星降る博物館 8
暗い階段の先——ルーナは今夜もそこで過ごしている。実はヒマワリの隣の部屋はルーナの部屋だ。ただ、ルーナは昔からあの部屋で過ごすのは好きではなかった。
「やっぱり今でもここで寝てるんだね」
階段からの足音が聞こえなくなるのと同時に声が聞こえた。
「寝るのには向かないだろ、あの天井は」
椅子に座っていたルーナは横を見ずに、ある展示品を手に持ちながら答える。
「でも今は早起きを頑張ってるんでしょ?」
声の主——ヒマワリは座るルーナの後ろ。ベッドの上に腰掛ける。
「お前がいなくなったからな」
「うん……ごめんね、ルーナ」
「だったらもう……いや、アイツはどうした?」
言いたい言葉はあるが、それを今言ったところでだ。とりあえず、今はエミがこっちにやって来ないかの確認をする。
「星を眺めているよ。あの子、本っ当に星が好きなんだね。ルーナがエミって名前を付けた意味が分かったよ」
「お前は見なくてもいいのか?」
「うん。さっきまで二人で喋りながら見ていたんだけどね。ルーナが寂しがっているかなって」
からかっている声音ではない、本気でルーナを想う声音。そういう声音で言われるとルーナも素直に言葉が出てしまう。
「寂しかったさ。この八十三年間」
横顔を見せて、そう呟くルーナの顔は心からの笑みが浮かんでいた。ヒマワリが無事に帰ってきたという安堵を今噛みしめている。
ルーナという名の由来。それはヒマワリが付けた名前。とある国の言葉で月を意味する言葉。日々満ちては欠ける美しい月の中で、ヒマワリは満月が一番美しいと思っている。
今浮かべているルーナの笑み。あまり笑わないルーナが笑った時、ふと頭に浮かんだのがその名前だった。
「今日は月が綺麗だね」
ヒマワリが手を広げて、穏やかに微笑む。しかしルーナは顔を背ける。
「大丈夫なのに」
立ち上がったヒマワリがルーナの背後に回る。そして後ろから優しく抱きしめる。夜空の色をした髪の毛がヒマワリの顔に当たる。この感触も、匂いも変わらない。どれだけ長い時間離れていても、なに一つ変わっていない。それがヒマワリに安心感をもたらす。
「もう……いなくならないのか?」
そのルーナの言葉は、この距離でなければ聞こえない。二人にしか聞こえない、二人だけの世界での言葉。
それに返す言葉も、この世界だけの言葉でなければならない。
「ならないよ」
「………………そうか」
カチャっと、音が鳴る。それと同時に、ヒマワリの右手首に冷たい感覚と僅かな重みが生まれた。
「ん?」
「だったら、一生私といてもらう。二度と、いなくならないでくれ」
「ちょっとルーナさん……?」
反射する光が少ないせいか、暗い瞳をしたルーナと目が合う。ヒマワリは自身の右手首を見たいのに、どうしてもルーナの目を見てしまう。
「お前がいなくなった時の私の気持ちを考えたことはあったか? 私がどんな気持ちでこの八十三年間生きていたか想像したことはあるか? もう生きていないと思っていた。百年待っても帰ってこないのなら私は自らの手でこの命を終わらせていた。本当に苦しかった。とても長くて、苦しい八十三年だった——」
「待って待って、落ち着いて……⁉ ね? 深呼吸、落ち着いて、ゆっくり息を吸って、吐いて、いたたたたたっ、大丈夫だから、爪が食い込んでるって」
慌ててルーナを離そうと、離れようとするが、そうすれば更に力は強まるばかり。今ルーナは自身の感情の蓋を開いた状態だ。それなら、それを塞ぐしかない。ルーナ自身が塞がないのなら、それを塞ぐのはヒマワリの役目だ。
「落ち着いて、僕はここにいるから。ね?」
再び二人の世界に入り、ヒマワリはルーナを包み込む。優しく耳元で囁けば、ルーナの呼吸が安定しだす。やがて首がガックリと下がり、力の無い笑い声が落ちる。
「ルーナ?」
「ごめん……」
力なく立ち上がり、ヒマワリに支えられながらルーナはベッドに横たわる。
毛布代わりにしていたローブは着たまま。左腕で目を隠しながら、右手はヒマワリの手を握っている。
それっきり会話は無い。ただ互いの呼吸だけが聞こえる時間。そんな時間が過ぎて、でも時間は分からない。部屋を照らす温かな光がふと消える。完全な暗闇。そんな中、ルーナのか細い声が聞こえた。
「いてくれ……」
ただの寝言か、それとも起きているのか。この暗闇では判別付かない。でも確かにそこにある手。見えなくても、その体温がそこでいる証明になる。
ヒマワリはルーナの手を両手で握り目を閉じる。
大好きな星が見られなくても、今こうしている夜が一番幸せだった。




