第25話 万物の真理(サイズじゃない、持続力だ)
火の粉が舞い散るカーナの鍛冶場は、むせ返るような鉄と熱気の匂いに満ちていた。
轟々と音を立てて燃え盛る炉の前で、金敷を叩く重い音が幾重にも重なって響いている。
その一角で、煤まみれになった若い徒弟が一人、壁に背を預けてへたり込んでいた。
腕をだらりと垂らし、肩で荒い息を吐いている。連日の注文に追われ、大槌を振り続けたせいで完全に腕が上がらなくなっている様子だった。
リョウは手のひらに収まる茶色い小瓶を三本携え、土間を踏みしめて入っていった。
「おい、商人。何の用だ? 浄水ドロップの容器なら、さっき納めたばかりだろ」
作業台で火箸を置いていたカーナが、額の汗を腕で乱暴に拭いながら振り返った。
リョウは言葉を返さず、へたり込んでいる若い徒弟の前まで歩み寄ると、小瓶の一本のコルク栓を親指で跳ね上げた。
ふわりと、柑橘の爽やかな香りと、奥に潜むかすかな生薬の刺激臭が漂う。
「おい若いの、これを一気に飲んでみろ」
「え……? で、でも、俺、金なんて……」
「試飲だ。代金はいらない」
怪訝そうに顔を見合わせる徒弟に、カーナが眉を吊り上げて割って入った。
「おい商人、変な薬を弟子に飲ませる気じゃないだろうな? 今朝の真っ赤な顔の元凶だろ、それ」
「毒ならただで配らない。即効性の疲労回復シロップだ」
リョウが平然と言い放つと、疲労困憊だった徒弟は喉の渇きに耐えかねたのか、恐る恐る小瓶を受け取って口元へ運んだ。
躊躇いがちに傾け、一気に喉の奥へ流し込む。
次の瞬間、徒弟の目がカッと見開かれた。
「……っ!?」
「どうだ」
「う、うまい……! 柑橘の酸味で甘くて、そのあと、喉の奥がカッと熱くなって……!」
徒弟は自分の両手を驚いたように見つめた。
だらりと垂れていた肩がぐっと持ち上がり、荒かった呼吸が瞬く間に整っていく。
血流が力強く腕の先まで巡り、鉛のように重かった筋肉の張りが、嘘のように軽くなっていた。
「す、すごい……肩が軽い! 手の震えが止まりました親方! 俺、もう一本打てます!」
徒弟は跳ね起きるように立ち上がると、壁際に立てかけてあった大槌を軽々と掴み、再び炉の前へと駆け戻っていった。
カーナは呆気にとられたように弟子の背中を見送り、それからリョウの手元にある残りの小瓶を奪い取った。
コルクを抜き、親指の腹に一滴垂らして舌先で舐める。
数秒後、カーナの琥珀色の瞳が見開かれた。
「……おい、なんだこれ。心臓が跳ねたぞ。頭の奥の霞が吹き飛んだ……徹夜の焼き入れでも手元が狂わねえな、これ。おい商人、いくらだ」
「一本、銅貨八枚だ」
「買いだ。三十本、今すぐうちの工房へ回せ」
カーナは即答し、腰の革袋から銀貨十二枚を叩きつけるようにリョウの手のひらへ乗せた。
「ちょうど納期前の追い込みで、職人がバタバタ倒れかけてたところなんだよ。銅貨八枚で仕事が一本多く仕上がるなら、安すぎるくらいだ」
「毎度あり。夕方までにフェルに届けさせる」
リョウは硬貨を懐に収め、踵を返した。
その足で、リョウは西門の詰所へと向かった。
非番のはずのルイーナが、部下の書類整理に追われて渋い顔をしているのを見つけ、最後の一本を差し出した。
一口飲んだルイーナは、驚愕に青い瞳を細め、次の瞬間には背筋を鋼のように伸ばしていた。
「……夜間警備の兵は、深夜の冷え込みと眠気で集中力を削がれる。これがあれば巡回の手落ちが防げるな。詰所で五十本、一括で買い取ろう」
――それから、わずか三日後。
夕暮れ時の薬師工房で、リョウは作業机の上に分厚い元帳を開いていた。
カーナの鍛冶場へ三十本。
騎士団詰所へ五十本。
合計八十本の『気力回復シロップ』は、納品から瞬く間に現場で消費され、完売していた。
一本の販売価格は銅貨八枚。
原料原価は銅貨三枚。
一本当たりの粗利は銅貨五枚。
八十本で得られた粗利は、銅貨四百枚――銀貨にして、きっちり二十枚分だった。
リョウは棚の奥から、あの『研究費』と書かれた革袋を取り出した。
数日前、竜根草の仕入れ代として袋から消えた銀貨十枚。
リョウは机の上に積まれた真新しい銀貨から、まず十枚を革袋の中へと戻した。
ジャラリ、と重い音が響く。
失われた研究費は、わずか三日で完全に補填された。
さらに、手元には手付かずの銀貨十枚が残っていた。
「……純利益、銀貨十枚か」
投じた資本が、倍になって戻ってきた計算になる。
リョウは満足げに息を吐き、帳簿をぱたんと閉じた。
そして、椅子に深く腰掛けながら、何気ない手つきで下腹部をそっと擦った。
「……サイズじゃない、持続力だ。いくらデカくても、すぐ息切れしたら意味がないからな」
作業台で乾燥生薬を刻んでいたフェルが、手を止めて不思議そうに首を傾げた。
「リョウさん、何の話ですか?」
「……商売の持続可能性の話だ」
リョウは営業用の真顔を完璧に保ったまま答えた。
だが、その内心では、手元の銀貨を睨みつけながら激しい悪態をついていた。
(――いや、あっちはサイズも持続力も両方欲しいに決まってるだろ!)
男の悲願は一ミリも前進していなかったが、商売の懐事情だけは着実に肥え太っていた。
膨らんだ革袋の重みだけが、男の折れない執念を静かに証明していた。




