忘れ去られた博物館 2
一人になった女性――魔女は展示室へと続く広い通路を通り、この博物館の入口である場所までやって来た。誰も来るはずがないのだが、今日の例がある。だから戸締りを確認して、向かったのはその通路の途中にある階段。階段は地下に向かって伸びており、手を伸ばした先すら見えないその闇の中を、魔女は杖を持って進む。
魔女が杖を振ると、杖の先から光の蝶が羽化して階段を照らしながら先を進む。
そうやってやって来たのは小さな部屋だった。
部屋の半分がテーブルになっており、もう半分に椅子とベッドのある簡素な部屋。ただ、テーブルの上は物で溢れかえっており、テーブルというより物置になっていた。
「天球儀……」
その中の一つ。テーブルのスペースを無理やり空けて置かれたそれは、中心に球があり、いくつかの円環がその球を囲っている物だ。しかし今はバラバラになっており、天球儀としての役目を果たすことができない状態であった。
「星という文字だけは読めるのか……厄介なヤツだ」
杖を軽く一振り、それだけでバラバラになっていた天球儀は元の姿を取り戻す。
直すのは簡単だ。ただ、もう一度展示したとて、少女はまた触るだろう。
ここで過ごすのなら、そこから教えなければならない。ここから出るつもりが無いのなら、時間は飽きる程ある。焦ることは無い。
魔女はベッドから毛布を一枚掴み、来た道を戻る。コツコツコツと、足音を反響させながら歩く。誰も来ないのだが、一応閉館時間はとっくに過ぎている。そんな薄暗い、閉館後の館内に戻る。
光の蝶がいなくなっても、ガラスドームから星の光が降り注ぐ。そんな宙を、少女は床に寝そべって眺めていた。
「ほら、毛布だ」
「ふあっ——なんか落ち着く匂い……」
「匂いを嗅ぐな。あと毛布を敷こうとするな」
少女は顔にかかった毛布を床に敷いてその上に寝ようとしていた。
魔女の言葉に、少女は頬を膨らまして言う。
「背中痛いんですよ。あと枕ありませんか?」
「なぜそこまで図々しくいられるんだ」
「いや、館長ならなんやかんやで用意してくれると」
「なら用意しない」
「ほらぁ! 用意してくれるつもりだったじゃないですか!」
「調子に乗るな」
「あいてっ」
少女の額を軽く杖で突っつく魔女。少女は額を押さえて、床に敷いた毛布の上に寝転ぶ。
「結局寝るのか」
これは敷布団を用意しないことにはどうにもならないなと察した魔女はため息をつくだけにした。そして、少女の傍らに座り込み、宙を見上げる。
「おっ、館長も星見るんですね?」
「しばらくこうして見ていなかったからな」
「え~、もったいない」
「別に好きじゃないからなんとも思わん」
「それはわたしに喧嘩売ってるってことですね!」
「文字も読めないくせに口だけは達者だな」
「…………文字なんて、使いませんでしたから」
それっきり、少女は口を開かず魔女もなにも言わない。ただ二人で宙を眺める時間が過ぎる。
時計が時を刻む音も、虫の鳴き声も聞こえない。人の呼吸だけが規則正しく秒針代わりになる空間。
魔女は宙を見る少女の顔を覗き見る。
「なんですか?」
少女は仰向けに寝ている。そして魔女は座っている。魔女は覗き見たつもりでも、少女の視界にはバッチリと魔女の動きが見えた。
「こんなに長時間黙っていられるんだなと思ってな」
「よく今日会った人にそれ言えますね」
「お前が言うか?」
「あ~、綺麗だな~」
おい、と思ったが、久しぶりに眺める宙は確かに綺麗だった。
世界を眩く照らす太陽にはなれないが、星の光は優しく世界を照らす。圧倒的な一つの光ではなく、数多の光が形を作りながら煌めく。空が宙に変わっているこの時間、こうして誰かと話すのは何十年ぶりだろうか。
「——失ってから、あの時は良かったと気づいた。そして今、またあの時が戻ってきた。不思議だ、別にこの時間が良いとは思えない」
「なに言ってるのか分かんないですけど、失礼なこと言ってますよね」
「……すまん。今日はゆっくり休め」
そう言って、魔女は立ち上がりその場を後にする。その姿を見送った少女は、視線を宙に戻す。そして完全に気配が無くなったところで大きく息を吐いた。




