【第798話:この花が咲くために】
一般的な大学ならば研究塔と呼ばれる、教授たちの研究室がある建物。
ロの字型のその建物には瀟洒な中庭が有った。
これは軍上層部の視察などを考慮し、大学が予算をかけて見栄え良くしているスペースだ。
大きな岩や、池を模した水溜や苔むした石なども配される。
2面には目隠しの木製の塀も建てられ、落ち着いた造り。
そこにカイレス助教授がいた。
いつものように研究室に向かい、居なかったのであきらめて降りてきたヴェスタが中庭に見つけて、歩み寄った。
「先生‥‥お忙しいですか?」
それはいつもヴェスタが相談事を持ち込む時の定型文で、研究室にいるのならば適切だったろう。
そのミスマッチにも興が乗ったのか、ふわりと珍しくカイレスは微笑んだ。
その右手には剪定鋏を握り、左手には今しがた摘んだ蕾を孕んだ小さな枝が有った。
庭師でも無いのだから、仕事中ではないとわかろうものだった。
「休憩中だ。‥‥このバラが綺麗に咲きそうだったのでね‥‥」
あくまで趣味のように時々庭いじりをしているカイレス助教授だった。
このと向けた視線の先には白い花弁をこぼしだしたふっくらした蕾がある。
手の内にある枝には、小さな蕾と少し大きな蕾。
庭木に関する知識はないヴェスタだが、剪定という作業が有ることは知っていた。
ふとヴェスタは恐ろしいことを考えた。
そのカイレスの手にある枝が、失われた姉妹、トリースとチェトリの笑顔に見えたのだ。
剪定という作業が、そういった意味なのだとだけヴェスタは理解していたから。
咲き誇る花の為にその枝は断たれたのだと。
顔色を悪くし、ふらついたヴェスタの視点は定まらなく成り、くらりと重心が傾いた。
(あぁ‥‥いけません)
自力で立て直せない傾きに至るヴェスタ。
ぽとりと枝が地に落ちるよりも早く、たくましい腕にヴェスタは支えられていた。
枝をはなしたカレイスの左腕が、ヴェスタを抱きとめていた。
青白い顔で瞳を伏せたヴェスタは、ふるふるとただ震えていた。
「どうしたのだ?顔色がわるいぞ?」
案じるニュアンスを帯びたカレイスの声を遠くききながら、ヴェスタは意識を失った。
地に落ちた枝から目を離せずに。
どういった事情だったか思い出せず、目を覚ましたヴェスタは、そこに心配そうにするミレーヌを見つけた。
目を覚ました事に気付いたミレーヌは、かたと音を立てて椅子から立ち上がり側に来た。
ヴェスタはいつも寝起きが悪く、しつこく起こすと泣いてしまうことも有った。
そういった体質なのだなと、今ではミレーヌも無理に起こしたりはしない。
そっと髪を撫でてあげると、感情的に落ち着くのも知っていたので、やさしく撫でる。
「大丈夫?外で倒れてしまったのだとカレイス助教授が教えてくれたの」
心配そうに寄り添うミレーヌの声と手は、ヴェスタに力を与えてくれる。
意識を戻し、今一度世界を見る力を。
「ごめんなさい‥‥」
なにに対したものと分類できずに、ヴェスタは詫びた。
そっと頭にあった手を掴み頬を寄せるヴェスタ。
朝起きたくないとぐずるピアツェに、上の姉トリースはよくそうして頬に手を当ててくれたのだ。
――大丈夫一緒だよ
そういって3人の姉妹で支え合って生きてきたのだった。
そのトリースを失い、震えながら抱き合い涙を流したチェトリも追ってこの世を去った。
そのおぞましい最後を夢としてヴェスタは味わっても居た。
次は自分の番なのだなと、いつも目覚めるのを恐れるように成った。
あきらめて日々を暮らしながら、最後の日は結局訪れず、今に至った。
――枝を落とすのは‥‥花に養分を集めて大輪に咲かせるため‥‥
ヴェスタの持つふんわりとした庭木に対する知識にはそうあった。
(カイレス先生も言っていた‥‥花が咲きそうだからと‥‥)
それはヴェスタに失った姉妹達と、失われた意味すら想像させて、気を失うほどの葛藤を感じさせたのだ。
あの施設の中で、姉妹たちが何故殺されたのかと想像してしまったのだ。
