第22話 試作一号『竜根液』の悲劇
夕方、フェルが作業台の上に遮光硝子の小瓶をことりと置いた。
黒みがかった琥珀色の液体は、小瓶の中で水あめのように重たく揺れていた。光にかざすと、底の方で細かな繊維質の沈殿が微かに渦を巻いている。
栓を抜く前から、生薬特有のツンとした刺激臭と、どこか土の匂いが混ざった濃厚な香りが鼻をついた。
「……できたのか」
「できましたけど、二度とやりたくありません」
フェルは調合用の耐熱ビーカーを洗い桶に放り込み、手首を擦りながらため息をついた。
「竜根草の根皮をアルコールに漬けて、湯煎で六時間煮詰めて、仕上げに精製したスライム核油を乳化させました。父のノート通りですけど、油の温度管理がシビアすぎて目がかすみます」
「見た目からして効きそうだ」
「効く効かない以前に、粘膜への刺激が強すぎます。味見で舌の先につけただけで、三十分くらい痺れが取れませんでしたからね。本当に飲むんですか?」
「当たり前だ。そのための先行投資だ」
リョウは小瓶を胸ポケットに滑り込ませた。硝子越しに伝わってくる液体は、室温の冷たさとは裏腹に、どこか得体の知れない熱を孕んでいるように感じられた。
「変な症状が出たら、すぐ呼んでくださいね。解毒用の薬草茶くらいなら煎じられますから」
「心配するな。俺の肝臓は前世の接待で鍛え抜かれてる」
「前世って何ですか」
フェルの呆れ声を背中で聞き流し、リョウは二階への階段を上がった。
深夜、自室のランプに火を灯し、リョウは服を脱ぎ捨てた。
机の上に置いた遮光小瓶の封蝋を爪先で削り落とし、コルク栓を引き抜く。部屋中に、喉の奥がチリつくような濃厚な薬草香が広がった。
リョウは下腹部に一度だけ視線を落とし、それから覚悟を決めて小瓶を口元へ運んだ。
「……頼むぞ、銀貨十枚」
瓶を傾け、一気に煽る。
舌の上に落ちた瞬間、強烈な苦味と焼けるような辛味が口腔全体を焼き尽くした。泥と唐辛子を煮詰めて固めたような不快感が喉を通り過ぎていく。
胃の腑へ到達した瞬間、カッと腹の底で炭火が爆ぜたような熱気が炸裂した。
「ぐ……っ!」
思わず机の縁に手をつき、荒い息を吐く。食道から胃袋にかけて、熱湯を流し込まれたような感覚が駆け巡る。
だがその直後、ドクン、と心臓がひときわ大きく脈打った。全身を巡っていた血流が、猛烈な勢いで腹部――下腹部へと集まり始める。
血管が拡張し、皮膚の表面が熱を帯びていく確かな手応えがあった。
(……キタか!?)
リョウは息を呑み、胸の前で固く拳を握り締めた。
銀貨十枚は無駄ではなかった。前世の科学すら超える、これが異世界の錬金術の力だ。
熱狂と興奮に包まれながら、リョウはベッドに倒れ込み、薄い毛布を頭から被った。朝が来れば、すべてが変わっているはずだった。
目が覚めたのは、夜明け前だった。
薄い毛布をめくる。祈るように息を止める。引き出しの奥を探し、あの細い麻紐を当てる。爪で位置を押さえる。
一回目。沈黙。もう一度測る。さらに沈黙。念のため三回目。
窓の外で、鳥が元気よく鳴いた。一羽くらい黙れと思った。
「……変わってない」
きっちり半分のままだった。あの時と一ミリも変わっていなかった。神も女神も謝罪担当も現れなかった。
「…………」
リョウは麻紐を握り締めたまま、乾いた天井を見上げた。
悔しさすら湧かない。銀貨十枚が文字通り泡となって消えた。
だが、沈黙の中で呆然と横たわっていたリョウは、ふと自分の身体に起きている決定的な異常に気がついた。
(……待て)
室内はまだ薄暗い。窓の外の空は群青色で、朝の光すら差し込んでいない。
枕元の水時計を確認する。午前五時。昨夜、あの激痛のような熱気のなかで眠りについたのは午前三時過ぎだったはずだ。
睡眠時間は、わずか二時間足らず。
それなのに、頭痛が一つもない。関節のきしみも、まぶたの重さも、朝特有のだるさも一切存在しなかった。
それどころか、視界の隅々までが異様なほど鮮明に見える。眼球の奥がギンギンに冴え渡り、耳の奥では血液が濁流のように力強く巡る音が聞こえていた。
指先を動かしてみる。筋肉がゴム毬のように張っており、全身の毛穴という毛穴から蒸気が噴き出しそうなほどの衝動が湧き上がっていた。
疲労感が、完全にゼロだった。
「……何だ、これ?」
リョウはベッドから跳ね起きた。
足が床に着いた瞬間、まるで羽が生えたように身体が軽い。心臓は規則正しく、かつ恐ろしいほどのトルクで全身に熱を送り続けていた。
下腹部は慎ましい寸法のままだったが、それ以外の全身が、今すぐ熊と素手で殴り合えるほどの異常な覚醒状態に突入していた。
男の悲願は、どうしようもない怪物を呼び覚ましていた。




