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第35話 万物の真理(サイズじゃない、頭脳の使い所だ)

翌朝、王都の商業ギルド本部から派遣された主任査問官と、完全武装した衛兵隊が大通りのゴードン商会第一支店を包囲した時、バレルはまだ机の上で昨日の契約書の写しを眺めてほくそ笑んでいた。


「な、何事だね!? 衛兵隊がなぜうちの店を取り囲んでいる!」 


青ざめて叫ぶバレルに対し、正面からずかずかと踏み込んできたのは、銀の胸当てを白日の光に輝かせたルイーナだった。その手には、セリアが徹夜で書き上げた魔力成分分析書と、カーナが叩き割った鉛混じりの安物金属筒が握られていた。


「商業ギルド法規および都市警備条例違反の現行犯だ、バレル支店長。貴殿らが販売した偽装気力水および粗悪浄水筒による、冒険者四名に対する重過失傷害、ならびに劇薬・有害重金属の不法流通容疑で強制捜索を行う」

「ば、馬鹿な! あれは仕入れ担当が勝手にやったことで、すでに解雇して――」

「言い逃れは見苦しいぞ、バレル」


ルイーナの背後から現れた初老の主任査問官が、冷徹な声で羊皮紙の令状を突きつけた。


「被害者の体内から検出された毒物反応と、貴殿らの倉庫から押収された生薬・金属資材の成分が完全に一致した。さらに、脱税と不法買い占めの証拠帳簿も確保した。本日付をもって、ゴードン商会第一支店の無期限営業停止、ならびに全財産の仮差し押さえを宣告する」

「そ、そんな馬鹿な……! お待ちください、査問官殿! うちは裏路地のフェル工房と業務提携を結んだばかりなのです! あそこの本物の商品をうちの店舗で独占販売すれば、被害者への賠償金もすぐに払えます、ですから営業停止だけは――!」


必死に縋り付くバレル。だが、その言葉を遮るように、澄んだ足音が一つ落ちた。


「その契約なら、もう履行の段階に入っていますよ」


人混みを割り、静かに店内へと歩み入ってきたのはリョウだった。その手には、昨日バレルと交わしたばかりの、ギルド公認印が鮮やかに捺された契約書の原本が握られていた。


リョウは査問官の前で羊皮紙を広げると、昨日書き足した余白の特約条項を指先でトントンと叩いた。


「『なお、ゴードン商会側の過失により、当店舗における本製品の販売が停止、または不可能となった場合、フェル工房への損害賠償として、ゴードン商会大通り第一支店店舗の全所有権および営業権をフェル工房へ無償譲渡するものとする』。……査問官殿、この契約書の有効性はいかがでしょうか」


査問官は羊皮紙を受け取り、老眼鏡の奥の目を光らせた。


「……商業ギルド公認の印鑑、ならびにバレル支店長本人の署名と実印を確認した。対等契約の原則に則った、完全に正当な特約条項だ。そして現在、ゴードン商会側の重大な法令違反による無期限営業停止により、当店舗における本製品の販売・営業は永久に不可能となった。よって特約条項の要件は完全に充足され、直ちに発効する」


査問官は顔を上げ、冷ややかに宣告した。


「当店舗の全所有権、土地の借地権、ならびに付属する全設備は、今この瞬間より、フェル工房へと無償譲渡される」

「あ……あ、あ……」


バレルは喉から引きつった音を漏らし、自らが仕掛けた罠で首を絞められた事実に気づいて白目を剥いた。そしてそのまま、床の絨毯の上へと音を立てて崩れ落ち、衛兵たちによって引きずられていった。


裏路地の零細工房が、王都大通りの一等地に構える巨大直営店舗を、合法的に丸ごと呑み込んだ瞬間だった。


それから、半月後。

大通りの中心、かつてゴードン商会の看板が掲げられていた豪奢な石造りの店舗には、『フェル工房 大通り本店』と記された新しい木製の看板が誇らしげに掲げられていた。開放的なガラス窓から明るい光が差し込む店内は、朝から途切れることのない客の熱気で満ち溢れていた。


「いらっしゃいませ! 気力回復シロップですね、銅貨八枚になります!」


磨き上げられた真鍮のカウンターの奥で、フェルが満面の笑顔で客を迎えている。以前の自信なさげな面影はどこにもなく、堂々たる工房の若き主として、手際よく薬瓶を客の手へと手渡していた。


