第3話 無料という名の撒き餌
第1話・第2話に引き続き、お付き合いいただきありがとうございます!
開幕3話連続更新のラストとなります。
今回のテーマは「無料という名の撒き餌」。
前世の実業家としての知識をフル稼働させ、いよいよ本格的な市場開拓とマーケティングが動き出します。
どうぞお楽しみください!
完成した中敷きには、名前が必要だった。
「スライム・ステップ」
リョウが言うと、フェルは作業台の向こうで黙った。
「どう?」
「何がですか?」
「商品名」
「今のが?」
「うん」
「……本気ですか?」
反応が悪い。リョウは紙に書いた文字を見直した。素材が分かる。用途もなんとなく分かる。覚えやすい。少なくとも本人は悪くないと思っている。
「いい名前だろ」
「靴の中でスライムが踏まれてる感じがします」
「実際だいたい合ってる」
「そこを想像させない名前にしてください」
「じゃあ、柔足一番」
「もっと嫌です」
「足楽くん」
「急に雑になりましたね」
結局、スライム・ステップになった。二人しかいないのに一対一だったため、商品企画者の票を二票扱いにした。
翌朝、店先に商品を並べた。薄い革で挟んだ半透明の中敷き。左右一組で銅貨八枚。革靴を新調するよりずっと安く、一日中歩く人間でも手を出せる値段にした。フェルが値札を見る。
「安すぎません?」
「材料費が安いからな」
「加工には手間がかかっています」
「最初は利益より数を取る」
「また品質を安売りする話ですか」
「違う。知られてない商品に高い値段をつけても、誰も試さないって話」
フェルはまだ何か言いたそうだったが、開店時間になった。
最初の客は、傷薬を買いに来た冒険者だった。棚の横に置いたスライム・ステップを見つけ、手に取る。
「なんだこれ」
「靴の中敷きです」
「スライム?」
「加工してあります。臭いませんし、腐りません。足への衝撃も減らします」
「靴の中にスライム入れんの? うわ、気持ち悪」
棚に戻された。そのあとに来た荷運び人も、興味を示しかけて「スライム」と聞いた途端に手を引っ込めた。昼前に来た若い女などは、品名札を指差して「名前が嫌」とだけ言って去っていった。
フェルがリョウを見た。見なかったことにした。
昼までに十一人が商品を手に取った。買った人間はゼロだった。夕方まで粘っても、結果は変わらなかった。フェルが店先の商品を並べ直しながら言った。
「売れませんね」
「売れないな」
リョウは椅子に座り、通りを眺めていた。フェルの足は楽になった。自分でも二日使った。銅貨八枚なら高すぎもしない。それでも、一つも売れない。
店の前を、一人の配達員が駆け抜けていった。肩から大きな革袋を下げている。靴のかかとは片方だけ潰れていて、走り方も少し変だった。少しして、若い冒険者の二人組が通る。片方は靴の紐を締め直し、もう片方は壁に寄りかかって足首をもんでいた。リョウは椅子から立った。
「フェル」
「はい?」
「十組作れる?」
「作れますけど」
「売らない」
「……はい?」
「配る」
「は?」
翌朝、冒険者ギルドの前で、フェルは紙袋を抱えていた。
「もう一度聞きますけど」
フェルは抱えた紙袋を抱き直した。
「これ、一組銅貨八枚で売る商品ですよね。十組あります」
「そうだな」
「全部タダで配るんですか?」
「配る」
「……昨日、一組も売れてませんよ。材料費も加工費もかかっています」
「知ってる」
「なのに配るんですか」
「配る」
「商売が下手なのは私の方ですよね?」
「今のところはな」
「不安になってきました」
リョウは紙袋から一組取り出した。
「信用がないんだよ」
「私たちに?」
「商品に」
リョウは中敷きを指で曲げた。
「これ見ただけで、足が楽になるって信じられるか?」
「……私は信じませんね」
「だろ? だから使わせる。タダで配って、良かったら誰かに話してもらう」
「それで戻ってくる保証は?」
「ない」
「買ってくれる保証は?」
「ない」
「じゃあ損するかもしれないじゃないですか」
「するかもな」
「平然と言わないでください」
リョウは笑った。
「タダじゃない」
「タダでしょう」
「人に喋ってもらうのを買ってるんだよ」
フェルが黙り、しばらくして紙袋を見る。
「……喋るのを、買う?」
「買えるなら安い方だ。使って良ければ、誰かに言いたくなるだろ」
リョウは通りを見た。昨日の配達員が、今日も同じ潰れた靴で走っていた。
「すみません、ちょっといいですか」
「急いでる」
「足、痛いでしょう」
「なんで分かるんだよ」
「歩き方です。これ、使ってみません?」
「何?」
「靴の中に敷くものです。タダでいいので」
「なんで?」
「感想が欲しいんです」
「怪しいな」
「自覚はあります」
配達員はフェルを見た。
「毒とか入ってない?」
「入ってません!」
フェルが勢いよく一組取り出し、その場で曲げて見せる。
「防腐処理済みのスライム素材を薄い革で挟んでいます。人体に害のある薬品は使っていません。私も毎日使っています」
