【第793話:ヴェスタを始める場所】
ヴェスタとなったピアツェはふるえるフィリアに抱きしめられている。
白地に青のはいる制服姿。
すぐ横にはヴェスタが入れそうな大きなスーツケースが有り、今のヴェスタが持ちうる全てが収まっていた。
「どうか‥‥健やかに」
すんと鼻をすすりフィリアは告げる。
とんとんと自らそう名付けたヴェスタの背を叩き、腕の中に気配を刻み込む。
「フィリア‥‥一人前になったらきっと会いに来ます」
くすんとヴェスタも涙を流す。
心細さと淋しさが胸を締め付けたから。
ヴェスタが生まれ育った巨大な施設の前に、黒塗りの大型車が停まる。
星系内でも有名な義体工場の広大な敷地を回ってくる姿が、フィリアにはヴェスタを奪い去る何か恐ろしい怪物にも見えた。
この時間に迎えに来ると、事前に予告されていたのに。
車の前グリルに立てられた小さなポールに旗が揺れる。
汎銀河連邦宇宙軍の旗だ。
今から向かう施設は軍の運営する航宙大学。
ゼフィルヴァルカ宇宙軍基地の中にある、パイロット養成学校へヴェスタは編入する。
その類まれな操縦技能を磨くために。
車は静かに去っていく。
何の音も出さないのは、重力制御で少し浮いて移動するから。
車輪は低速で移動するときにだけ使う。
浮いているより安定するから。
(ラウマさま‥‥どうかヴェスタに幸せな出会いを‥‥)
両手を合わせ祈りを捧げるフィリアをゆっくり待つほど、男たちは気長ではなく、情緒も持ち合わせていなかった。
「さあ、フィリア女史。次の仕事がありますよ」
微笑んだ男たちは、もう光を漏らさない者ではなかった。
フィリアには神官の能力ではっきりと見える。
にっこりとした無表情には、塗りたくる怒りの波動が赤く滲んでいた。
隠し通してきた恨みがあるのだろう。
「ええ。わかりました」
フィリアには覚悟があった。
おそらくヴェスタを旅立たせれば自分にはその後の人生など無いと。
恐ろしいほど周到なAI達が、秘密を知りすぎているフィリアを残すわけがないのだと。
(アルゴス先生‥‥今、御元に参ります‥‥)
先立った師を思うフィリアには誇らしげな微笑みが浮かぶ。
成し遂げましたよと。
車にはヴェスタの他に黒いタイトスカートにスーツの女性が乗っていた。
胸元に小さな勲章が4つだけ付き、肩には二重線の肩章がある。
黒地の軍服は宇宙軍の女性士官だった。
「クラウディア・レーヴェン少尉です。これからヴェスタさんの担当となりますのでよろしく」
性別を感じさせない言葉遣いは軍人の特色なのか、板についている。
ヴェスタより大分年上に見えるが、まだまだ軍人の中では若い部類だろう。
あまり化粧気のないスッキリした美人だった。
軍服を押し上げるボディラインが口調を裏切る色香を漂わせる。
「何処まで行くのでしょう?」
ヴェスタは感情の薄い問いを発した。
このシチュエーションで少女が持つだろう感情を想像して出した設問だった。
ヴェスタ自身に不安はない。
「ゼフィルヴァルカ宇宙軍基地の敷地内に有るので、1時間程度でしょうか」
色々と省略した表現だが、意味は伝わる。
言葉尻に仲良くする気は有りませんと、正しく読み取るヴェスタ。
「そうですか‥‥」
短く応えると、興味を失ったように窓の外に視線を流す。
ヴェスタは生まれて初めて屋外を見るのだ。
そこにはなんの感動もない。
屋外という画像を見ているだけだった。
その先に世界が有るのだとは考えたりしない。
まるでフィリアの腕の中にそういった感情全てを残して来たかのように。
ヴェスタは航宙大学と呼ばれる、民間では大学に当たる軍学校の3回生に編入される。
基礎的な座学を終えて、専門的各論と実技がメインになる学年だ。
「ふむ。女子寮はあちらですね‥‥」
