第2話 スライムの使い道と、借金まみれのエルフ
第1話に引き続いてお読みいただき、ありがとうございます!
第2話では、最初のパートナーとなるエルフの薬師・フェルとの出会い、そして前世の知識を活かした最初の商売が動き出します。
どうぞお楽しみください!
市場に入って一時間で、革袋から銅貨が三枚消えた。
一枚は焼いた腸詰め、二枚は情報だ。腸詰めは塩辛く皮も硬かったが、人の流れを眺めながら食べるには都合がよかった。
朝から食料品の通りに人が集まり、武器屋は客数が少ない代わりに滞在が長く、薬屋には冒険者がよく入る。昼前になれば荷運び人が酒場の裏手へ集まり始めた。残りの銅貨二枚は、露店の親父に払った。
「この辺で一番景気がいいのは?」
「冒険者ギルドだな」
「逆に、余って困ってるものは?」
「そんなもん聞いてどうすんだ?」
「買うかもしれない」
そう言うと、親父は少し考えてから市場の裏を指した。
「魔物のクズなら、いつでも余ってるぞ」
行ってみると、本当に余っていた。角の欠けた甲虫の殻、傷んだ獣皮、用途のない骨。その横に置かれた桶の中で、半透明の塊が朝日に照らされている。
「スライムか」
街道脇で冒険者が叩き潰しているのを昨日見た。魔物としてはかなり弱いらしく、討伐証明になる核や一部の素材を取った後は、ほとんど捨てられるらしい。作業中の男が、桶へ新しい粘液を放り込んだ。
「それ、売り物ですか?」
「欲しけりゃ持ってけ。桶は返せよ」
「タダ?」
「処分するにも金がかかるんだ。持ってってくれるならありがてえ」
しゃがみ込み、落ちていた木片で粘液を押した。ぐに、と沈んで、ゆっくり形が戻る。もう一度押しても同じだった。弾力がある。
「腐ります?」
「ほっときゃな。あと臭くなるぞ」
「何日くらいで?」
「知らねえよ。そんなもん数えてる奴がいるか」
「それもそうか」
立ち上がる。タダなら、失敗しても痛くない。桶の場所だけ覚えておいた。
市場へ戻り、今度は薬屋を見て回った。大通りの店はどこも客が多い。傷薬、解毒薬、虫除け、疲労に効くという薬まである。値段を三軒分見比べたところで、一本裏の通りへ入った。そこで、客の怒鳴り声が聞こえた。
「だから高いって言ってるんだよ!」
小さな店だった。軒先の看板には、杖と薬瓶を組み合わせたような紋章が描かれている。窓際には色の違う薬瓶が並び、扉の横には『高級治癒薬 銀貨十五枚』と書かれた札が出ていた。
「隣の店は十二枚だぞ?」
「こちらのほうが純度が三パーセント高いです」
「三パーセントに銀貨三枚払えるか!」
店の中で、革鎧の客と若い女が向かい合っていた。女は長い耳を持っている。エルフだ。さっき、果物屋の親父と揉めていた女だった。
あの時は耳ばかり見ていたが、かなり整った顔立ちをしている。一瞬だけ足が止まり、妙に背筋が固くなった。客が瓶を戻し、そのまま店を出ていった。
「商売する気あんのか」
すれ違いざまに吐き捨てられたが、それより値札の方が気になった。銀貨十五枚。そちらなら気にせず見られる。店内が静かになる。
エルフは閉まった扉を見たあと、値札を見た。それから薬瓶を見る。値札は直さなかった。そのまま店へ入る。
「いらっしゃいませ」
声はちゃんと営業用だったが、さっきより少しだけ元気がない。棚には薬瓶がきれいに並び、ほこりもない。作業台には磨かれた器具が置かれている。商品の種類も多い。悪い店には見えない。客がいないことを除けば。
「さっきの薬、三パーセント違うと何が変わるんです?」
「治癒速度が少し上がります。傷の塞がり方も安定します」
「普通の冒険者に分かるくらい?」
「……重傷なら」
「軽傷だと?」
「ほとんど分からないかもしれません」
「じゃあ銀貨三枚は払わないでしょうね」
「あなたまで何なんですか」
じろりと見られた。反射的に目をそらしかけ、棚の薬へ視線を移す。
「いや、商品が悪いとは言ってません。むしろ逆です。……これ、仕入れにいくら使ってます?」