何故それをヴェスタに見せたのかと。
(ち‥‥違う‥‥違うもん‥‥)
ヴェスタはミレーヌの手にすがりながら涙をこぼした。
幼い頃にもどったようにくすんと鼻をすすりながら。
その日は様子を見ると医師に告げられ、そのまま病院塔に泊まることとなり、ミレーヌは明日また来るねと告げて帰っていった。
ミレーヌと入れ替わりのように、カレイス助教授が見舞いに来てくれた。
「気分はどうかな?」
そう告げるカレイスの表情には、普段あまり見せない優しさがあった。
整った横顔を見せながら、窓際にあったチェストに一輪挿しを飾る。
「‥‥剪定という作業をよく誤解する者もいる」
前ぶりもなく話し始めるカイレスに、不思議そうな顔をするヴェスタ。
自覚はないのだが、カレイスと二人でいるヴェスタは驚くほど表情豊かだ。
「庭師は不要な剪定をしないのだ。樹木全体を見て必要と思った作業をする」
何故庭木の知識を講義されるのかとはヴェスタは考えない。
この助教授が必要なことしか話さないと、経験から学んでいたから。
しばらく待ったが、それ以上の言葉はなくしばらく見つめ合った。
お大事にと、定型文と感じられないだけの感情を込め告げたカレイスは去った。
薄緑色のガラスで出来た控えめな一輪挿しだけが残される。
2つの蕾を持った枝を一本だけ差して。
数葉残されたギザギザで濃い色の葉だけが、ヴェスタの記憶に残り目を閉じた。
しばらくはまた、世界を見たくないなと。
翌朝目覚めたヴェスタは、むくりと体を起こしぼーっとする。
昨夜回診にきた医師から、明日の朝また来るから休んでいるようにとだけ言われた。
バイタルには異常はないとも教えてもらった。
(この体はとても頑丈に出来ているの‥‥簡単には失わないようにと‥‥)
施設で過ごした地獄を思い出したヴェスタは、何度もナノマシンポッドで再生治療も受けたのを思い出していた。
どんな悪夢のような夜を越えても、朝には傷一つ無い綺麗な自分に戻されるのだと。
同じように造られたはずの姉達は、それでも失われた。
(わたくしは幸せになってよいのでしょうか‥‥)
フィリアはそう望んでくれたし、相談したカレイスも否定しなかった。
ふと眩しい日差しに目を向けると、そこにヴェスタは昨夜との違いを見出す。
じっと窓から入る光を見つめ、ぽろりと涙が落ちた。
その唇にはふんわりとした笑みが刻まれていく。
昨夜カレイスの置いていった一輪挿しには、剪定したあの枝が挿されていったのだ。
大小の蕾を付けた、細い枝。
「あぁ‥‥」
殆どの葉も落とされたその細い茎に、ふっくらと蕾は膨らんでいた。
昨日落とされたときよりも間違いのない膨らみ。
そのまま日に当ててゆけば花開くのだと感じられた。
――一緒に居ると言ったのに
何度も思い出し、恨みをはいた。
約束したではないかと。
(わたくしが忘れてしまっていただけ‥‥ずっとそこに居てくれたのですね‥‥)
先端から白い花弁をこぼしだす小さな蕾達には、懐かしい姉妹の微笑みを思い浮かばせる慎ましやかさがあった。
カレイス助教授の去った後、気になってインプラントデバイスを使いネットで調べたヴェスタ。
剪定する意味を調べたのだ。
それはふんわりとヴェスタが想像したものとは違い、落とされる枝もそのままでは咲けないのだと知った。
風通しや日照を分け合ったままでは咲けないこともあるのだと。
それでも落とされた蕾は咲けないではないかと、泣きながら眠ったのだ。
そうして背を向けて寝た一輪挿し。
わずか一晩で、蕾は確かに昨日より開いていた。
開花の気配を感じ取り、やっとヴェスタはカレイスの告げたかったことを理解したのだ。
摘み取られたものにも価値が有る。
目をそらし捨てたりしなければと。
ヴェスタの中に幼い言葉が浮かぶ。
(わたしの中にトリースもチェトリも生きている‥‥もう忘れたりしないわ)
造られた姫君ではなく、自分の言葉で思うことが出来た。
受け取っていた愛は無く成ってなどいないのだと。




