【第795話:理解するに至らない】
ヴェスタは今までにない不快を感じる。
(まあ‥‥そうゆう生き物だと思うしか無いですわ)
どんな辱めにも耐えてきたヴェスタだが、苦しみを与えられずに過ごすうちに、慣れが無くなっていく。
男性が嫌いなのだ。
触れられなくても、側に来るだけでその心の温度を感じ取る事のできるヴェスタ。
いままではどうせひどい扱いをされるのだからと、目をそらし感じないようにしてきたもの。
廊下ですれ違う男子学生の集団などは、もれなくドロドロとした視線を向けてくる。
ヴェスタは若く、とても美しい。
姿勢よく廊下ですれ違うヴェスタを、意識無意識に視線で追いかけてしまう。
そのボディラインまでが設計された完璧なもの。
男たちの欲望を叶えるためにデザインされたものだ。
小さな子どもや老人でもなければ、その存在感に何も感じないものはいない。
多かれ少なかれ欲望の目を向けてしまうのだ。
上品な所作や涼やかな表情にも、大抵の男性は高ぶる想いを持つ。
本来ならば外聞を考え弁えるものだが、ヴェスタの魔力が吸い付けてしまう。
それをヴェスタは敏感に感じ取る。
高位の女神教神官や巫女と変わらない感度で、邪なオーラを読み取ってしまうのだ。
じろとミレーヌに睨まれて、緩めた顔をそらす学生たち。
最近のミレーヌはヴェスタの代わりにぷんぷんと怒ってくれるのだ。
ちらちら見るくらいなら我慢できるが、じっと見つめられると気持ちが悪い。
「ありがとうミレーヌ」
小声で囁くヴェスタに、にっこりとミレーヌは笑いかけてくれる。
相変わらず言葉は少ないが、明らかにヴェスタとの距離を詰めてくれた。
「ヴェスタも嫌がるといいよ」
鼻息荒くミレーヌが言う。
「うん‥‥なんだか難しいのです」
笑顔だけではなく、怒った顔も意識して作れないことをヴェスタは知った。
それは笑顔よりもずっと難しく、恐らくして見せても伝わらないと感じられるものだった。
ヴェスタは自分を隠すこと無く生きてきた。
言葉のままにそう生きることを強要されてきたのだ。
羞恥を感じる心は少ない。
己の色香を隠す術も学ばずに来たのだ。
ただ、今では男たちの欲望に気持ちの悪さを感じる。
そこから思い出すのは碌でもないことばかりだったから。
そんなヴェスタが唯一側に居て苦しまない男性が居た。
まだ年若いその助教授は、霊子物理の講義を持っていて、若くして研究室も持たされていた。
近く教授にとも声がかかる優秀さだと聞いた。
「‥‥そうだな。その場合はこちらの式を使ったほうが、よりシンプルに至れるだろう」
講義の後に例題の解法について質問したヴェスタ。
ヴェスタは知識が深いだけではなく、学び取る能力もとても優秀で、講義で教える以上を習得する。
学部の教授達は教えているうちに、いつの間にか自分と同等の視点に立っていると、おののきを隠せずに居た。
「なるほど‥‥ありがとうございますカレイス先生」
ヴェスタは相変わらずの無表情。
感情を表に出すのがとても苦手なヴェスタは、今それが必要だと思っても笑うことが出来ない。
喜びを表現するのも下手だし、嫌そうな顔も苦手だった。
結果としてヴェスタは感情が薄いように読み取られる。
心のなかでは様々な色が芽生えだしていたのに。
(なんだかカレイス先生はアルゴス先生に似ている‥‥)
笑顔を造らずクスリと心で笑うヴェスタ。
それは既に失われた最初の師で、今となっては唯一人の家族とも思うフィリアの師でもあった老人。
(老人と比べては失礼に当たるかも知れないですね)
カレイス助教授は、女性所員を始め、女学生達にもとても人気で、常に誰かしらの告白や誘惑を受けているようだ。
甘いマスクと落ち着いた所作は、その優秀さ以上に女性を引きつけるようだとヴェスタは読み取った。
そうして噂は絶えないカレイス助教授だが、不思議と男性特有の欲望をヴェスタは感じ取れない。
(‥‥もしかしたら女性が嫌いなのかも)
そういった趣味の男性も居ると、情報としては持っているヴェスタ。
その方面の知識も通常以上に詰め込まれているのだった。
だんだんとヴェスタが嫌がらないのだと知れ渡ると、より積極的に貪ろうとするものが現れる。
高貴な所作のわりに隙が多いので、嫌がっていると思われないのだ。
食事や酒にと誘われるのは、さすがに多くて断るのに慣れてきた。
それ以上にしつこくされたら普通は嫌がるのだが、そういった素振りがないので脈が有ると思われるようだ。
(カレイス先生のように毅然としていればいいのかしら)
そう思い反応を示さぬよう心がけていた。
それが女子としての防御力を下げるとは思わずに。
結果ヴェスタが一人で居るとかなりの確度で男性に声をかけられる。
面倒になってきたヴェスタは相手をしないようになってきていた。
大抵は色香以上に滲み出す高貴さに遠慮するのだが、中にはたちの悪い者も居る。
「‥‥なんだよ、気取りやがって‥‥おい、連れて行っちまおうぜ」
二人がかりで囲み込んで、車に乗せようとする大柄な男子学生。
軍関係に志願するのだから、多少の粗暴さは目をつむられる風潮もあり、それもこういった人間を増長させた。
大型の白い車で連れ去られるところを止める者が居た。
「ヴェスタ君、待たせたな。こちらで頼むよ」
そういってすっと男達との間に割り込むのはカレイス助教授。
なんだと気色ばんだ男子学生達も、チラと目線をよこすのが白衣で、相手が助教授か教授としり流石にしりごむ。
そういった隙にするりとヴェスタの肩を押し連れて行く。
すたすたと歩いていくのは本来の目的地の方向だと途中で気付く。
こちらにカレイス助教授は用事はないだろうと考え、さすがに思い至った。
この道の先には女子寮しか無いから。
「先生ありがとうございました」
やっとカレイスが救い出してくれたのだと気付いたヴェスタ。
先程までは自分が忘れていただけで、なにか手伝いを頼まれていたのだと思っていた。
ここまでくれば大丈夫と思ったか、足を止めたカレイスは興味も無さそうに答える。
「もう少し自分を大切にしなさい」
指摘されたのがなんのことかわからず、きょとんとするヴェスタ。
特にその反応には応えず、立ち去るカレイス助教授だった。
(あれ?なにか言わなければいけなかった気がしますわ)
それがお礼だったのか、感謝だったのか判断出来ずにいたヴェスタは、答える機会そのものを失っていた。
相手は夕暮れの迫る小道の先を曲がっていってしまったから。
(後日お礼をすればいいのだわ)
この時のヴェスタはただそう考えていたのだった。