「いい薬を作るのは当然でしょう」
「当然ですけど、客が求めてる以上の品質を作って、その分を値札に乗せたら買われない」
「品質を落とせと言うんですか?」
「落とすんじゃなくて、客に合わせる」
「嫌です」
早かった。少し笑いそうになる。棚の端に、仕入れ先らしい紙束が置かれていた。何枚かには赤い印が押されている。床の隅には空になった薬草箱。
作業台の炉は使い込まれているのに、店頭の商品はほとんど減っていない。売れていないのに、作っている。一番まずいやつだ。
「ひょっとして借金あります?」
「なっ」
エルフの耳がぴんと立った。
「い、いきなり何ですか!」
「あるんですね」
「ありません」
「じゃあ、あの赤い紙は?」
「……支払い予定表です」
「期限を過ぎた?」
「予定表です」
「何枚?」
「帰ってください」
数字は教えてくれなかった。ただ、否定の仕方で十分だった。腕はありそうだ。金には困っている。しかも錬金術師。都合がよすぎる。リョウは赤い紙から目をそらした。さすがに少し感じが悪い。
「何か買うんですか?」
「ああ、いや」
「買わないなら、本当に帰ってください」
「その前に一つ」
言いかけて止まった。エルフが片足へ体重を移している。さっきから何度かやっていた。左、右、また左。話している間も、つま先をわずかに浮かせている。
「足、痛いんですか?」
顔から険が消えた。
「……どうして?」
「さっきから立ち方が変わってる」
彼女は少し迷ったあと、作業台へ手をついた。
「立ち仕事なので。最近ちょっと」
履いているのは丈夫そうな革靴だったが、底が薄い。少し歩くくらいなら問題ないだろうが、一日立ち続けるには硬すぎる。
「靴、見せてもらえます?」
「嫌です」
「ですよね」
今度こそ帰らされそうになり、店の外を見る。ちょうど荷運び人が重い木箱を担いで通りを歩いていた。その靴も似たようなものだ。
向かいでは冒険者が壁に寄りかかり、片足ずつ靴を脱いでいる。今朝見た粘液を思い出した。押せば沈む。離せば戻る。
「スライムの粘液、加工できます?」
「……は? スライム?」
エルフが眉をひそめた。
「加工です。腐らなくできます?」
「防腐処理なら、まあ……できますけど」
「臭いは?」
「消せます」
「ベタつきを抑えて、弾力だけ残せますか」
「固着剤を混ぜれば抑えられますけど……何に使うんです?」
彼女の足元を指した。
「そこに」
「……靴?」
「靴の中に敷こうかと」
「スライムを踏むんですか?」
「加工したやつです」
「気持ち悪くないですか?」
「見えなくすればいい」
「でも、靴の中にスライムが」
「だから見えなくします」
まだ納得していない。靴を見ながら続けた。
「今、痛いんでしょう?」
「……まあ」
「痛くなくなるなら?」
長い耳が少しだけ動いた。
「試してみません?」
「どうして私が」
「加工できるんでしょう?」
「できます」
「材料はタダで手に入る。試作に必要な分は俺が取ってくる。うまくいったら売って、利益を分ける」
「あなた、何者なんですか?」
そこで初めて、名乗っていないことに気づいた。前世なら名刺を出せば済んだが、今は会社も役職もない。
「リョウ」
「それだけ?」
「今はそれだけ」
自分で言って、少し寂しい肩書だった。エルフは不思議そうにしたあと、小さく息を吐いた。
「私はフェルです。ここの店主です。一応」
「一応?」
「そこは拾わなくていいです」
フェルは店の奥へ視線をやってから、もう一度リョウを見る。
「では、リョウさん。私はまだ、これが売れるとは思ってません」
「俺もまだですね」
「さっき需要があるみたいな顔をしてました」
「顔でそこまで分かります?」
「さっきから人の足ばっかり見てるので」
「商売のためです」
「はいはい」
信用されていない。それでもフェルは店の奥から小さな桶を出した。
「材料、取ってくるんでしょう?」
