【第791話:静かに始まる】
ヴァルサール帝国帝都アズラントを出航するヤオンスラウミナス。
緊急出航とでも行った動きだ。
来るときはわんさかと取り囲んでいた帝国の艦隊も、今は少し北にある軍の港に大半が下がっている。
一部は通常業務で輸送船団の護衛任務などもあるので、アズラントの港に居た。
任務の合間の休暇のように乗員の半数が艦を下りていた帝国の巡洋艦。
その艦橋には艦長の佐官が詰めていた。
常に副官か自分で艦橋に詰めるのは軍の規則だ。
「か、艦長、半舷出航可能な準備が整いました!!」
あまり慣れていないのか、緊張した下士官の一人が報告に上がってきた。
慣れたものが当直に残っていなかったのだろう。
全乗組員に帰還の指示は出したが、現状はほぼ半数になっていた。
この状態でも仮に動かせることが解っていての半舷上陸だ。
そのための訓練も日常の中でこなしてきている。
チラと視線を送ればきっちりした敬礼で固まっていた。
「ご苦労‥‥別命有るまで待機だ」
「了解です!!」
短く了承して元気に立ち去った下士官は、まだ20代と思しき若さ。
帝国海軍の将来も安泰だなと考え微笑むのは、少し現実逃避じみた心の動きだった。
仮想敵国の巨大な空母を武装したまま首都に迎え、内々に首脳会談が行われるのだとは、事前に佐官以上のミーティングで説明があった。
(随分と急いでいたようだが‥‥何かの策なのか?)
現場レベルの佐官には、国家間の戦略や策謀など、扱いの難しい情報は下りてこない。
ただ軍内部にも派閥は非公認にあり、この艦長は現状最大手たるガヴィール元帥派だった。
残念ながら昨今囁かれるようにガヴィール派は数だけで、皇帝に覚えがいいのはハーグリーブス大将の派閥。
伝統的にもあちらのほうが本来の主流だ。
そうして詳しい情報を得るツテもなく、許される範囲内で最善と動く。
今は対応マニュアルに沿って動いていて、上からも軍本部からも情報がこない。
非常識な速度で動き出したヤオンスラウミナスに、高速艇をスクランブルで向かわせ、警告までは済ませていた。
その先は上からの指示がなければ艦長には指示が出せない。
戦時中でもなければ、連装砲塔一つといえども、独自に動かし威嚇などをするわけにはいかなかった。
そうして準備だけして、悠々と出航していく仮想敵国の常識外に大きな空母を眺めていた。
出ていってくれるのなら、その方がいいなとも考えながら。
現状ヤオンスラウミナスはアイヴィエンスが動かしている。
これはかつて船底の秘密ブロックから操艦して運用していたので、違いは実際に艦橋に居る事だけで、していることは同じもの。
慣れた作業ではあった。
アイカは以前の秘密操艦するためのスペースを改修し収まっている、スパイラルアークに行っている。
かつては秘密を守るため、そこにつながる通路などはなかったが、今は格納庫と直通のエレベーターが有る。
この艦橋までを貫通する高速エレベーターだ。
移送用のベッドに固定されたヴェスタに、アイカとジュノが付き添って下りていった。
船はアイヴィエンスとマーク01の2人で操艦するいつもの体勢。
マークには先に仮眠を取るように指示したが、隣室のベッドから心配そうにこちらを見ている。
時々振り向いて大丈夫だよと微笑んでうんうんとしてあげるが、非常事態だとは解っているようで顔色も悪いままシーツにくるまっていた。
アイディビィ以降のアイカズチルドレンは全員スクランブル待機で、格納庫の仮眠室だ。
マーク達も全員来ているので、現状でも10機2飛行小隊半の戦力を動かせる。
今まで見てきた帝国の戦力ならば、過剰戦力だ。
オリジナルの手出しを想定しての待機体勢。
あちらもシフト航行まで使える敵なのだ。
どんな無茶をされる可能性も想定している。
(ヴェスタ‥‥)
マークには明るい表情で大丈夫と言うが、アイヴィエンスも心配だった。
かつて2人で帝国まで旅をしたことも有る仲なのだ。
アイカに次いで仲の良い家族とも言える。
(大丈夫だよね?‥‥ママ‥‥ヴェスタをお願い‥‥)
スパイラルアークに連れて行ったのは、ナノマシンポッドなどの先端医療が有るから。
それ以上に、慣れた状態で試したいとアイカはスパイラルアーク船内の寝室に行っている。
ヴェスタに外傷はなく、薬物などの反応もなかった。
単純に魔法的な意識妨害などを想定し、カウンタースペルを試していた。
そこに有意な反応がなかったので、前回の失神時と同じだと判断した。
ヴェスタの内面にある問題なのだと。
アイカとジュノはアストラル・プロジェクションを試しに行ったのだ。
そのための緊急出航で、スクランブル体勢だった。
搬送ベッドからいつもの寝室に運び、ジュノはヴェスタの保護スーツを外部操作し、保護膜を仕舞いシーツをかけた。
アストラル・プロジェクションにあたり、肌の接触範囲を増やしたほうが有利だからだ。
ジュノも同じ姿になり、シーツの中に滑り込む。
我慢していた涙が、また流れてしまう。
「ヴェスタ‥‥くすん‥‥」
ヴェスタの白い肩にすりすりとほほをこすり、涙もすり込む。
ここにいるよと伝えたいから。
どうしたの?といつものように撫でてほしいとすりよるのだ。
しゅんと自動ドアを抜けて人影が入ってくる。
「おまたせしました‥‥行きましょう」
むんと気合の入ったアイカが戻った。
まずはトイレですと出ていったのだ。
長時間のダイブになることを想定したのだが、ジュノはとてもヴェスタの側を離れる気になれず、待っていた。
いざとなれば保護スーツがなんとかしてくれると、割り切っていた。
「‥‥おそらくあの黒い魔力の霧は一種の攻撃です‥‥前回と違い何らかの妨害が想定されます」
アイカが説明しながらシーツに滑り込んでくる。
ヴェスタを挟んで向かい合ったジュノはうんうんともう涙は流していない。
きりりとした顔は、絶対にヴェスタを取り戻すと気合が入る。
しゅるんとアイカも保護膜をしまうと、ぴとっとヴェスタに寄り添った。
このベッドはもともとクイーンサイズなので、3人でも余裕がある大きさだ。
「‥‥行きましょう」
静かにアイカが告げ、ジュノも頷いて目を閉じた。
ぎゅっとヴェスタを挟むように2人は肌を合わせる。
ヴェスタのお腹の上で2人は手をつなぐ。
じんわりと温かさを伝え合う頃、アイカのアストラル・プロジェクションが始まるのだった。
大切なものを取り戻す旅に出るため。