「スライム?」
「スライムです」
「やっぱいい」
「待ってください!」
フェルが追いかけ、もう一度安全性を説明して、どうにか受け取ってもらった。少し離れたところでリョウは笑った。
「笑ってないで手伝ってください!」
「はいはい」
午前中に六組配った。配達員が三人、下級冒険者が二人、市場と倉庫を往復している少年が一人。午後に四組配り、全部なくなった。
「これで終わりですか?」
店へ戻る途中、フェルが空の紙袋を振った。
「今日はな」
「明日は?」
「待つ」
「何を?」
「客を」
一日目、誰も来なかった。二日目も誰も来ない。三日目、フェルが帳簿を見ながら言った。
「銅貨八十枚分、消えましたね」
「原価はもっと低い」
「売れば八十枚です」
「売れてなかっただろ」
「そういう言い方します?」
四日目の昼、店の扉が開いた。入ってきたのは、最初に声をかけた配達員だった。フェルが顔を上げる。リョウも作業中の紙から視線を上げた。
「いらっしゃいませ」
「あのさ」
配達員は店の中を見回し、棚の横に置かれた商品を見つけた。
「これ、もう一組売ってもらえないか?」
「もう壊れました?」
「違う。仕事靴がもう一足あるんだ。そっちにも入れたい」
フェルが一瞬止まった。
「銅貨八枚です」
「くれ」
早かった。配達員は銅貨を置き、商品を受け取る。リョウが聞いた。
「どうでした?」
「最初は気持ち悪かったけどな。夕方が全然違う」
配達員は片足を軽く上げた。
「いつも最後の方はかかとが痛くて歩くの嫌になるんだよ。昨日、一件多く回れた」
「一件?」
「ああ。だから八枚なら安い」
配達員は帰りかけ、扉のところで振り返った。
「あと、同じ仕事してる奴に話した。来るかもしれん」
「ありがとうございます」
「別に。お礼だ」
翌日、二人来た。その次の日には、下級冒険者が仲間を連れてきた。
「こいつが使ってるって聞いたんだけど」
「ありますよ」
「ほんとに足楽になる?」
「人によります」
「そこは絶対って言わないんだな」
「絶対って言う店からは買わない方がいいですよ」
隣でフェルが頷いていた。一週間も経つ頃には、店先でスライム・ステップを尋ねる人間が途切れなくなっていた。列ができるほどではない。話だけ聞いて帰る客もいるし、手に取ってから迷う客もいる。
「一組くれ」
「俺も」
「小さい靴用ある?」
「切れば合わせられます」
「子供でも使える?」
「靴を持ってきてもらえれば合わせますよ」
フェルが接客し、リョウは奥で在庫を数えた。作った分が減り、また作り、また減る。
夕方、見覚えのある男が店へ来た。数日前に買っていった荷運び人だった。
「もう壊れました?」
「違う違う」
男は笑った。
「礼言っとこうと思ってな」
「礼?」
「ああ。仕事終わったあと、いつも足が痛くてさ。家帰ったら座ったまま動きたくなかったんだよ」
少し照れくさそうに頭を掻く。
「昨日、久しぶりに娘を抱っこしてやれた」
リョウの手が止まった。在庫を数えるために持っていた木札を、指先で挟んだまま。
「重くなってたわ、あいつ」
男は笑い、それだけ言って帰っていった。扉が閉まる。フェルは何も言わなかった。リョウも、しばらく在庫表を見ていた。このまま売れるなら、次は作る方が追いつかなくなる。
「……次から、少し作り方を簡単にしよう」
「今、それ考えるんですか?」
「商売だからな」
「そうですか」
夜、店を閉めたあと、二人で売上を数えた。銅貨を何枚かずつ積んでいく。フェルが一つの山を指で整えながら言った。
「リョウさんって、すごいですね」
「何が?」
「人の困ってることを見つけるのが」
リョウは銅貨を数えたまま答えた。
「金の匂いに敏感なだけだ」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
フェルは何も言わなかった。横を見ると笑っていたので、リョウはすぐ帳簿へ視線を戻した。
「三十二、三十三……」
「数え直しですか?」
「話しかけるからだろ」
「私のせいなんですね」
「会計中の雑談は事故の元」
「さっきまで普通に話してましたけど」
「今は会計中だ。宿の夕食に間に合わなくなる」
「便利ですね、その理屈」
銅貨を最初から積み直す。
フェルはまだ笑っていた。
第3話までお読みいただき、本当にありがとうございました。
まずはここまでの初期3話連続更新にお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
「前世の商才で成り上がる展開が爽快!」「続きが気になる!」「リョウの相棒の行く末を見守りたい!」と少しでも思っていただけましたら、画面下にある【ブックマークに追加】や、評価をタップして応援していただけると、ランキング上位への大きな後押しとなり、今後の毎日の執筆の最大の励みになります。
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