古風な石畳風の通路をころころころとスーツケースをひいて、白い制服のヴェスタが進む。
特別な感情はなく、タスクをこなしている雰囲気。
車中でクラウディア少尉に説明を受けたので、自分の立場は理解していた。
これから通常は5年かけて宇宙船のパイロット候補生となるのだと聞いた。
同時に軍の階級としては少尉になるのだと。
クラウディア少尉は同格だと思うなよ、なのか同格だとは思いませんよかはわからなかったが、そこに特別なニュアンスは置かなかった。
正門にあった古風な受付には警備の人間がいて、身分証を差し出した。
特にチェックも無く敷地に入れるのは、敷地の外も軍施設でここはすでに基地の敷地内だから。
車ごと通り抜けたが、基地の入口の方がチェックはきびしい。
基地の境界には返しの付いた高い塀が回されていて、重々しく動いて背後を封じたバリケードが、ヴェスタと何かを分けたのだとだけ感じた。
女子寮は少しレトロな雰囲気の落ち着いた建物だった。
ヴェスタは王女としての教育をすべて焼付で持たされ、建物の様式などにもある程度の知識を持つ。
(後期アルカード様式に似ている‥‥貴族向けに建てられたものね)
手間のかかった装飾がさり気なく入る、4階建ての趣有る寮だった。
「パイロット養成科に編入になるヴェスタ・ルミナスです」
硬い表情のまま最低限の自己紹介をして、寮の受付の所員に困った顔をされる。
「スピカです。ここの寮長をしていますので、困ったことがあれば私に言ってくださいね」
困り眉のままにっこりと笑ってくれた20代に見える所員は、部屋まで案内すると言って事務室から出て先立って歩いた。
身長はヴェスタとあまり変わらず、後ろでくくっただけの茶髪が揺れている。
寮内の上下はエレベーターも有るが、寮生は基本的に階段を使うようにと教わる。
「今日は荷物も大きいからいいわよ」
そういって特別だと、エレベーターを使った。
ヴェスタの部屋は3階だった。
一階が一回生で、4回生までは寮に居られるのだという。
(2年たったら外に住めと‥‥)
その頃には新たな指示が有るのだろうと、ヴェスタはあまり気にしないこととした。
この2年間をまずはこなそうと。
細かな寮のルールは小冊子にまとめたものを手渡された。
「読んでも判らないことは遠慮なく聞いてくださいね」
困り眉は戻らないが、ニッコリを濃くする所員に、笑顔を返すヴェスタ。
「‥‥」
ひくっと怯えたように会話を打ち切ってしまう所員。
それは笑顔なのか脅しなのか判断に迷う表情だったから。
(‥‥まだ練度が足りないようです)
自分の笑顔だと思っている表情には、想定した効果がないとしょんぼりするヴェスタだった。
こんこんと小さなノックに、はいと返事が有る。
ドア越しに聞いたその声にはあまり覇気はなく、緊張した様子もない。
自分より少し音程が高いなとだけヴェスタは感じ取った。
ドアを開けて黒髪碧眼の少女が顔を出す。
今日から同室になるヴェスタさんですとスピカは紹介してくれた。
「ヴェスタ・ルミナスです」
自己紹介の度に情報を減らしていくヴェスタ。
だんだん面倒に感じてきたのだ。
ヴェスタはそもそも自己紹介をあまりしたことがないし、名乗るのも珍しい人生を送ってきたから。
今までの人生で自分の名前を名乗るのは、とてもしたくないタスクとセットだった。
あまり楽しいイメージを持てないのだ。
「‥‥ミレーヌ・カルニンシュ。よろしく」
同室となった少女は、ヴェスタより少し身長が低くボリュームが少な目だった。
「3回生‥‥16才よ」
元気が無く表情の薄い白い顔のミレーヌと、そもそもあまり意思を感じられない人形のようなヴェスタを残し、そそくさと所員スピカは立ち去った。
後は自分たちでねと。




