【第801話:3つの観測点】
城壁を抜ける時に必ずヴェスタの過去を見る。
まるで儀式のようにその手順を踏むのだ。
ジュノとアイカが見下ろすのは、かつて見た日々の続き。
より深い場所へと進むのだと覚悟をする。
「このフィリアさんと言うのは、ヴェスタのおかあさんみたいだね‥‥」
涙を落とすヴェスタを抱きしめる柔らかな笑みを見て、ジュノも悲しそうな顔をする。
この過去の再現は、ヴェスタの主観では行われない。
世界を保存しているかのように、あらゆる状況を確認できた。
ジュノが感じ取るのはフィリアの想いと覚悟。
軍人として士官として教育を受けているジュノも、フィリアと同じ推理に至っていた。
このAI達がフィリアを解放することなど無いと。
恐らく最も簡単な情報の隠蔽を計るのだろうと想像がついた。
ヴェスタの心に残る最後の家族がそうして失われるのだと悲しむのだ。
「このARC聖王国の女神教というのは、アズラント聖王国にも残っている女神様への祈りと同じものですね」
アイカは女神教神官としてのフィリアの唱えた聖句に興味を持っていた。
この数万光年の彼方アルドゥナに、全く同じ聖句を残す女神という存在に、改めて打ち震えていた。
「ヴェスタにはもう何も失わせたくない‥‥」
きりとジュノの瞳に決意が宿る。
こくとうなずくアイカにもその光は移され灯るのだった。
「3人で一緒にいると決めたのです」
返事にうなずき返し、ジュノはアイカの手を引き前に進む。
まだ先には城壁が有るのだからと。
以前と違いヴェスタの道行に不穏な所はなかった。
「こ、この頃から既にヴェスタの操縦はおかしいわ‥‥」
ジュノは学生と思えない戦闘機動で、教官の操る人型機動兵器を瞬殺するヴェスタを見た。
「そ、そうですね。撃破時点から逆算したように無駄のない機動です‥‥」
指導する所を見いだせない指導教官は途方に暮れていた。
講義の後に同室の少女とたどたどしく交流を持つヴェスタ。
「もどかしいわ!」
「まったくです!」
互いに遠慮し合う2人には、相手を求める心が見え隠れして、ジュノ達はじれったいなと感じる。
ふっと、にっこりとするジュノ。
「でも、よかった。いい子だよこの娘は」
ジュノもミレーヌを気に入ったのか、嬉しそうにする。
ヴェスタの道行を案じていたジュノは、少し胸をなでおろす気分。
少なくとも一人、ここにヴェスタの味方がいるのだと。
「この手間ひまもきっとヴェスタを構成する要素のひとつなのですね」
にっこりとアイカも微笑むことが出来た。
そうしてヴェスタの周りを見ていると、特定の場面でジュノとアイカが同時に凍りついた。
なんでも無い授業風景だった。
「そ‥‥そんな‥‥ライギス‥‥どうしてここに?」
アイカは思わずといった風に言葉を漏らす。
ヴェスタを含め、少人数クラスを指導しているカレイス助教授は、あの愛佳の愛した庭師ライギスの容姿だった。
見間違えようもないのは、オーラの色までもアイカは読み取っているから。
あの日愛佳の側に命を終える前に、大切な愛佳の気持ちを届けたいと最後に話した人間だった。
一時期、気になって探った事もあったが、あの雪乃小路家にライギスという庭師は存在した事はないと調べがついた。
丁寧に隠蔽されたのだくらいにアイカは考え、それ以上の詮索をしていなかった。
ふと気配に異常を感じてジュノを見るアイカ。
これだけ自分が取り乱しているのに、ジュノもフリーズしたように固まりカレイス助教授を見つめていた。
「ジュノ?‥‥どうしたのですか?」
アイカは自分の心も波立って制御できないうねりの中で、ジュノの尋常ではない様子に気付いた。
「ジュノ?!」
ジュノは真っ青な顔色に成り、ぽろりと涙を流し始めたから。
「だいじょうぶですか?!ジュノ?!」
抱き寄せようとするのだが、この世界では手のひら以外には触れられず、引き寄せようとしたアイカはジュノと重なり合うようにとどまった。
しんしんと冷たい感触は、ジュノの深い悲しみと喪失を示していた。
「ろ‥‥ロベルツ‥‥あの男はお父様の部下だわ‥‥」
意味を把握できないが、アイカはジュノの温度を取り戻そうと必死に心をこめる。
ここにいるよと温度を送るのだ。
「あぁ‥‥アイカ温かい‥‥ありがとう」
クスンと鼻をすすり、それでも温度を取り戻していくジュノ。
「あ、あの男は度々ユーノの前に現れたの‥‥開発元との折衝をしているエージェントだと紹介された‥‥指示に‥‥従うようにと」
ジュノがまた心を波立たせ、温度を下げる。
ふわりと重なるアイカの心も冷え込み、痛みを共有する。
それはジュノの、ユーノの核心に近い悲しみだった。
「あ‥‥あの男がジュノを守るためだと言って‥‥あの日入れ替わったの‥‥ユーノとジュノは‥‥」
それは以前にアストラル・プロジェクションで覗き込んだ、ユーノの悲劇の日だろうかと、アイカは理解する
これほどの悲しみは愛佳以外では味わったことがなかった。
「た‥‥大切だと思ったの‥‥ジュノを失いたくないと‥‥なのに」
その日入れ替わったジュノは、ユーノの代わりに生贄のように捧げられたのだった。
ジュノの気配は段々と弱々しくなる。
アイカは動揺を隠せない。
あの優しげで愛佳に一途な想いを抱いていた男が、そんな恐ろしいことをするとは思えなかった。
今見下ろしているカレイス助教授ならば、あの庭師ライギスなのだと言われても納得ができる。
アイカの覚えている庭師と、変わりない様子だったから。
「そんな‥‥何かの間違いでは?あのライギスはそんな企みに加担する男ではないです‥‥」
ふるふるとただふるえるジュノは、ジュノなのかユーノなのかもう判らない苦悩をこぼす。
「もう‥‥これ以上見せないで‥‥」
ふるえるジュノは涙をこぼし続けるのだった。
あの日失った半身を思い出して。
一旦入ってきた城壁の前まで戻り、ジュノをよしよしと温めるアイカ。
大丈夫だよと、幼女のように泣くジュノを慰めていた。
そうしながらも、あの愛佳からも受け取っているライギスという男を考えていた。
(‥‥愛佳と過ごしたあの世界はきっととても昔なのだ)
アイカは以前、そういったことも密かに調べていたが、驚くほど情報は手に入らなかった。
ただAIKA-01としてスパイラルアークに乗ったあの日は、AIKAプロジェクトの開始からは数百年の時を越えているとだけ知っていた。
タイムログにそういった要素が残されていたのだ。
きれいに拭い去ったその痕跡に、わずかなほころびとして。
(と‥‥時が人を変質させてしまった?)
おそらくあの最後に別れたライギスが、覚悟していた悲しみを受け取ったのだとアイカにも想像がついた。
愛佳からもらったライギスの心の形は、とてもシンプルなものだった。
偽りを持たず、ただ真っ直ぐに愛佳を見つめていた。
先ほど見た、カレイス助教授がヴェスタに向ける視線にも同じ温度を感じた。
(いったい‥‥何が起きてジュノの事件に関わったの?)
やっと温度を取り戻してきたジュノに、ふんわりと気配を重ねるアイカ。
これ以上考えても、何も判らないのだと途方に暮れる。
きりと逃げ出してきた城門を見るアイカ。
あの先の世界に進まなければいけないのだと。




