【第803話:お姫様の起こし方】
丁寧に因果を切られた。
姫ヴェスタはそう感じていた。
あのミレーヌという娘に悪意はないだろう。
その存在が大きくなるに連れ、ヴェスタに気付かれること無く、過去から視線をそらさせる。
それは悲しみを遠ざけ、明るい光へヴェスタの目を向けさせた。
同時にフィリアと共に学んだ、女神の教えから遠ざけるバイアスともなる。
(ヴェスタ‥‥わたくしの声はもう届かないのですか?)
にやりと向かいに座った女性士官に笑みを浮かべる、少しはしたないヴェスタにがっかりと眉を下げる姫ヴェスタ。
施設ではあれほどの悪意にさらされ続けてきたのに、ヴェスタは一度も悪意を返したことがなかった。
その資質を持ち、そう教わり、そのように生きてきたから。
この2年ですっかり姫としての教育から目をそらし、下々の娘のように暮らすヴェスタに危惧の目を向けていたのだ。
(今では大切な女神様の聖句すら忘れてしまっている‥‥フィリアがあれほど指導してくれたのに)
姫ヴェスタには、ヴェスタの周りで起こる物事が、全て一定の目的を持ってなされている様に見て取れる。
一歩頭上に引き、外からヴェスタを眺めているから。
(礼儀や礼節は一旦目をつぶりましょう‥‥ですが女神様の教えに反する思考までは認めかねます‥‥)
このヴェスタは怒りを持って友を守ろうとする。
それは本来ならば一般的な人間の、正しい反応だろう。
(そうならぬようようにと、フィリアに女神の教えを学んでいたのに‥‥)
あの施設を出てからヴェスタの周囲にある状況は、そういった教えを潜め、より人間らしい反応を引き出すために準備されたかのようだった。
言葉ではなく心で受け取っていた姫ヴェスタの声に、今では全く目を向けなくなってしまった。
(これは‥‥良い事なのでしょうか‥‥)
姫ヴェスタは賢者の企みなど知らず、ただヴェスタの先行きを案じ瞳を伏せるのだった。
ジュノとアイカはヴェスタの過去を追体験するように後を追う。
その記録の中には、ヴェスタ本人だけでなく、解離によって生まれた姫ヴェスタの姿までも保存されている。
ここに残っているのは、ヴェスタの見ていた過去ではない。
世界そのものを記録したような、第三者の視点だった。
あともう少しでジュノと巡り合う日まで進むところまできた。
基地の中を進んでいくヴェスタが、緊張した顔つきで部屋の前に立ち止まる。
ゼフィルバルカ宇宙軍基地のミーティングルームだ。
スパイラルアークチーム初顔合わせの日だった。
その先はジュノも認識していて、さらに数日先ではアイカも合流する未来があるはずだった。
この城壁で見せられる過去はここまでのようで、映像は止まり世界が凍りついた。
「ヴェスタと初めて会った日だ‥‥」
ジュノは少し懐かしそうに笑みを浮かべる。
先に進もうとジュノが城壁の扉に近づくと、隙間から突然湧き出した黒雲が辺りを覆い隠す。
「なになに?!」
「わ、わかりません!」
視界を奪われ、繋いだ互いの手だけが頼りとなる。
「あ、アイカ?」
不安そうに小声で呼びかけるジュノ。
「ここにいます。この雲は‥‥あの時アストレアとヴェスタを包んだものと似ています‥‥」
アイカは雲の組成を探ろうとして、今の自分にはそういったセンサーが無いのだと思い出す。
(‥‥これではただの人間です)
くすりとその思考はアイカを微笑ませる。
そうして黒い雲をただそのまま受け入れることにするアイカ。
「誰かいるよ!」
ジュノは目をこらし雲を見つめる。
アイカも言われてみて気配を探ったが、特に何も検知されなかった。
むーんと唸って手のひらを向けるジュノ。
そこで何が起きたのかはアイカにも判らないが、黒い雲が晴れていく。
「すごい!なにをしたのですか?ジュノ」
きょとんとするジュノ。
「んと‥‥じゃまだなと思って雲をよけた?」
何故疑問形で、なんて出鱈目なとアイカは驚く。
ジュノはアイカと違い物事を直感で判断するところがある。
(いったいどんなルーチンなのでしょう‥‥)
そう思いながらもアイカも同じ事をしてみる。
「むむ、理屈はわかりませんが散らせますね‥‥」
「でしょ?!」
嬉しそうにジュノは微笑む。
そうして謎の力で雲が晴れていくと、白い人影が倒れているのを見つけた。
「ヴェスタ!!」
ぱっとアイカの手も離して駆け寄るジュノ。
アイカもすぐに後を追う。
そこに倒れているのは、いつか見た白いドレス姿の姫ヴェスタだった。
仰向けに倒れていた姫ヴェスタの胸元をすかすかとして、触れないから抱き起こせないよと騒いで、困った顔になるジュノ。
「‥‥先程のように手をかざしてみてはどうでしょう?」
きょとんのジュノに、言っていて恥ずかしくなるアイカ。
(なんでジュノが不思議そうにするのですか!!)
アイカが思いつきで手をかざし、むーんと気合を入れる。
「はぁぅうん!!」
ぴょんと姫ヴェスタが飛び上がった。
まんまるな目になったアイカとジュノを見下ろし、すっくとたったヴェスタは告げる。
「無礼者!!」
『ははぁぁぁ!!』
真っ赤になった怒り眉の姫ヴェスタが、あちこち急所を隠して立っていた。
その尊さと愛らしさは破壊力満点で、思わずジュノとアイカがははぁになるほどだった。
ぷんぷんとしている姫ヴェスタをなだめて、ごめんなさいをするアイカとジュノ。
心配だったんだよとジュノが半泣きになって、やっと機嫌を直した。
「‥‥どうやらアストレアに式が仕込んであったようですね。本人に発動の意志はなかったようです」
姫ヴェスタの説明で、なるほどとアイカは腑に落ちる。
どう捉えてもあの状態のアストレアから、あの高度な術式が紡がれるのはおかしいと考えてはいたのだ。
「手のひらが発動点に吸い込まれました‥‥アストレアの手のひらも吸い寄せられていましたので、恐らく外部から仕込まれたものです」
この姫ヴェスタはアイカほどではないが、ジュノ以上に術式に詳しかった。
「えっと?お姫様はヴェスタと違う知識も持っているの?」
ジュノがストレートにたずねる。
うんうんとアイカも聞きたかった事だったので、同調する。
「‥‥わたくしには幼少時に刷り込まれたAIとしての全ての知識が有ります‥‥本来はヴェスタもそうであったはずなのです‥‥」
かつて見た、ヴェスタ達聖女ヴェルネアコピー達の成り立ちを少し説明される。
違法にコピーされ造り上げられたヴェスタ達には、外部監査でも正規AI義体としか判定されない認証プロトコルが実装されているというのだ。
設計の元になっているのが、聖女ヴェルネアと聖王シルヴァリオのDNAデータだと言うことは伏せられていたと。
聖女を知るものだけが、その血筋を感じ取れるAIだと言い張れる存在。
それが自分たちなのだと。
姫ヴェスタは淡々と説明した。
「そういった事情が有ったようで、わたくし達は完全にAIだと証明できる仕様を積み込まれたのです」
聞いていてアイカもジュノも言葉に出せない疑問を改めて持つ。
――このヴェスタは本当に人間なのか
ジュノはそっと視線を送ると、アイカがふるふると首を振る。
以前もアイカは強く否定した。
さすがのジュノもそれをストレートには尋ねることは出来なかった。




