【第797話:立ち止まることが必要な時】
ヴェスタは立ち止まっていた。
物理的にもグラウンドを見下ろす、総合管理塔というこの辺りで一番高い建物の屋上で立ち止まり、暮れていくグラウンドのオレンジを見つめる。
表情はなく、澄ましたように立っている。
この屋上は解放されていて、休憩時間や講義の終わった午後に割と人が来る。
今も雰囲気のよい夕日を見るためか、二組ほどのカップルが離れた場所にいて、ひそひそとそれぞれが会話をしている。
「あれパイロット養成科のヴェスタさんじゃない?無くなった国の王女だったらしいわよ」
「‥‥いつもツンとしてるよね、僕はあまり好きじゃないな」
言葉にはせず君のほうが良いと言う、男の言葉は腕の中の女を喜ばせるためのもの。
本心では無いが、必要と思い演技する姿だった。
そういったささやくような会話が届いた訳では無いが、ヴェスタは打ち沈んでいた。
部屋に戻ればミレーヌに心配をかけて、また悲しい顔をさせてしまうと、自惚れではなく考えここに来たのだ。
今のミレーヌはヴェスタの隠している感情を、殆ど読み取ってしまうから。
ついに最後の一線を描き夕日が地平に沈んだ。
儚いオレンジがしっとりと紫に染まり落ちる頃、ヴェスタはそろそろ部屋に戻らなければと考えた。
(フィリア‥‥心配です‥‥どこにいるのですか?)
最近のヴェスタの嘆きはそこに集約する。
もちろん気に入らないことや、悲しい思いも大学生活の中には有り、先日のカミラとの件は今も尾を引き嫌がらせが続いていた。
それ以上にヴェスタを苛むのは、送り出してくれた家族とも思うフィリアの消息だ。
毎月のように苦手な手紙をしたためて、フィリアに送っていた。
最初の一通には施設から、「フィリア女史は別の施設に移動になりました」と返事が来た。
移動先を尋ねる内容で再度出したが、返事はもうこなかった。
それを4回繰り返し、今に至っている。
(病気などしてはいないですか?)
師アルゴスを眼の前で看取ったヴェスタは、人の死に対する理解が同年代の学生よりも深かった。
自分よりも高齢のフィリアが、臥せったりしていないかと案ずる。
目を伏せ無事をいのれば、自然と最後に聖句が漏れた。
――Šī balss nekad nepazudīs.
言葉にするつもりでいたのではなく、いのりの後に自然と口をついて出てしまった。
教えに違わず生きますと最後に紡ぐのが、女神教の聖句だ。
人は女神のように慈愛だけでは生きられないので、せめて寄り添いたいと誓うのだ。
己の内に浮かぶ醜い心を恥じるために。
ヴェスタはとても優秀で、パイロットとしてはもう現役の軍人を越える技量を示した。
なにしろあらゆる機械がヴェスタに従いたいと、ひざまずき願い出るのだ。
150m級のパトロール艦も、20mの人型機動兵器も、ヴェスタの手に触れられれば、愛馬のようにいななき喜びとともに従う。
ヴェスタの体も最適化されてきて、無駄のない操縦操艦は、既に教える教官たちの技量を越えていった。
とても真面目で意欲も高い。
ぴしゅぅぅん
UMSが悲鳴を上げながら、巨大な船体がピタリと停船位置に停まる。
指定位置にcmの狂いもない。
「状況終了」
静かにヴェスタが告げ、本来ならば3年後の卒業見込みに行われる巡洋艦級操艦訓練の実習を軽々と終えてしまうヴェスタ。
ほとんど空走する時間のない操艦は、おそらく歴代でも比肩するもののないタイムを叩き出していた。
「お、おつかれさま‥‥レポートを指定日までに出して下さい」
定型文のような答えしか、指導教官は告げられなかった。
(口頭ではだめなのかしら‥‥)
ヴェスタは文章が苦手なので、とても悲しそうな顔になるのだった。
ようするにヴェスタは、パイロットとしてすでに完成されていた。
逆に文章以外にも苦手なことも有った。
軍大学なので、戦術や作戦の講義も必須である。
戦術とは兵器ではなく、人を扱う学問でもある。
恐怖や欲望、裏切りや虚勢。
そうした人間の弱さを前提に組み立てられる。
見たものをただ理解しただけでは修学できなかった。
ヴェスタは人間の悪意や弱さへの理解が低い。
自分を基準に考えるので、相手も恐れず真っ直ぐ攻めてくるものだと思ってしまう。
「ルミナス君は講義のシラバスをまず再確認したまえ……」
困り果てた白紙戦術の講師はそう告げた。
そうして落ち込んだり喜んだりしながらヴェスタの学生生活が続く。
その中で悩み事や、自分では答えを出せないことに当たると、自然とカレイス助教授の研究室を訪ねた。
困ったことがあったら、いつでも来なさいと言われていたから。
実際の講義ではもう霊子力学や霊子化学は履修し終えていて、霊子情報科学や構造化学は来年以降の履修予定になる。
ようするにヴェスタはカレイス助教授の講義を履修していないのだ。
「そうか‥‥心配だろうがここは軍の施設だからな‥‥規定以外の外出は許可されないだろう」
ヴェスタはどうしても心配なのでフィリアを探しに行きたいのだ。
昨夜悲しい夢を見て、居ても立っても居られず相談にきた。
どうしたらフィリアを探しに行けるだろうかと。
うつむいたまま悲しそうに目を伏せるヴェスタは、珍しく素直に感情を現していた。
このカレイス助教授には、様々な人間の欲望を感じない。
そういった視線に敏感なヴェスタはついつい、カレイスに自覚無く甘えてしまう。
他の教授や講師達は、2人きりになると必ずそういった視線を向けてくるから。
ヴェスタはそういった事も、以前カレイスに相談したことが有った。
冷静な視線を上から下までスキャナーのようにヴェスタにあてて、「視線や意識を惹きつける要件が強いのだな。控える努力をしたまえ」とあしらわれた。
カレイス本人は全く惹きつけられずに。
フィリアの件はもっと早くからミレーヌにも相談していたが、あまり家族の話をしたがらないミレーヌに遠慮して、その後は話していなかった。
うつむいて黙り込んでしまうヴェスタ。
じっと冷静な視線をあてていたカレイスの瞳に、ふわりと温度が浮かぶ。
「そのフィリア女史は君に何を望んだのだろう」
はっと顔をあげるヴェスタ。
(フィリア‥‥)
ヴェスタの脳裏に再現されるのは、優しい抱擁と言葉。
――今からは自分の人生を歩むの
それはピアツェがヴェスタになった日にもらった言葉。
フィリアの望みはいつも一つだった。
言葉にされたことはなくとも理解できた。
己の母にも仕えたあの侍女長が望んだのは、ただヴェスタの幸せだった。
ただ健やかに幸多かれと。
そうして背を押されたのだ。
「先生‥‥どうしたらわたくしは幸せになれるのでしょう‥‥」
そうしてついにその問いにたどり着くのだった。
ヴェスタ・ルミナス16才の秋を迎えていた。