その隣のショーケースでは、腕を組んだカーナが、客の注文に合わせて頑丈な金属金具を並べている。

いつもは煤だらけの顔も綺麗に洗われていて、耳元には自作の小さな真鍮の飾りが揺れていた。革前掛けをぎゅっと絞めた腰回りは、小柄ながら驚くほど細い。


「リョウ、真鍮ケースの追加発注がもう三十個入ったぞ。鉱山の親戚に荷車をもう一往復頼んどくからな!」

「助かる、頼むよ」


リョウが頷くと、カーナは白い歯を見せて笑い、照れ隠しのように槌を腰の革帯へ差し直した。


店の入口脇では、非番のルイーナが銀の胸当てを身につけたまま、騎士団の物資受領書にサインを走らせていた。


「大通りの本店ともなれば、警戒の重要度は以前の比ではないからな。詰所に戻るより、ここに常駐して警備指揮を執るのが最も合理的だ」


相変わらず真面目な顔で自分に言い聞かせるように呟きながら、青い瞳でリョウの姿を静かに追っている。


そしてリョウの足元――カウンターの最も奥まった特等席には、ふかふかの特製毛布が敷かれていた。その上で子狐のように丸くなっていたセリアが、眠たげに亜麻色の耳を揺らし、だぼだぼの袖から伸ばした手でリョウのズボンの裾をぎゅっと引いた。


「……リョウ、魔導陣のインク補充、終わった……。今日のお昼、フェルのシロップ入りスープがいい……」

「分かった、後でフェルに頼んでやる」


リョウが頭を撫でると、セリアの黄金色の尻尾が嬉しそうにパタパタと揺れ、リョウの足首へと心地よい重みと温もりで吸い付くように巻きついた。薄いローブの裾から、白く華奢なふくらはぎが覗いている。


そこへ、奥からフェルが新しいハーブ茶を運んできた。

カウンターを挟んで身を乗り出し、湯呑みをリョウの手元へ置く。その拍子に、エプロンの胸元がふわりと広がり、調合室の甘い生薬の香りと共に、リョウの目元に柔らかく豊かな陰影が近づいた。


「リョウさん。今日の売上、もう数えちゃいました?」


耳元で囁かれた吐息が甘く、フェルの長い睫毛が伏せられる。リョウは帳簿の端を指で押さえながら、静かに喉を鳴らした。


「……これからだ」

「ふふ、じゃあ私も一緒に数えますね」


薬学、鍛冶、武力、魔導。それぞれの分野で王都最高峰の腕を持つ四人の女性たちが、当たり前のようにこの場所に集い、当たり前のようにリョウの隣を自らの居場所として定めている。


最近、休憩室でお茶を淹れる順番や、昼食の隣の席を巡って、四人の間で静かな火花が散っている気もするが、商売が順調なリョウは深く気にしていなかった。


夕暮れ時。すべての客を送り出し、大通りの賑わいを見下ろしながら、リョウはカウンターの上の新しい分厚い帳簿を、ぱたんと音を立てて閉じた。手に入れたのは、莫大な利益と強固な販売網だけではない。どんな大資本にも決して揺るがされない、最高峰の仲間たちだった。


リョウは窓の外を眺め、ふっと口元を緩めた。


「……資本や組織のサイズじゃない。小回りと、頭脳の使い所だ」


呟いたリョウは、懐から重厚な真鍮の鍵を取り出すと、静かに新店舗の奥へと歩き出した。階段を降りた先――大通りの地下深くに極秘で増設された、頑丈な防音扉の前で立ち止まる。


扉に掲げられた真鍮プレートには、仲間たちにも明かしていない、リョウだけの真の看板が刻まれていた。


『極秘・サイズ回復研究室』


不慮の事故で異世界へ転生し、前世で最も自信のあった男の威厳だけが半分になってから、数ヶ月。潤沢な研究資金、最高峰の調合設備、王都一の鍛冶技術、最強の護衛、そして天才魔導士の術式。元のサイズを取り戻すための、あらゆるピースが今、完璧に揃った。


リョウは下腹部へとそっと手を当て、不敵な笑みを浮かべた。


「相棒、ここからが本当の勝負だ」 


重厚な真鍮の鍵を鍵穴へと差し込み、リョウは迷いのない手つきでそれを右へと回した。


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