第20話 任せた方が儲かる
作業台の端には、真鍮の小筒が十本、整然と並べられていた。
表面にはカーナの手によって、底に沈殿が溜まった丸印と、もやが浮いたバツ印が、小さな鏨で鮮明に打ち込まれている。文字の読めない冒険者でも、一目見れば安全かどうかが直感で伝わる意匠だ。
「販売価格、銀貨四枚で出すよ」
リョウが帳簿に太字で書き入れると、隣でガラス瓶に試薬を詰めていたフェルが目を丸くした。
「四枚ですか? 容器の真鍮代とカーナさんへの加工費、それに私の試薬代を合わせると、原価だけで銀貨二枚近くかかっていますよ。利益が出にくくありませんか?」
「一回ごとの原価で見れば、客にとっては破格の安さになる。それに――」
リョウが言いかけたところで、工房の扉が勢いよく蹴破るように開いた。
「おい、追加の容器を持ってきたぞ」
道具袋を肩に担いだカーナが、無造作に真鍮筒の束を作業台へ放り出した。カチャリと金属同士がぶつかり合う乾いた音が響く。
「言っとくが、預かった原液に浸けた板も変色も腐食も起きてねえから安心しろ。内側の加工はこれで完璧だ」
「カーナ、これ……前のやつと少し形が違わないか?」
リョウが手に取ると、筒の先端――真鍮の注ぎ口が、以前の試作品よりもわずかに細く絞られていた。
「気づいたか。注ぎ口の真鍮管を、内径コンマ二ミリ細いのに打ち直したんだよ。前のままだと、少し手の震えた不器用な奴が押した時に二滴分出ちまう可能性があったからな。これなら誰がどう押しても、極小の一滴しか出ねえ」
カーナは頼まれてもいない改良を、さも当然のことのように胸を張って言い放った。
リョウは筒を逆さに傾け、試薬を一滴小皿へ落としてみた。落ちた液滴は、以前の半分近い大きさだった。
すかさずリョウの頭の中で、数字が音を立てて組み替わっていく。
(……液滴が小さくなった。ということは、一本あたりの使用回数が三十回分から、四十回分に跳ね上がる)
銀貨四枚で四十回使える。一回あたり銅貨一枚。冒険者が酒場で飲む安酒一杯の半額以下だ。
客にとっては圧倒的なコストパフォーマンスになり、こちらにとっては原価を変えずに「四十回使える」という強烈な宣伝文句が手に入ったことになる。結果として回転率が上がり、粗利の総額は確実に増える。
「……カーナ、本当にいい腕してるな」
「気色の悪い褒め方すんな。工賃はきっちり一本あたり銅貨三枚分上乗せしてあるからな」
カーナは鼻を鳴らし、道具袋を直してさっさと踵を返した。
昼前になると、ギルドの掲示板で噂を聞きつけた冒険者が工房へやってきた。日焼けした肌に革鎧を着込んだ、中堅の槍使いだ。
「おい、水に入れる薬があるって聞いたんだが、これか?」
「はい。『浄水ドロップ』です。井戸水や澄んだ小川の水なら、一滴垂らして一分待つだけで泥や濁りを底に沈めます。四十回使えて銀貨四枚です」
「四十回も使えるのか。そいつは安いな」
男は真鍮の容器を物珍しそうに手に取り、親指で転がした。
「なあ、これ……北の森の奥を流れてる黒岩川でも使えるか? あそこは魔物の縄張りで水場が少なくてな。あそこの水が飲めるなら今すぐ買いたいんだが」
以前のリョウなら、客を逃すまいと曖昧に頷くか、机の上で配合を思い出して頭を悩ませていただろう。
だが、リョウは一秒も迷わずに首を横に振った。
「黒岩川の水はまだ試していません。使わないでください」
「……は?」
男は拍子抜けしたように目を丸くした。
「使えないのか?」