「話が早いですね」
夕方、最初の試作品ができた。
「……臭いです」
「処理前よりはかなりましです。処理前が死体みたいな臭いなんですよ」
「比較対象がダメですね。」
二つ目は臭いこそ消えたが、柔らかすぎて靴に入れた途端、端からどろりと粘液がはみ出した。
「靴!」
「足じゃなくて靴の心配ですか!」
「借り物なんです、その靴!」
「そこ!?」
三つ目は固めすぎた。踏んでもびくともしない。
「ただの板ですね」
「スライムで作った板です」
「余計に意味がない」
四つ目はかなりよかった。弾力もある。臭いもない。靴の中にも収まる。リョウが試しに歩いた。一歩。ぶにゅ。二歩。ぶにゅ。三歩。ぶにゅ。
「……音ですね」
「音ですね」
「性能は悪くないんですけど」
「歩くたびにこれ鳴ったら、冒険者は廃業ですね」
五つ目は音を消した。代わりに表面がやたらと滑った。店の端から端まで歩き、戻ろうとしたところで足を取られた。踏ん張ろうとして、さらに滑る。そのまま棚へ突っ込んだ。
「リョウさん!」
「瓶!」
フェルが棚を押さえ、リョウは床に尻をついた。薬瓶が二本揺れ、どうにか止まる。二人でしばらくそれを見上げた。
「……危ないですね」
「俺の心配?」
「店が」
「そうですか」
結局、宿の夕食には間に合わなかった。
試作は翌日も続いた。スライムの量を減らし、繊維を混ぜ、表面を薄い革で挟む。リョウは材料費と加工時間を紙の端に書き、フェルは配合を変えるたび細かな数字を書き足した。
昼を過ぎた頃、フェルが顔を近づけて配合表をのぞき込んでいた。昨日ならたぶん固まっていた。今は試作品の厚みの方が気になる。
「あと二割薄くできる?」
「できますけど、耐久性が落ちます」
「何日持つ?」
「今の配合なら毎日使って三か月。薄くすると二か月くらいですね」
「十分かと。靴より先に壊れなきゃいい」
「壊れる前提なんですか?」
「消耗品でしょう」
「長く使えた方が親切では?」
「長く使える方も作ればいい。安い方と高い方、二種類にしよう」
「また品質を落とす話ですか」
「必要な分を選べるようにする話です」
まだ少し不満そうだったが、今度は嫌だとは言わなかった。日が落ちる頃、七つ目の試作品ができた。薄い革の間に処理したスライム素材を挟み、靴底の形に切ったものだった。
押すと適度に沈み、手を離せば戻る。臭いもない。曲げても割れない。リョウがしばらく試したあと、フェルへ渡した。
「入れてみて」
「本当に?」
「そのために作ったんだから」
フェルは椅子へ座り、自分の靴の中へ試作品を敷いた。立ち上がる。一歩、二歩。そこで止まった。リョウは何も言わずに待った。
もう一歩進み、そのまま店の奥まで歩いていく。棚の前で向きを変え、戻ってきた。今度は少し速い。
「どう?」
返事はない。もう一度往復する。
「……痛くない」
声が小さかった。そのまま足踏みをする。かかとを上げ、つま先を動かし、また歩く。
「痛く、ない……」
今度は笑った。店に入ってから初めて見る笑い方だった。リョウは試作記録へ伸ばしかけた手を止めた。フェルはまだ店の中を歩いている。さっきまで何度も片足へ逃がしていた体重が、今は左右へまっすぐ乗っていた。
「これ、すごいです」
「……滑らない?」
「滑りません」
「音は?」
フェルはもう一度強めに足を踏み込んだ。音は鳴らない。
「しません。臭いもしない」
リョウは小さく息を吐いた。
「売れるな、これ」
フェルが足元を見たまま笑う。
「はい。きっと」
リョウは試作記録を引き寄せ、材料費の欄に数字を書いた。
スライム粘液――ほぼゼロ。その横に、少し大きく丸をつけた。
第2話をお読みいただき、ありがとうございました。
「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
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