三軒ともかい?」
「三軒ともです! 昨日、ゴードン商会に工房ごと買い取られたって……! それに、街中のボルトの値段が一気に三倍に跳ね上がってます!」
カーナの眉がつり上がった。
「チッ……あいつら、うちの金具を押さえに来やがったな! ボルトがなきゃコンテナの増産ができねえぞ!」
悔しそうに拳を握るカーナの横で、リョウは作業台の上に転がっていた手作りのボルトを三本、無造作に拾い上げた。
どれも同じ用途で作られたはずなのに、職人の癖で太さもネジ山の間隔も微妙に異なっている。特定の工房を押さえられれば、それだけで互換性のない部品調達は止まってしまう。
リョウは三本のボルトを、机の上で一本ずつ指先で転がした。
「カーナ」
「なんだ」
「この三本、同じ寸法で作れないか?」
「作れるが……何する気だ? 他の工房の真似事でもさせる気かい?」
「職人の腕を揃える必要はない。カーナの腕を誰でも真似できるようにする気もない」
リョウは一本のボルトを指先で摘み上げた。
「揃えるのは、寸法だけだ」
リョウは手元のボルトを指先で弾いた。