「使えないのではなく、安全かどうかが俺たちにも分からないんです。その川の水が薬に反応するかどうか、来週、騎士団のルイーナさんが北の演習で実際に試してきてくれます。その結果が出るまでは、絶対に売れません」
男はぽかんと口を開け、それから可笑しそうに吹き出した。
「……普通、商人なら『大丈夫だ、飲める』って嘘ついてでも売りつけるもんだろ。客に『使うな』なんて言う奴、初めて見たぞ」
「嘘ついて飲まれて、あんたが川のほとりで腹壊して死んだら、うちの商売が潰れますからね」
リョウが淡然と答えると、男は真鍮筒を作業台へ戻し、革袋から銀貨を二枚取り出して台の上に置いた。
「気に入ったよ。絶対大丈夫なんてほざく怪しい薬売りより、よっぽど信用できる。手付金だ。そのルイーナって騎士の試験が終わったら、俺の分を一本取り置きしておいてくれ」
「まいど。確実に結果をお伝えします」
男が満足そうに出ていくのを見届け、リョウは手付金の銀貨を帳簿の横へ滑り込ませた。
昼過ぎには、非番のルイーナが詰所の書類を届けたついでに工房へ顔を出した。
「来週の遠征先が決まった。北の黒岩川の流域だ。水筒を三本持っていく。上流、中流、下流でそれぞれ採取してドロップを試そう」
「助かる。ちょうどその川の水で試してほしいと言っていた客がいたんだ」
「そうか。兵の安全確認も兼ねて、厳密に見てくる」
ルイーナは短く告げると、手持ち無沙汰そうに棚の清髪粉の並びを一瞬だけ見て、すぐに背筋を伸ばして去っていった。
作業台の奥では、フェルがルイーナの持ち帰るであろう水サンプルに備え、新しい試薬の配合をテキパキと進めている。調合台には検証済みのデータと手順が、整然とした文字でまとめられていた。
夕暮れ時、工房の中が静まり返ったところで、リョウは帳簿を閉じた。
真鍮筒の初期ロット十本は、予約も含めてその日のうちに完売していた。原価計算も、販売価格も、現場の安全基準も、何一つ破綻していない。
リョウ自身は、一滴の薬品も調合していないし、一片の金属も叩いていない。遠征の泥水に手をつっこんだわけでもない。
それぞれが自分の領分で腕を振るい、頼んでもいない改善を重ね、いつの間にか信用を積み上げていた。
リョウは作業台の縁に腰を掛け、煙草代わりに咥えた細い木片を転がした。
前世では、数百人規模の社員を抱える大企業を率いることこそが力だと思っていた。資本の大きさ、人員の多さ、組織の規模――デカいことこそが正義で、すべてを自分の支配下に置かなければ気が済まなかった。
だが今、この薄暗い路地裏の工房で回っているのは、自分を含めてたった四人の小さなチームだ。
「……任せた方が儲かるな。デカけりゃいいってもんじゃない」
呟きながら、リョウは無意識に下腹部へ手を伸ばしかけ――ハッとして慌てて手を引っ込めた。
(いや、あっちはデカい方がいいに決まってるが)
「リョウさん?」
調合台で器具を洗っていたフェルが、不思議そうにこちらを振り返った。
「何がデカいんですか?」
「……組織の話だ」
「組織?」
フェルは怪訝そうに首を傾げ、それ以上は追及せずに布巾でビーカーを拭いた。
「よく分かりませんけど、儲かったならよかったです」
リョウは誤魔化すように咳払いをし、売上の中から銀貨を二枚抜き取った。
棚の奥にある小さな革袋――『研究費』と墨で書かれた袋の紐を解き、チャリンと音を立てて滑り込ませる。
今月は真鍮の容器代に思いのほか金がかかった。それでも、袋はずっしりと、前世よりも確かな重みを増していた。
リョウは袋の口を固く縛り、誰にも見えない棚の最奥へ、押し込むようにして戻した。




